【3/12-13】技術は手枷ではない。武器だ。

   

【3/12】

朝:納豆、味噌汁
昼:天ぷらそば
夜:ねぎしに行ったが牛たんは食べなかった

・今日はダンゲロスボードゲームのイベント!…………の前にテストプレイ!!

・ベーシックルールとは別に『戦闘破壊学園』『飛行迷宮学園』『1969』のそれぞれのストーリーに即したシナリオも作ると公言していた私であるが、『戦闘破壊学園』の方は既に何となく出来上がり、『飛行迷宮学園』に着手したのが前回の企画会議イベントであった。そして、それから二週間後。実際になんとなく出来た新ルールを用いて初めてのテストプレイを行ったのだ。

・結果は…………悪くなし! とりあえず全然遊べるものになっていた。ゲームバランスに関してはもっと詰めていかなければならないだろうが、方向性も基本システムもこれでいけそうですな。

・各プレイヤーに「大銀河超一郎」「真野五郎」「鵺野蛾太郎」「チグリス」「静夜宮夢路」「未来探偵紅蠍」のどれかが役職カードとして配られて、それぞれが自分の役職に応じた勝利条件を目指しつつ、他プレイヤーの役職を推理し、仲間と協力したり敵を排除したりする、なんかちょっと人狼的な、シャドウハンターズ的なニュアンスの入った拡張ルールとなっております。

・さあ、次は『1969』をベースとした追加シナリオだな! 企画会議イベントでそれに関しても議論され、まあまあ見えてきた感がある。結構な頑張りが必要になりそうな作業だが、いろいろ一段落したら取り掛かるぞう。

・……が、しかし! なんだか目の前に仕事がたくさん現れて、凄まじい作業量で、向こう3ヶ月くらいは忙殺されそうな勢いである。ボードゲームを作りながらキャッキャしてる一方で、実は単行本企画が一本通ったのでそれの執筆も行うことになったし、雑誌の執筆依頼も二本来ているので、うん、まあ、総合的に言って、凄まじく忙しい。おかしい。連載が終わってめちゃくちゃヒマになるはずだったのに、何かがおかしい。

・でもまあ、仕事があるのは良いことですね。何の仕事もなくて毎日ダンゲロスして遊んでた時期も一年くらいあったけど、あの時は毎日楽しい傍ら、若干のヤバさも感じていたからな……。
 
 
【3/13】

朝:フルーツヨーグルト
昼:Bランチ定食
夜:ひつまぶし、豆腐サラダ

・午前中にケトル用のレビューを一本書き上げた。今回は『東京少年D団』です。

 ええっと、ケトルは次いつ発売なんだろう。分からん。ケトルの宣伝告知タイミングを毎回逃しているので、私がケトルでレビュー連載をしていることを知らない人もめちゃくちゃたくさんいるのではなかろうか。実はかれこれ3年以上やっているのだけど。

・午後からはボドゲの入稿作業をやったり、妻が半休で帰ってきてお昼寝に入ったので、ベッドに潜り込んで横でPSPをやったりしてた。

・夜は東京ネームタンクに行って、ごとう先生と「マンガ新連載研究会」の出張ラジオ。

 今回は盟友である江藤(es)の新連載『終極エンゲージ』を取り扱った。エントリーも書いたよ。esはセオリーを知った上で今回それを崩してきてる。

・エントリーの方でも書いたけど、技術とか理論とかは整備されていくと、一方で悲しさも生まれてくるんですね。なんか、その理論に縛られて自分の発想の自由さが制限されていくような気がして。マンガ新連載研究会の母体である東京ネームタンクはネームを描く技術を教えている講座だけど、「理屈を知ってしまうと縛られる」と感じて忌避している人もたぶん結構いると思うんだよね。

・それは一面の真理ではあるのだ。ただし、本来的に言えば技術も理論もクリエイターの「やりたいこと」を実践するための武器である。その武器が重すぎて振り回されている状態が「縛られる」段階であって、その武器を適切に振り回せるようになってからが本番だ。ぶっちゃけ私もまだ振り回される段階であって、どうやってその武器を巧みに扱うかは勉強中と言ったところだ。江藤のやろうは、ちょっと上手く使いやがったな。まったくあのやろう。

・その点で言えば、漫画と小説の違いはあれど、今日始まったオンライン座談会、

【3/13特別座談会】WEB小説を書籍化する方法 ~成功のためにやるべきこと~

 こちらもすごい。まさに技術と創作意欲のせめぎあいのような、ギリギリの一線での会話が行われている。

<質問者>

失礼ながら、ストレートに言うと好きなもの書けてますかということなんです。
確かに新木さんはのびのびやれてるように感じますが、普通は違うのではないかと。
読者第一主義の態度は、悪く言うと「媚び」、「創作」ではなく「商品の生産」ではないかと。

<新木先生>

僕はまさしく「商品の生産」をやっているのであって、まったく、それ以外のなにものでもない。
読者の喜ぶもの(そして自身の提供可能なもの)を書いて出して、それがどうしていけないことになるのか、まったく、これっぽっちも、一ミリも理解できません。

 技術はやはり読者に向けて発揮されるものなのである。だから、技術に振り回されると「のびのびとやれない」という感覚を覚えることになるのだろう。この質問者さんの問いかけは、まあ、ぶっちゃけ青い! 青い! が、この議論には必要な青さだ!! 同じことを思っている人はたくさんいるだろうし、最前線のプロの感覚を知るためにここのところは突っ込んで明らかにすべき事柄だった! なので、GJだ!

・新木先生はもはや技術を武器として使いこなしているのだと思う。そして、それに独自で培ったプロ意識が加わって、「職人」的な高潔さを手に入れているのだろう。こういった議論は私と江藤の間でも本当に何度も繰り返されてきた話で、江藤は新木先生の思想に近く、私とは全くの真逆だ。根本的には、私は作家は職人ではいけないと思っている。

・しかし、根源が真逆でもそこから一つ上のレイヤーになると、実は問題意識は似通ってくる。根源的なスタンスの違いはあれど、実際のところプロとしては一定数の読者を確保し、彼らに楽しんでもらわねばならない。そのためには技術を使いこなす必要も出てくる。そこが同じなので、私と江藤は根源的な意識は異なりつつも情報交換が成立しているし、新木先生らの言葉も参考にできる。ただ、それでも私は作家は職人であってはいけないと思うし、もっと言えば資本主義経済の上に乗る必要すらないと思っている。しかしまあ、このへんは生き方の問題になってくるので、人の生き方に正解も不正解もない。

・ちなみにそういった持論は「『放課後ウィザード倶楽部』感想戦」で結構延々と書いているので気になる人は600円払って読もう。

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