【6/15-17】罪悪感の味
・今回も五月雨式で書いていく。
・打ち合わせで筑摩書房に行ったので、蔵前のラーメン屋「元楽」で特性元ラーメン。
背脂が凄まじいラーメンで、スープの表面はほぼ背脂で覆われている。「味の濃いスープと背脂の甘味の絶妙なマッチング」という触れ込みだったのだが、しかし、ここまで油まみれだと、「身体に悪いのでは……」という想いが先立ってしまい、あんまりスープの味を楽しめない。味を確かめる行為と罪悪感が同時に押し寄せてきて、味の方に全然集中できないというか……。
・でもこれを何の罪悪感もなく、「ウメー! ゴクゴク! ウッメー!!!」みたいに食べれる人はそれはそれで間違いなく早死にすると思う。
・というわけで、旨い不味いではなく、美味しく食べれなかったので、残念ながら次は普通の元ラーメンを食べることになるだろう。普通の方は背脂も常識的な量らしい。
・今週金曜のダンゲロス・ボードゲーム会、私の最終パーティーの面々。
左から「ドナルド・トランプ」「ゆっくり妖夢」「ゆっくり魔理沙」「望月千代女」「くるり」「アヌビス神」。みんなの持ってきてくれたDIYカードの量がすごすぎて、もはや元のダンゲロスカードが手元に一枚もないという始末。何のゲームか全く分からない。
・望月千代女がすごく楽しい。タイプ「特殊能力」のカードの攻撃ダイスの出目を1.5倍にするんだけど、本来ただの疫病神であるはずのゆっくり魔理沙(「特殊能力」)が大化けする。探索パートの間も「特殊能力持ちのカードを集める!」という明確な目標が持てる。
・まあでも、「スノーホワイト(順番を無視して戦いを挑める)」に千代女が暗殺されて、このコンボも瓦解したんですけどね……!
・ダンゲロス・ボードゲームといえば、初回限定盤がAmazonで好評発売中なのですが……
朝の段階で「残り17点」だったのが、夜寝る前に「残り5点」になって、「うおっ、なんで急に12個も売れたんだ……??」ってなってたんだけど、翌朝起きたら「残り10点」になってて、「? ???」みたいな。
・前もこういうことが一度あったんだけど、これ、どういう現象なんだ??
・先日取り上げたブラックボックス展のはなし。展示期間が終わったのでネタバレが解禁された。
https://t.co/ERmtw0Hpho
ブラックボックス展について書きました。死んで欲しい— 武者小路実篤子 (@trhbi) 2017年6月17日
これを見た瞬間は、「ウオーッ! めちゃくちゃ面白ええ! しまった、行きゃ良かった!!!」ってなったけど、
ブラックボックス展2日目レポです。自分の弱さ、人間の闇、SNSの怖さを五感全部使って思い知らされました。展示会、それに並ぶ列、ハッシュタグの感想全てが作品でしたね。とても楽しかったです!展示会に関わった全ての方々にありとう!#ブラックボックス展 pic.twitter.com/T3wamAYObC
— サギり❄️ (@sagiri7767) 2017年6月17日
展示側が企画したのはどうもこっちだったっぽくて(上のはただの便乗犯罪?)、これだと、まあ、別に、う~~ん、って感じ。まあ、実際に体験してないくせに評価するのもアレだけど。
・まあ、ちょっと想像して欲しいんですが、展示がどちらの方向性であったとしても、客は基本的には「嫌な経験」をした上で、それを周囲にも味わわせようとして魅力的なツイートなどをしていたわけですな。
#ブラックボックス展 行ってきた
体の輪郭を失うような感覚、今まで得た経験が崩れていくような感覚、実際に現地に行かないと絶対に分からないものがある— とんべり@MM (@tonberi_summons) 2017年5月13日
ブラックボックスのなかには「なか」があった。限りなく続く途徹もない「なか」がただそこにあった。そとに出てみるとそこには「そと」があった。そこには無限に「そと」が広がっていて、どこまでも続いていた。そのときに初めて、途方にくれた「わたし」と目が合った。 #ブラックボックス展
— サーモン紅鮭 (@bnkbnkbnk) 2017年5月17日
ただですよ。仮に私がこれを見に行って、3時間並んで、「何もない」という経験をしていたら、私が上みたいなツイートをするかどうかは甚だ微妙なラインだ。「まあ、よく頑張りましたね」くらいの気持ちでご祝儀的にツイートする可能性がギリギリあるか、ないか。
・一方で、私が暗闇の中でおっさんにケツをまさぐられて、口づけされて、舌まで入れられたらどうだっただろうか? 私はむちゃくちゃツイートしてたと思う。私の持つあらゆる文章スキルを用いて、何とかしてブラックボックス展に行かせて、一人でも多くの人間を私と同じ目に遭わせたいと思ったことだろう。
・たぶんおっさんに舌とか入れられたら私はゲロを吐くと思うのだが、そういう圧倒的な生理的嫌悪感と「なんで私だけがこんな酷い目に遭わなきゃいけないんだ」という思い、他者への悪意と悪戯心、アートだという免罪符、他人を引きずり込むために支払うエネルギーと共犯者であるドキドキ感、そして、総動員されるウィット……。想像するだけで胸が高鳴る。
・結局やってることは同じになるんだけど、悪意の強度とウィットの熱量が違ってくる。そして、痴漢も企画意図に含まれているのだとしたら、ただの真っ暗闇よりも遥かに成立が難しいので、それであれだけの動員ができたというのは凄まじいことである。
・多少語弊のある言い方をするが、まず大前提として、「アートを見に行って無事に帰ってこれると思うなよ」というのがある。作り手側は受け手側の人生を一変させるくらいの衝撃を与えようと思って仕掛けてくるわけで、受け手はめちゃくちゃ人類愛に目覚めたり、めちゃくちゃ人類への敵意を覚えたり、そういうものだ。だから、仮に痴漢が企画意図に含まれていたとして、それでムチャクチャ傷付いたり、「死ね」って思ったとして、それはそういうアート体験なので受け入れるしかない。展示を好きなだけ罵っても良いし、なんなら裁判をしてもいいが、それでもこれはアートだ。
・それだけの覚悟をもって企画側が痴漢を展示に含んだとするなら私は絶賛する。凄まじい展示だと思うし、行かなかったことを一生後悔するだろう。
・そう考えると、一番美味しかったのは、私が行って、女と間違われて痴漢されて、「痴漢される展示なんだ、スゲー!」と思って拡散しまくって、今日の段階になって、「え……?? 痴漢されたの俺だけ……??」となることだったのだろうか。
・痴漢の人が単なる犯罪者だったとして、この痴漢行為がアートに含まれるかどうかは非常に判断が微妙なところなので、とりあえず現時点では保留しておきたい。あるアートがあって、それに触発された第三者の行為がアートの性質に変更を加えた場合、その行為と結果もまたアートの一環と見るべきなのかどうか?
・これ、昔から悩んでるんだよな~。前に、密室に便器を置いているだけのアートがあって、私は「これに放尿をするべきなのか?」としばらく考えて、悩んだ末に結局やらなかったんだけど、この問題には自分の中でも未だに答えが出ていない。