【7/23】小林賢太郎氏の解任の件について

   

小林賢太郎氏を解任 五輪開会式演出担当、ホロコーストをやゆ

・思うことは非常にたくさんあるが、クレバーなことしか書かないつもりである。

・まず事実確認から、問題の小林氏の過去のコントは「ホロコーストは良くない」という前提に立った上でのネタであり、ホロコーストを肯定しているものでも、反ユダヤ的なものでもない。ここを勘違いしている人はまず認識を改めて欲しい。

・ゆえに氏のコントが不適切であるとすれば、その論点は、「たとえ否定的な文脈であれ、コントにおいてホロコーストに触れてはいけないのか」という点に限られる。これに関しては、私は知識不足なので正確なところが分からないが、どうも欧米にはそのような風潮があるらしい。

・欧米にそのような風潮があるからといって、それが正しいとは思わない(例えば、欧米では二次元の未成年者に対する性的行為が問題視されているが、私はその風潮を正しいとは思わない)。私はむしろ「ホロコーストは良くない」という価値観は硬軟様々な形で人々に伝えられるべきであると考える。……が、それは個人の意見なので、欧米に現にそういう風潮があるのであれば今回はそこには触れない。「どういう文脈であろうと、とにかくポップカルチャーで触れてはいけない」というものは現に他にも存在する。悲しいかな、世界はそういうものである。

・「たとえ否定的な文脈であれ、コントにおいてホロコーストに触れてはいけない 」を是とした場合、次の問題は、これが今現在のものではなく、20年以上前のコントであるということだ。「大昔のものだから今更怒るべきではない」ということではなく、その時代性を鑑みる必要がある。

・件のコントは、劇場で行われ、観客の笑いを誘い、VHS化して流通していた。つまり、(狭い世界ではあれ)このネタは当時の日本社会において、「まあセーフでしょう」と認識されていたということだ。もちろん中には怒った人がいるかもしれないが、大枠では「セーフ」判定をされていた。

・ 「たとえ否定的な文脈であれ、コントにおいてホロコーストに触れてはいけない 」を是とするならば、これはつまり、これを受け入れた当時の日本社会が未成熟であったということで、小林氏一人の倫理性の問題ではない。

・そもそもエンターテイメントというものは、受け手側の社会が許容可能なギリギリのラインを攻めがちである。だが、受け手側社会の許容範囲というのは時代によっても変わるし、活躍の舞台によっても変化する。「20年前のごく限られたお笑いの客層」と「現代の世界的客層」で、その「アウトのライン」が変化するのはこれは当然の話であろう。前者の許容範囲を前提にしたネタを後者の判定で見れば、無論ラインからはみ出ることもある。

・今回、私が非常に憂慮しているのは、この問題が全てのクリエイターにとって本質的に不可避であるということだ。「社会の許容範囲」の変遷はかなり強烈である。今となっては許されないが、当時は当然のように「セーフ」とされてきたネタがたくさんある。「オカマ」などがそうだ。

・また、クリエイティブに限らなければ、30年前の社会では立ちションなど当然のように行われていたし、もっと昔では飲酒運転もそれほど目くじらを立てられるものではなかった。この当時に立ちションをした人が、いま、それを咎められても、「だってそういう時代だったし」「みんなやってたし」「特に悪いことだと思ってなかったし」と思うだろう。

・つまり、「今現在の感覚で明確にNGなもの」だけを避けていれば、この問題は回避できる…………というわけではない。今のあなたの感覚、さらには世間の感覚で「問題ないもの」であっても、20年後にどうなっているかは分からない。それが20年後に「問題があるもの」に変わっていた場合、20年前の「問題」を元に処分されかねない。それが今回の問題点の核心である。

・であれば、過去の「問題」を元に現代で何らかの処分を行うべきであろうか? これはケースバイケースであろう。特に今回は外交的・政治的側面が絡んでおり、話は簡単ではない。本質的に回避不可能な問題ではあるが、それでも何らかの責任を取る、取らざるを得ない状況というのは実際あるし、今となって反省すべき点もあるにはあるだろう。小林氏のコメントもその点では誠実である。

・だが、ここまでの前提を踏まえていけば、その処分が過度に重すぎるものであってはいけないという結論にならないだろうか? なにせ、この問題は本質的に不可避なのだ。誰の身にも降りかかる問題である。そのことに想像が及べば、組織委の対応に一抹の悲しさを感じはしないだろうか? 個人的な見解で言えば、小林氏の誠実なコメントが出た以上は、後は組織委が頑張って守って欲しかった。仮に辞任を受け入れるにしても少しはフォローする姿勢を見せて欲しかった。むろん、これは外交を度外視した話であり、私の希望でしかないが……。

・以下はネット上でよく見られる意見に対する一問一答。

Q:他国人が原爆で同じネタをやっていたとして許せるのか?
A:今回の文脈で言えば、他国人が「原爆ごっこ!」「それは倫理的にダメだ」とコント内で言うようなものであり、私個人としてはむしろ嬉しさを感じる。他国で原爆の問題意識がポップカルチャーにおいても当然のものとして描かれていることを私は歓迎するだろう。

Q:組織委はなぜ事前に小林氏の過去の言動を調べ尽くさなかったのか。
A:現実的にほぼ不可能ではないかと思う。今回の問題のシーンはVHSのみで流通したものである。小林氏が日常的に反ユダヤ的言説を繰り返しているわけではない。仮に調べ尽くすとして、大会に起用するスタッフ全員(実際には「起用する可能性のある全員」)分の過去の言動・作品・SNS発言などを洗いざらいチェックし、倫理的に問題のある箇所を全て抜き出すとなると、相当の仕事量であり、おそらく各人ごとに1万字以上の報告書が届くだろう。依頼された側は、本当にくだらない些末な箇所や、誰が見ても問題ないだろうと感じるところまで全てをリストアップするはずだ(そういう仕事なのできっとそうするだろう)。そして、そうなれば全ての人に何らかの問題があるはずなので、次はそれと各人の能力を比較検討して誰を選ぶかを決めねばならならいが、結局、能力のある人を「ある程度目をつぶって」採用することになるのではないか。だから、これは言うのは簡単だが、実務レベルで想像すると相当に困難ではないかと思われる。ただ、「どれだけ困難でもやらなければならない、それが五輪だ」というのなら、それには一理ある。

Q:自分に問題のある過去があると分かっているなら、辞退すべきだったのでは?
A:上記の通り、社会の許容範囲は変化する。そのため、スネに傷のない人などいないだろう。特に最前線で活躍している人はキャリアも長く、発表物も多い。本人が意識できていない場合ももちろんある。「問題があった場合は違約金を払う、などを契約書に盛り込む」というのは、これを実際にやると、おそらくこの仕事を受けるクリエイターは激減するだろう。今回の一件でそのリスクはありありと明らかになった。もっとも、大きなリスクを承知で乗り出す若手クリエイターはそれでも出てくるだろうが、実績のあるクリエイターは回避するだろう。

Q:一般的な倫理観を備えた普通の人間は、今回のようなクリティカルな問題は起こさない。
A:実に楽観的な意見であり、非現実的だ。その「一般的な倫理観」というのは時代と共に醸成されたものであり、「今現在の一般的な倫理観」に過ぎない。20年前はそうでなかったし、20年後もおそらく違うだろう。繰り返すが、この問題は本質的には不可避である。

Q:今回の解任は外交的なニュアンスが強いのでは?
A:実際そうだろう。であれば、外交的な意味合いで潰されてしまった小林氏に対して、われわれはより正当な評価をすべきである。

Q:小林氏はなぜこれまで謝罪しなかったのか?
A:人間は時代と共に価値観がじょじょにアップデートされていく。また、特に機会がなければ「あの時の発言・行為は今の時代ではアウトだな」と思っても、それを突然社会に向けて謝罪することはない。「私は40年前に漫画の中で「オカマ」をギャグとして扱って同性愛者を馬鹿にしました。謝罪します」と突然言い出した漫画家を見たことがあるだろうか? 例えば、何らかのインタビューの中でそのことに触れることはあるかもしれないが、突然に謝罪文を出す人はまずめったにいないと思われるし、われわれも突然そんなことをされても、何がなんだか分からないのでスルーすると思う。

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