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↑これを読んでのメモ
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P23 ドイツではプロテスタントの同盟軍(ユニオーン)と、皇帝カトリック側の同盟軍(リーガ)が戦争して、皇帝側が勝利し、皇帝フェルディナント二世は反宗教改革を進め、プロテスタントを追い出していった。
P66 恩寵と人間の自由意志の問題にかんして、イエズス会とドミニコ会、大学の間で議論が起こり、互いに相手を異端呼ばわりしていたが、教皇は異端呼ばわりヤメロと言った。
P125 中国への宣教の際に、イエズス会の宣教師は地理、暦、天文学などの知識をもたらし信用を得た。孔子崇敬、祖先崇拝などを許す譲歩も見せた。
P150 現地信仰に容認的なイエズス会に対し、ドミニコ会が噛み付いて論戦になったりした。ジャンセニスト、フランシスコ会、カプチン会も論戦に加わった。最終的に上記の譲歩は禁止され、イエズス会士は現地で困り、中国宣教は停滞した。
P163 イギリスにおいて、プロテスタント色が強い中、カトリックの新しい国王がカトリック寄りの政策を行おうとしたところ、国王は追い出された。これが名誉革命(意外とロクでもない)。
P243 カトリック側は「プロテスタントってさー、聖書のみ、からじゃ、聖書が何を意味してるのかわからないんじゃね? プロテスタントの見解って、要は聖書についてのルターやカルヴァンやツヴィングリの見解なんじゃね? 聖霊の働きによる内的確信っていうけど、それって狂気とどう違うのよ?」という論法を用いた(懐疑論的方法)。
P244 ↑しかし、この態度はカトリック自体にとってもブーメランであって、当時の人は啓示についての教会の保証に盲目的な信頼を寄せていた。
P245 オラトリオ会士のリシャール・シモンは『旧約聖書の批判的歴史』を著し、聖書の原写本が皆無であること、何人も古代ヘブライ語を正確には解釈できないことを証明することで、改革派の聖書への依存を論駁することを意図したものと考えられる。
P257 キリスト教の教えは社会制度レベルや政策ではあまり影響がなかったが、個人個人がキリスト教的良心に従って自発的に慈善に励み、極端な窮乏状態をいくらかでも凌ぎやすくする程度ではあった。イエズス会は伝染病流行に際しては名門出身のイエズス会士にも病人への奉仕を要求しており、伯爵なども感染死している。
P422 徳川政権に対し、プロテスタント信者(三浦按針)は、ポルトガル・スペインの貿易を締め出すために、日本侵略という讒言を持って彼らの信用を失墜させようとした。(このへんが原因なのか……)
P427 崇伝はキリシタン取締の理由付けとする「排吉利支丹文」を書いたがそれは以下のようなもの。「かの伴天連の徒党、みな件の政令に反し、神道を嫌疑し、正法を誹謗し、義を残なひ、善を損なふ。罪人あるを見れば、すなわち欣び、すなわち奔り、自ら排し自ら礼す。これを以て宗の本懐となす。邪法にあらずして何ぞや」。(確かに、罪人を喜んで拝んでるよな……)
P451 徳川幕府によるキリシタンネガキャンの結果、キリシタンは邪宗門という意味になり、ときとして、仏教の新しい思想や運動さえも「切支丹」のラベルが貼られて弾圧を受けるようになった。伴天連は不道徳な怪物や魔術師のイメージとして国民の記憶に残るようになった。
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