【9/4-6】ハイロー2最高かよ

   

【9/4】

【9/5】

【9/6】

朝:野菜炒め、味噌汁、米
昼:豆大福
夜:焼肉丼、冷奴、ヨーグルト

・ちょっと今忙しいのだが、映画『HiGH&LOW2』が最高すぎたので、それについて感想を書かざるをえない。

<ここが良かったHiGH&LOW2>

1、アクションがすごい

 これに関してはもう「すごい」という以外にない。どうすごいかと言われても、とにかくすごいとしか言いようがない。「いや、すごいアクションなんてアクション映画で飽きるほど見てるから、どうすごいのかもっと具体的に教えてよ」と言われても、「とにかくすごい」としか言いようがないのだ。「すごいアクションなんて他のアクション映画で飽きるほど見てるのに、この映画のアクションはとにかくすごいと思った」。それがこの映画の感想である。
 
 
2、ものすごい情報量

 ストーリー、設定面での情報の多さは映画開始5分で誰もが思うことだろう。主人公格の勢力が五勢力もある上に、敵対するヤクザ組織(九勢力の連合)があり、そのヤクザグループにさらに敵対する海外マフィアがあり、それとは別に危険な敵対勢力が二勢力あり、それとも別に独立愚連隊めいた雨宮兄弟がいて、過去を紐解けば巨大組織のMUGENがいる。

 この時点で目眩がするほどの情報量だが、さらにそれぞれの勢力が歴史を持ち、組織間の関係性や、組織内部での人間関係があり、さらには実力差によるパワーバランスなどが作劇の背後に存在する。つまり、視聴者は、この異様に大量の各勢力、ならびに勢力別ネームドキャラを把握しつつ、それぞれのバックグラウンドや関係性を脳裏に刻み、明言されない各勢力のパワーバランスを推し量りながら、物語の推移を追いかけなければならないのだ。恐ろしいことに、この120分の映画はその尺のほとんどが、殴り合いとか、車で人を轢いたりすることに消費されるのだが、それでも合間合間にこれだけの情報量を秘めて展開するのである。

 そして、これらはあくまで作劇面における情報に過ぎないことに注意して欲しい。実際はさらにここに映像的な情報量が加わる。とにかくまず単純に画面に入る人間の数が多い。その上、各勢力ごとに特色あるコスチュームに身を包み、しかも一人一人ディティールが異なる。各勢力の衣装や小物を見ているだけでも様々なアイデアが込められていることに気付くし、各人の表情を見るのも楽しい。不良やモヒカンザコの顔芸はだいたい見ていて楽しいものだが、それが画面中に10も20もあるのだ。

 120分間、作劇面でも映像面でも情報が飽和状態である。これは『シン・ゴジラ』の辺りから私が薄々感じていることなのだが、映像作品においては「脳みその処理速度を少しだけ超えた情報量」は、おそらく人間に「面白い」という感覚を与えるのだと思う。以下、何の科学的背景も持たない私の仮説だが、人間の脳みそは処理速度を超える情報を与えられると、何とか処理しようとして脳みそが活性化し、その状態を人間は快楽に感じるのではないか、と考えている。ただし、情報量が一定以上を超えると、今度は「処理することを諦め」てしまい、「面白い」ではなく「なんかよう分からんかったわー」で終わってしまう。

 この「処理速度を少しだけ超える」は情報量過多により引き起こされるだけでなく、ギャグ漫画や、もしかするとストーリー漫画でも有効ではないかと考える。例えばテニスの王子様の「焼肉の王子様」で、比嘉中の額に焼肉が乗った瞬間に比嘉中が失格になったあの見開き。一体何が起こったのか分からず、どうして額に焼肉が乗ると失格になるのか、その因果関係、論理が理解できなくて、われわれの脳みそはその間に存在する論理を求めんとして活性化し、脳みその処理速度を超過した。「額に焼肉が乗って失格になる絵を見る」と「爆笑する」の間には、このような生理的反応が隠れているのではないか、と私は昔から考えている(私はこれを「一段飛ばし理論」と名付けている)。

 ハンターハンターのセリフも往々にして分かりにくい。ある程度、途中の論理をスッ飛ばして会話を構成しているので、一呼吸置いて考えないと理解できない。そういうセリフがどんどん続いていったりする。ハンターの会話の面白さも「一段飛ばし理論」で説明できるのではないだろうか。(これは私の小説でもしばしば意識的に実践している)
 
 
3、殴れば解決する

 本作はこれまで見たハイローの中でも最高だったと思うのだが、他作品と比べて最も評価したい点がここだ。とにかくパンチにより事態の解決が図られる。いや、これまでのハイローもいつもパンチしていたわけだが、シーズン1にしろ映画版一作目にしろ、ラスボスがノボルや琥珀さんなど「かつての仲間」であったために、かなり情緒的な決着となっていた。パンチは常に伴ってはいたものの、「相手の心に訴えかける」ことで解決していたと言える。私はこういう演出に正直辟易としていた。

 だが、今作は違う。相手の心とか知ったことではない。パンチだ! 相手よりパンチが強ければ解決するのだ! さて、ここで突然だが、私見を披露したい。バトル描写は以下の3つに分類できると思われる。

A 文脈バトル

「勝つ理由を明示した方が勝つ」というもの。例えば戦闘中に「負けられない想い」や「この戦いに挑むまでの特訓」などを回想する。それで読者に「それなら、まあ勝ってもいいんじゃないか?」と思わせた段階で勝利条件が整い、勝利する。戦闘中に対戦相手よりも共感性の高いエピソードを開示する必要があるため、必然的に「回想バトル」となる。ブリーチはこの要素が強い。スポーツ漫画も往々にしてこれに陥る。人情や共感性により勝利条件が整うため、文脈バトルはどうしても話がウェットになってしまう。上手くいけば「ドラマ性が強い」作品となるが、下手をすれば「置いてけぼりにされて納得できない」作品となる。ハイローもノボル戦や琥珀戦は文脈バトルのニュアンスが強かった。
 
 
B とんち合戦

 能力バトルに多い。弱点看破、地形利用、能力の応用など、その場の閃きを契機として勝利する。Aの「文脈バトル」と組み合わせて使われることも多く、「負けられない想い」などの回想を挟み、その共感性を推進力として、さらに「一工夫のとんち」を加えることで勝利の説得力を生み出す。一方、ジョジョの第三部以降は「とんち合戦」単体で成り立たせている傾向が強い。とんちが巧みであれば読者に驚きを与えられるし、また相手の強大さを描きつつも相対的弱者である主人公が逆転する描写も描きやすい。相手もとんちを駆使して、それを主人公のとんちが上回れば、「高度な頭脳バトル」という評価を得られる。だが、とんちの質が低ければ「なんちゃって能力バトル漫画」とされて冷笑されるし、とんちが込み入りすぎていても、「こいつらの洞察力、観察力、応用力は高度すぎて感情移入できない」という感想を抱かれかねない。「自分ではギリギリ考えられない」くらいのとんちが理想だ。なお、個人的にはもっとも成功したとんち合戦漫画は『魁!!男塾』だと思う。凄まじいとんち密度にもかかわらず、「頭が良い」という印象があの漫画には全くないのがすごい。ハイローには「とんち合戦」の要素はない(と思う)。
 
 
C 非情なる戦い

 私が最も好きなのがこのCタイプだ。強いやつが弱いやつを倒す。周到に準備している方が順当に相手を倒す。土壇場の逆転劇は基本的に存在しない。私の『ダンゲロス』『放課後ウィザード倶楽部』も基本はこれだ。強い方が弱い方を倒すので説得力は抜群だが、弱者が根性で逆転したりしないので、そこでのドラマ性は生まれない。ハンターは基本的に「非情なる戦い」であり、そこに一摘みの「とんち合戦」が加えられる。ゴンvsハンゾーやゴンvsゲンスルーが分かりやすいだろう。これの根底には「根性や負けられない想い、その場の機転などでは圧倒的力量差は覆せない」というリアリスティックな視点がある。ゴンのその場の閃きではゲンスルーを倒すことはできず、結局、周到に用意された作戦によってゲンスルーを降した。ハイローも基本的には「非情なる戦い」であり、ネームドキャラがモブキャラに敗北することはない(よりリアリスティックに見ればネームドキャラでもモブキャラ5人で殴れば倒せるはずだが、そこは脇に置いて作中のリアルを優先する)。文脈バトルの対極にあり、回想しようと何を背負っていようと負ける時は負けるので、人情や共感性を裏切る形になり、必然的にドライな世界観となる。
 
 
 以上を前提に話を続けよう。ハイローが「非情なる戦い」だとして、ネームドがモブを蹴散らす場合は問題ないのだが(ネームドはモブより強いので勝利する)、ネームドがネームドと戦う段になると、どうやって勝利者側に勝利の説得力を生み出すかという問題が生じる。ノボル戦や琥珀戦はそこの説得力を「文脈バトル」に大きく依存していた。そのため、どうしてもウェットな作品になってしまい、私のような湿っぽさに乗り切れない観客は置いてけぼりになって、「なんかよく分からんけど、みんなが泣いたり叫んだりしたら解決した」ということになってしまった。

 一方で今回の「ハイロー2」だが、これは純粋に殴り合っている。殴り合って、殴り勝った方が勝ちである。今回のメイン戦闘であるロッキーvs蘭丸がそうだった。ここがこれまで私が見たハイローと比べて格段に良かった。単にドライだったというだけでなく、「殴り合って、殴り勝ったやつが勝ち」という、説得力もクソもなさそうな決着方法に最小限の説明と映像の迫力で説得力を持たせた点を評価したい。ネームドとモブなら問題にならないが、互いにキャラ格が同じネームド同士だと「殴り合って勝利」はどっちが勝っても説得力がないのである。

 それを今回のロッキーは「負けられない想い」を最小限に開示して(コブラが一言添えただけ)、その後、傷付いた右手で相手の右拳を破壊、互いにダメージを負った右拳で殴り合い、蘭丸に根性で殴り勝った。「文脈バトル」の要素はゼロではないが、文脈の力は最小限に抑えられており、説明もほとんどなく、映像的迫力により説得力を持たせている。「おれの拳も痛いけど、お前の拳も痛いはずだから、お前が我慢できなくなるまで殴り続けるぜ」とか言わないのである。鋭いパンチと血まみれの形相で、ロッキーの勝利を感情レベルで納得させてくれのだ。

・こういった三点からハイロー2が最高だったということを、何とか言語化したところで今日の日記を終わりたいと思う。今週末はハイローランドに行く予定なので今から楽しみだぜ……。

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