【8/7-10】江戸東京博物館に行った

   

 というわけで、アパホテル両国駅タワーに泊まってきた。

・いろいろ知らなかったのだが、両国駅タワーは開店直後であり、さらに世の中的には三連休の中日だったとのことで、すごい混んでいた。

・一方で、翌日の月曜日に、アパホテルすぐの江戸東京博物館に寄ってみたら、こっちはあまり人がいなかった。逆に博物館も日曜は混んでいたのかもしれない。

・というわけで、江戸東京博物館に行ったのだが……

当時の日本橋北側の街の様子を再現したミニチュア
当時の大名屋敷を再現したミニチュア

 こんな感じのジオラマがあったりして、男の子的にビンビンくる。

・なお、この大名屋敷ジオラマは、上の日本橋の街のジオラマと、再現している範囲が同じであり、キャプションには「大名屋敷はこんなにデカかったが、庶民の家は同じ土地面積にこんなにたくさん密集して建てられていたのだ!」みたいな感じで階級格差を強調していたが、でも、上のジオラマだって長屋は確かに一部屋一部屋は小さいものの、他にもでかい建物はたくさん建ってる。

・なんか歴史の授業とか博物館とかって階級格差的なものを強調しがちだよな。武士階級は日本の貴族階級ではあるが、歴史小説を読む限りでは、貴族に対する羨ましさとか憧れとか全く感じさせないくらい大変そうなのだが。

・慶安の御触書にある「年貢さえすませてしまえば、百姓ほど楽なものはない」は、全面的に首肯するのではないが、そういう一面は実際にある気がする。

・あと、これも興味深かった。

 これは明暦の大火で焼け広がった範囲を示したものだが、隅田川を挟んだ向かいの地域まで燃えてるのもすごいが、それどころか江戸湾を出て、月島にまで延焼している。一体どういう状況だったのだろうか……。

 これなども資料価値が高い。私もいままでよく分かっていなかったのだが、老中は国政に関する政務・行政機関であり、若年寄は徳川家を一大名と見た場合の、藩政に関する政務・行政機関ということらしい。前者は国務大臣、後者は東京都の上級スタッフ……といった認識だろうか(誤りがあれば、詳しい方補足して下さい)。

  江戸時代の出版図書『偐紫田舎源氏』。今見てもイラストレーション、紙面デザイン共に美しい。当時の感覚が分からないが、『デスノート』を読んでるような感覚だったのだろうか? 当時の人達はすごく楽しんで読んでいた気がする。

 寿司屋台の様子。われわれは知識として、江戸時代の寿司がファーストフードであったことは知っているが、実際にどのように提供され、どの程度の値段だったのか、などはあまり知らないのではないだろうか。特にびっくりしたのは、1つ1つの寿司がやたらとでかいことだ。写真では伝わらないと思うが、おにぎりに近いサイズ感である。

・江戸の様子を見ていると、様々なビジネスチャンスが転がっていて、とても楽しそうに感じた。三井越後屋なんて呉服の取り扱いを、伝統的な訪問販売スタイルから、現代では一般的な店頭販売スタイルにしただけで、あれほど繁盛したのだ。出版業界にもグルメ本(豆腐や柚子のレシピ本)で一山当てた人がいたようだし、大火が頻繁に起こったせいで建築業界も活性化してるし、なんか色々できそうである。

・私は今「こういうアイデアを思いついたけど今はコロナだからできないなあ」「コロナが落ち着いたらできるのになあ」などと考えているが、そういう考え方がダメなんではないかと思えてきた。この状況がいつ回復するか分からないが、かつての状況を前提にアイデアを出すのではなく、この状況でこそ売れる物を作らなければならないのではないか……。そんなことを、江戸東京博物館を歩きながら思ったりした。

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