平凡社
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↑これを読んでのメモ。
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P45 ピウス11世は教皇庁の世俗的権力ではなく霊的自由を重視し、1929年、イタリア王国を承認すると同時に、イタリア側のヴァティカン市国に対するローマ教皇の主権を承認し、完全な独立が保証された。(なお、イタリア国王はイタリア領土の一部を放棄することに反対していた)
P69 中国のカトリック教会は共産主義によって壊滅され、スターリンは「アメリカ帝国主義に精神的に奉仕している」としてヴァティンカンに対してネガティブキャンペーンした。このへんが共産主義に対するローマの態度の再硬化の原因。
P84 諸国民間の協和はヴァティンカンから発せられた示唆へのあまねき服従から生まれる、とする中世的形態のキリスト教世界への郷愁を捨て去ったのがヨハネス二十三世。
P200 聖書研究に関して、警戒を要するとされた著作を市場から降ろしたり、ローマにおいて枠内にないとみなされた新学者たちを教育の場から遠ざけるといった魔女狩りが行われ、これはヨハネス二十三世の在位期間においてさえ行われていた。
P410 第二ヴァティカン公会議で東西教会の相互破門が解かれた。
P419 第二ヴァティカン公会議で、カトリック以外の諸キリスト教諸派に対してのカトリック教会の過去の態度の非を認め、エキュメニズムを強調し、キリスト教以外の宗教の持つ価値を認め、信教の自由が人間の基本的権利であること、カトリックの国教化をやめることを(ようやく)確認した。
P420 第二ヴァティカン公会議で変革された典礼は、日本においては司牧者自身にもよく納得されないまま実践に移されたし、信徒の間での混乱も大きかった。第二ヴァティカン公会議の影響で多くの司祭、修道者が還俗した。(還俗の理由は明確にされていない。調べた方がいいかも)
P454 貧しい人と連帯する教会、を作ろうとする努力により、「基礎共同体」が作られる。これは福音を基盤としながら具体的状況を反省し、信仰と生活(政治的・社会的生活)との分離を克服しようとするもの。「解放の神学」と表現される。教皇庁は「解放の神学はいいけど、マルクス主義的な思想カテゴリーを借用するのはやめろよ」と警告していた。共産主義が崩壊すると、マルクス主義にある種の希望をかけていた解放の神学も危機に陥ったが、内容に関して変化を示し、物質的な生活条件へのまなざしが、貧しい人々への文化に向けられた。(結局、解放の神学は、マルクス主義的なノリが多分にあったということ?)