【6/16】特製つけ麺の特製ってなに?
朝:ビーフカレー、サラダ
昼:特製つけ麺(@国会図書館)
夜:ビーフシチュー、バケット、コンソメスープ
・「障害者は神父になれるのか問題」にケリをつけるため国会図書館へ。そろそろ期日的にもマズイし、費用対効果的にもそろそろ限界である……。
・が、結論から言うと、答えは見つからなかった……。地元図書館のレファレンスサービスの結果も、示唆を与える程度に留まり、そこから国会図書館の蔵書をあれこれ取っ替え引っ替えしたが、最終的結論へと至ることはとうとうできなかった。
・確定したのは以下。
「現在のカトリック教会法典の『司祭になれない条件』一覧に身体障害は含まれていない」
「身体障害者の神父は実際に存在している(2名確認)」
というわけで、今はなれる。「ちゃんと司祭職を遂行できる能力があること」という要件があるので、実際にはここで弾かれるかもしれないが、少なくともレビ記21章に書かれているように「身体障害者が祭司職を行うのは神への冒涜だから」といったニュアンスは(文面化されて)ない。
・昔はどうだったか、はどうにも分からない。確たる裏が取れないし、取り方も分からないのだが、ちょこちょこと目にした記述によると、どうもやはり「基本はなれない」だったっぽい。
・キリスト教と障害者に関する書籍はやっぱり「障害者の信徒に対してどう向き合っていくか」的なのが多いんだよね。バリアフリーにしましょう、とか、気遣いすぎるのも良くないです、とか。温情主義的というか、そこをさらに超えた先について書かれたものが見つからなかった。上記の姿勢はやはり「強い者から弱い者へ」であって、「同輩として」ではないんだよね。まあ温情主義が必ずしも悪いわけではないんだけど(同輩として扱うということは対等な条件での競争原理に晒すということなので)、キリスト教会においては身体障害者への視線がまだそれほど成熟してないんじゃないかなあ。
・と思う一方で、キリスト教、特にカトリックが、一応聖書に典拠を持つ「身体障害者は司祭になれない」というルールを覆したなら、それは一大事であって、相当の議論を巻き起こし、決定時に波紋をもたらした気もするんだよな。そんな大議論があったなら、必然的に身体障害者への視線も成熟するはずなんだ。でも全然そういった形跡が見つからない。なんとなーく、ゆるーりと、改革されたんだろうか? どうにもよく分からない。
・身体障害者観とはちょっとズレて女性観の話になるんだけど、夏目漱石の『こころ』に出てくる女性観も興味深い。
この試みは次第に成功しました。初めのうち融合しにくいように見えたものが、段々一つに纏まって来出しました。彼は自分以外に世界のある事を少しずつ悟ってゆくようでした。彼はある日私に向って、女はそう軽蔑すべきものでないというような事をいいました。Kははじめ女からも、私同様の知識と学問を要求していたらしいのです。そうしてそれが見付からないと、すぐ軽蔑の念を生じたものと思われます。今までの彼は、性によって立場を変える事を知らずに、同じ視線ですべての男女を一様に観察していたのです。
『こころ・オブ・ザ・デッド』で言うと上のシーンですね(『こころ・オブ・ザ・デッド』好評連載中!)。
・漱石の描く「Kの女性観」は現代の女性観に近い。先生はそれを窘める側として描かれている。
Kは私に向って、女というものは何にも知らないで学校を出るのだといいました。Kはお嬢さんが学問以外に稽古している縫針だの琴だの活花だのを、まるで眼中に置いていないようでした。私は彼の迂闊を笑ってやりました。そうして女の価値はそんな所にあるものでないという昔の議論をまた彼の前で繰り返しました。
漱石に超時代的な女性観があったとは思えないので、これはそのまま読めばよかろう。すなわち、明治時代においては現代的な女性観―――女性の精神的な能力や役割を男性とほぼ同じものと見る視点は、「分からず屋の考え」「道理に合わない物の見方」であったのだ。先生は女性の学問的な能力に端から期待もせず、そうではなく彼女たちには別の役割と仕事がある、といった見方をしている。現代的な感覚で読むとちょっとびっくりするところである。
・さて話を戻して、現実的な地平に視点を戻すと、昼食は国会図書館の食堂にて「特製つけ麺(570円)」に「唐揚げ(100円)を付けた。
国会図書館の食堂はうまくもまずくもない印象だったが、つけ麺はかなりイケてた。うまかった。
・しかし、「特製つけ麺」ってよく聞くけど、この「特製」ってなんなんだろうね。特別製って意味なんだろうけど、じゃあ特製じゃない普通のつけ麺だったら何が出てくるんだろう。もちろん食堂のメニューには「特製」のつけ麺しかなかった。
・なんとなく感覚的に考えられるのはつけ汁で、今回のつけ麺も魚介の効いたどろりとしたものだったが、ひょっとしてこれがさらりとしたつけ汁だと普通のつけ麺になるのだろうか。ざるそば感覚で食べるのが普通のつけ麺?
・帰りに新宿に寄って、ニンジャスレイヤー3部の書籍を2巻購入。これでついにドラマCD応募用の帯が4つ揃ったぞ……。意外と大変だった。6~7店舗くらい回った。6月末で締切なので、「直前にまとめ買いすればいいや」と思っている人たちは要注意だ。いーがーいーと無いぞ―。
・アマゾンだと帯はどうなってるんでしょうね。
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・今日は一応半日オフのはずだったので(と言っても国会図書館で17時まで調べ物をしていたのだが……)、なんかしらオフらしいことをしなければならない。そういうわけで、おうちに帰ってからは一人でディセントのMAPを作って、次にプレイするはずのシナリオをシミュレーションしたりしていた。結構な時間を私はこのシミュレーションに費やしているのだが、やっぱり実際にミニチュアを並べて動かしてみた方が色んなことが分かるなあ。
・あと、リング見ました。明後日は貞子vs伽倻子だから。もう見とかないとね。
もう20年前の作品になっちゃうんだね。びっくり。しかし、これを見て個人的に驚いたことがあって、この感覚を共有して貰えるのかどうかさっぱり分からないのだが……
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まず、「血を吸う宇宙」。「リング」の脚本である高橋洋さんの脚本作品ですね。
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そして、高橋洋監督脚本作品の『ソドムの市』『狂気の海』。
・これら三作品で描かれる雰囲気というか演出というか、それがそのまんまリングに出てくるんですね。恐怖表現として。なんていえばいいのかなあ。『発狂する唇』とかは、その演出が「ホラーっぽいニュアンスのへんてこなギャグ」みたいになってるんですね。高橋洋のお家芸的な。「あっ、また出てきた、きゃっきゃ」みたいな。それが『リング』においてはすごくまじめにホラー要素として描かれている。これに個人的にびっくりした。新鮮だった。そうか、源流はちゃんとしたホラー表現だったんだ、と。具体的には貞子の被害者の女子高生が大口を開けて死んでるシーンにすごくそれを感じた。
・はい。伝わりませんね。はい。
・純粋に作品として見ると、『リング』は謎解き要素、ミステリー要素がすごく強いホラーですね。「見たら死ぬ呪いのビデオ」という段階ではB級臭がすごいのに、そのビデオの内容にきちんとヒントが隠されていて、それを分析していくことで呪いの大元に辿り着けるという構成が巧みで、冒頭のB級臭をフッ飛ばしている。
・あと若い頃の中谷美紀がちょう可愛い。最近は「なんでおれは昔、中谷美紀が好きだったんだろ?」と思ったりもしてるけど、昔の映像見たら最高に可愛いですね。