【4/2】メモ「キリスト教史3」


 これを読んでのメモ。

キリスト教史〈3〉中世キリスト教の成立 (平凡社ライブラリー)
マイケル・デイヴィド ノウルズ ディミトリ オボレンスキー
平凡社
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P44 ヘレニズムの世界観は「世界中(=ローマ文化圏)」。ローマ文化圏の外のやつらは蛮人であり、いずれはローマの文化的社会に組み入れられるべきと考えている。ビザンティン教会もこの路線であって、福音をもたらしてやろう、という感覚。外交政策と宣教活動が協同している。

P45 しかし、↑のような路線は、相手側にとっては「政治的権益を守りたいから福音に従わない」「従来の宗教を守りたいからビザンティンの保護下には入れない」といったようにマイナス面を世俗権力、教会側共にもたらした。


P46 当時の宣教師は煉瓦の教会を立て、木を植え、種を撒き、奇跡をおこなって、洗礼を授けたという。(これらの農業化が受け入れる側のポイントになったのか? 宗教知識と技術が同時にもたらされる、的な)

P56 スラブの人たちが現地語で聖書を読めるように古代教会スラブ語が生まれたが、フランクの宣教師たちが「ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語以外でやるなんてうさんくせえ」みたいな言いがかりを付けてきて、教皇が変わるたびに「オッケー」だとか「やっぱダメ」だとかグチャグチャやって、最終的には「やっぱダメ」に落ち着いた。それからも200年くらいはスラブ語が続いた。

P72 カール大帝はすごくやる気のある人だったので、正統的信仰をプッシュした。といって、皇帝教皇主義というレッテルを貼るべきではない。

P108 個人の私有財産である教会、「領主」の「家臣」である司祭という概念が、600年頃にはある地方で、その一世紀あまり後にはいたるところで見られるようになり、その後400年に渡って西ヨーロッパのほとんど全域の特徴となる「私有教会」の制度が誕生。(要するに、司教区の影響力を離れた教会が個人的に作られて、その教会では任命権などが司教になく、教会所有者の俗人に握られた、ということか?)

P110 このような教会の私有化に、キリスト教側はそれなりに抗おうとしたけど、あまり甲斐もなく、だんだんと世俗権力に握られていった。教会はすっかり不動産になって、有用な資産になった(十分の一税を徴収できるので)。教会を十分の一所有する、なんてのもできたりして、司祭は僅かな土地と十分の一税を託されるけど、税金を収めなければいけない立場となった。

P124 グレゴリウス一世の頃、教皇はローマの市政担当者となっており、皇帝の会計係みたいなポジションだった。584年にイタリアの総督が無能だったので、グレゴリウスが代わりに頑張った結果、聖俗両面で実質的にローマの主となる。グレゴリウス自身(彼は元貴族)が相続した土地+皇帝から与えられた土地が後の教皇領となる。

P126 教皇領は権謀術数で手に入れたわけではなくて、なりゆきでこういう形になったのだけど、その後、教皇領が教皇職の付随物みたいになったので、後の教皇たちがしばしば自分の義務を忘れることになってしまった。

P153 六世紀以降、教皇は皇帝とコンスタンティノポリスの総大司教という二大勢力を常に反対者として抱える形になった。皇帝は総大司教を従属させることができたので、総大司教の権威を増大させた。なお、他の総大司教はインスラムに征服されて消えてった。

P168 13世紀のエジプトの単性説支持者は、8世紀頃、イスラム勢力によりローマ領だったアレクサンドレイアが占領されたことを「解放」と価値判断している。

P172 単性説派を取り込んで宗教的統一を図ろうと、皇帝ヘラクリウスが単勢力説や単意説を強調したが、無駄だった(この辺の違いは部外者から見れば、「もうどれでもイイじゃん」という感じでしかないが)。皇帝コンスタンス二世は「もうこういう議論するのやめようぜ」と言ったが(『論争禁止令』。気持ちはよく分かる)、みんな無視ったので、皇帝キレた。

P173 コンスタンティノポリス公会議でキリスト単意説は排斥され、カルケドン公会議の流れに戻る。ちなみに単意説を普及した教皇や総大司教は破門されてる。

P175 ローマとコンスタンティノポリスの間の地域をスラブ人が占領しちゃったため、キリスト教会の東と西に、いわば異教徒の壁が築かれて物理的に遮断され、仲違いを増大させた。同時にビザンティンの方ではギリシア語が公用語のラテン語に取って代わった。

P180 ビザンティン教会を分裂させた聖画像破壊論争のもともとの由来は、ユダヤ教から継承したあらゆる形での宗教芸術に対する敵意。実際に心酔者はしばしば画像と、それが表すものの区別を無視していた(ので、実際問題としては正画像は問題と言える)。

P182 聖画像崇敬者側の理屈は「わざわざ受肉して見えるようになってくれたんだから、見える形で画像化したっていいじゃねえか」という感じ(ダマスコスの聖ヨアンネス。これも一理ある気がする)。また、神にのみ捧げるべき「礼拝」「崇拝」と、キリストや聖人の画像に払うべき相対的な「崇敬」を本質的に区別したらしい(何が違うのかよくわからん)。なお、この人は皇帝が集めた司教の会議で満場一致で破門された(それなりにちゃんとした理屈だけんど、見事に無視されんのな)。

P183 レオ三世の聖画像破壊勅令(730年)を拒んだ人は追放や手足切断、死刑になってる。(この辺になると教義の問題で死人が出る)。実際には修道士対策?

P184 後世、正教徒からは「迫害と異端の絶頂期」とされる時代らしい。(しかしまあ、聖画像破壊だってそれなりに理はあるんだから、異端というのもどうだろう。信仰のあり方を正しくしようとしたら「迫害」になるのか)

P184 聖画像崇敬者の皇后が集めた司教会議では、今度は聖画像破壊が異端ということに決まった。(なんだこの茶番は……)

P186 レオ五世の教会会議(815年)では、今度は再び正画像の破壊が布告された(またか……)。でも、この間に破壊派はエネルギーが枯渇して、843年には再び崇敬派が勝利した。

P196 教皇は聖画像を擁護(意外だ……)。ビザンティン皇帝から領土を取り上げられるなどしたため、敵対ムードが高まり、教皇はフランク帝国と手を組んだ。しかし、この段階ではまだ東と西は(キリスト教世界は)一体性を保っていると彼らは認識していた。

P197 収まった後も、「おい、かつて破壊論者だったやつらどうするよ」「許せねーよな」「いや、許してやろうぜ」でゴダゴダやってた(ギャグだ……)。それと裁治権をめぐる争いやフィリオクエ論争などなどで、またしてもローマ教会とビザンティン教会は不仲になったり、仲直りしたりした。

P202 ビザンティン教会側は、ローマの総大司教(=教皇)を、総大司教の中で首位だとは思ってたけど、それでも教皇がこっちのことに口出ししてくるのは干渉問題だと感じていた。「教皇がお母ちゃんで自分たちが子供だってんならいいけど、女主人でオレたちが奴隷だってんならごめんだね」という感じ。

P206 西ゴート族のアレイオス説に対する防衛として「フィリオクエ」が使われだして、カール大帝が熱烈に採用したが、ローマでも11世紀初めまでは、「神学的には正しくても、ニカイア信条を変えちゃうのまではちょっとなあ……」という感じで受け入れてはいなかった。ブルガリアでローマからの宣教師がフィリオクエを使ってるのを見て、ビザンティン教会側はビックリして論争に至った。

P206 ビザンティン教会側は「ニカイア信条を変えちゃダメってことになってるだろ、やるならちゃんと公会議開けよ」ってのと、「三位一体の神妙なバランスが崩れちゃうだろ」ってことで反対してたらしい。後者はどうも父からではなく子からも聖霊が出ちゃうと、父と子の「違い」が曖昧になっちゃうでしょ、ということらしい。(自分たちで勝手に作り上げてきたよく分からない理屈をよく分からないレベルでぐちゃぐちゃやってて、なんともヒマだなあ……という感じ)

P220 単勢力説は、人間的と神的と、二つの意志がキリストにあるのではなくて、単一の活動原理を持つとする。これが改良?されたのが単意説で、単一の意志を持つとする(違いがよく分からない……)。

P224 ビザンツ皇帝が「単意説」を推し進めると、教皇側が断罪し、さらに皇帝側が「もうそういう議論しちゃダメ」って禁止令を出したら、それも教皇が無視したもんだから、皇帝は怒って教皇側をギタギタにしたりして、こうして(一応仲直りはするけれど)東西教会の 仲はどんどん悪くなっていった。

P230 ビザンティンの方では軍事的に優秀な皇帝が再征服を果たして、オレたちスゲエんじゃねムードに陥り、西方をバカにして、教皇側もドイツ皇帝を後見とし、独立を再獲得したので調子に乗ってて、お互いに挑発的なムードになっていった。

P234 分裂の種は、まず皇帝がキリスト教の中で力を持ち始めたことにより、ローマから東方へ(首都遷移の関係か?)政治的文化的重要度が移行してしまったことに見いだせる。

P246 修道院は祈りと労働の生活から、専門職的な、聖職者の団体となった。世捨て人から社会の一部へ。写本や著述などが通常の修道院の仕事となった。

P270 告解は以前は大々的なもので、いろいろと大変だったし、公開制だったし、二度は許されなかったりしたけど、国民のほとんど全てがキリスト教徒になるとそんなだいそれたことはやっとれんので、しばしば行われる私的告解、つまり今の形になった。修道院(院長にしばしば過ちを告白していた)の慣習が民間に広がったのもある。9世紀頃。

P271 免償とは、悔い改めと告解の後も残っている罪を、祈りやら巡礼やらで解消すること。過ちに対して償いが決められていたけど、その償いを別な方法に変えて赦しを与えることができるようになった。十字軍に参加すれば全免償!

P271 一方、11世紀の民衆は混乱して、免償を天国へのパスポートか護符だと思ってた。

P273 聖職者の再叙階の問題も持ち上がった、異端的とかでアウトな司教の叙階した司教は無効というもの。でも、これは対立する聖職者をアウトにして、その聖職者の叙階した聖職者を無効にするという事態が生じた。

P278 パンがキリストと同一かどうかとか、それは物質的なのかとか霊的なのかとかでも揉めたらしい。

P351 グレゴリウス革命は聖職売買とニコライ主義(聖職者独身制反対)に対するもの。

P351 聖職売買は恩寵を魔法と混同するものなので異端とされた。

P353 ニコライ主義は主義というよりは、司祭はみんな結婚してましたよ、普通に、くらいのニュアンスか? 教会財産が遺言とかで消費されるのが問題視されたらしい。

P366 グレゴリウス七世は叙任権闘争(世俗による聖職叙任)で皇帝と争った。皇帝を破門にして敵対勢力の追い落としが有利になる状況を作って皇帝に謝罪させたり(カノッサの屈辱)、逆に皇帝から廃位させられて追放されたりと、色々と生々しい政治的闘争をやってた。

P393 テンプル騎士団(神殿騎士修道会)は聖地巡礼の護衛と保護のために組織され、また、東方への往路復路にある旅行者の世話に献身する正ヨハネ騎士修道会などの騎士修道会がこの頃に出現。

P418 イングランドでも国王が教皇側の権力を制限しようとしたり、教会側がそれに抵抗したりしてた。(こういうのどこでもやってるんだな……)

P430 教皇献金なる、教皇が各地の教会、修道院の認定料として徴収していたシステムがあるらしい。(初期教会の頃からやってること変わらねえな……)

P447 十字軍の起源と促進者の動機は議論の的だが、ヨーロッパを悩ますノルマン人その他の剣を教会の敵に向けようという意図があったと思われる。

P454 ともあれ、十字軍編成において教皇が熱狂させたことで教皇の立ち位置は強くなった。後々、その残酷な責任が教皇座に帰せられるとしても。

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