【6/24】「ルカ福音書」感想


ルカ福音書

・マルコではイエスはポッと出のあんちゃんだったのが、マタイだとイエス出生の秘密から語られ出して、ついにルカに至ってはイエスの師匠のヨハネの出生秘話まで語られだしちゃったよ。これがヨハネになると、さらに遡って「はじめに言があった」まで行くわけか。

・あー、このヨハネ出生秘話は「ヨハネ教団で語られてたもの」という説があるのか。なるほど、すごい納得。キリスト教団がわざわざこっから作るのも変な話だもんな(まあ、それもやりかねん気がするが)

・ガブリエルってルカに出てくるんだー。久しぶりのネームド神話キャラ。本にする時はこういうファンタジー世界でおなじみの顔ぶれは下世話に全部まとめておきたい。 ルカ1-19

・ガブリエルが訪れると相手は大体ビビってるww この辺の感覚は新鮮だなーw まあ、ジャニーズアイドルでも急に家の中に入ってきたらそりゃびびるわな。ルカ的にはヨハネとイエスは親戚ってことになるっぽい。1-29

・「わが主の母上が私のもとに来てくださるとは」(ルカ1-43)「今から後、もろもろの世代は私を幸いな女と呼ぶでしょう」(ルカ1-48) マリア自身がえらい高められてるな。マルコだとイエスはただのあんちゃん→マタイだとイエスは生まれもスゴイ→ルカでとうとうイエスの母ちゃんまでスゴイ。

・ルカは話を引っ張るなー。まだイエス生まれてもねえよ。ヨハネの誕生さえ仰々しく書いてる。これ、後代になったらマリヤの誕生から仰々しく描かれたりしたんじゃねえの?(新約聖書外典『ヤコブ原福音書』がまさにそうらしい)

・【メモ】洗礼者ヨハネも自分の活動を「罪の赦しを与える」ものとして位置づけていた。

・ルカ福音書には、マタイが言うような「ヘロデ大王の幼児虐殺から逃れるためにエジプトに行った」的な記述は全くないな。出生譚からして明白に矛盾している。本当にこれまでキリスト教徒はどうやって聖書を無矛盾だと信じてきたんだ?? それとも普通に矛盾はあるものと認識してたんだろうか。

・ルカに書かれてる鳩の捧げ物は出産からの清めの捧げ物で、長子を買い戻すのは別件で5シュケルだったらしい。この金額、田川先生によれば感覚的には10万円以上とのこと。ルカは「出産からの清め代」と「長子の買い戻し代」を混同してるらしい(略解は巧くごまかして説明してる)。ルカ2-23

・これ、確か「お優しいヤハウェはそこらのモレクと違ってお前らの子供を犠牲に捧げろなんて言わないよ」「犠牲にする代わりにマニーを出せばいいんだよ」っていう流れだったと思うけど、穿って見ると祭司階級が「命もらうより金もらった方がオレら潤うよね」ってだけの話なんじゃねえかなあ。

・ちなみに理屈としては「長男は捧げ物にしろ」「でもお金で買い戻していいよ」というものだったはず。あくまで理屈上の話だけど、その意味では子供を犠牲に捧げるモレクなんかと変わらない。なおヤハウェが長男を捧げ物にしろと言ったのは純然たる嫌がらせらしい(エゼキエルが言ってた)。

・子供イエスが神殿で大人相手にうんぬんやってイエススゲーの下りって、その前段階として、エルサレムからおうちに帰る途中だったイエス一家が、一日経ってから「あ、息子がいない!」って気付いたらしい。……それはいくらなんでもないんじゃないかな。2-41

・マリヤ「もう、なにやってんのよ! お父さんもお母さんも心配したんだからね!」 イエス「心配? ハァ? 私が父の家(神殿)にいるとか当たり前じゃないですか、常識的に考えて」 イエスうぜええええwww

・洗礼者ヨハネ「(徴税人に対して)命じられた額以上の徴収はすんな!」「(兵士に対して)ゆすったり恐喝したりすんな! 給料で満足しろ!」 あ、いいこと言ってるな。徴税人に対して「徴税という仕事自体するな」と言わない辺り、現実的なバランス感覚を感じる。3-12

・しかし、ヨハネはマタイだとパリサイ派やサドカイ派に対して、「蝮の裔め!」ってひどいこと言うんだけど、ルカだと群衆に対して同じことを言ってるので、まるで、大多数を相手にする時は何をさておきまずは暴言から入るパンクロッカーみたいなイメージだ。3-7

・マタイとルカでイエスの家系図が違うwwww なんか今までの細々とした矛盾点とか不一致とかどうでもよくなるなーww 本当にキリスト教徒はどうやってこれが無矛盾だと(ry 3-23

・<メモ>イエス・キリストは「メシアであるイエスさん」だけでなく、固有名詞的に使うこともよくあるらしい。

・イエスが地元では大工の小倅扱いされる話はルカだとヒートアップしてて、怒り狂った地元住民によりイエスが崖から突き落とされそうになるんだけど、イエスは「彼らの只中を通り抜けて、歩き去る」らしい。バトル漫画みてーなシーンだなー。(トキの有情断迅拳が近いか?)4-28

・マタイのイエスは「異邦人なんかに福音を説いてやるヒマはないぜ!」って感じだったけど、ルカだとむしろ「おまえらユダヤ人なんか救ってやんねーぜ!」というニュアンスを4-25~で出してる。まあ、これからの記述で(ルカの描く)イエスの態度がどう変わるか分からんけど。

・田川「ルカのこの書き方が最も漫画的にスーパーマン的である」 田川先生も同じところで同じことを思ってるwww 年齢が50年近く違っても、やっぱルカ4-30は「漫画みてーだなー」って思うところなんだwww

・マルコだと、イエスが病気を治してたら民衆が押し寄せてきたんで、「こりゃかなわんぜよ」という感じで立ち去ってたイエスだけど、ルカになると「いや、オレ、他の町でも福音を告げ報せなきゃいけねーから」って理由で立ち去ることになってる。4-42

・失礼。さっきのツイートはミスだ。マルコだと「こりゃかなわんぜよ」的なニュアンスがあるんだけど、でもマルコでも「宣教のために他に行く」という箇所があった。ルカだと群衆が引き止めてるんだけど、マルコだと弟子が引き止めてる。

・<メモ>マルコ「手をとって起こす」→マタイ「手に触る」→ルカ「言葉で命令する」。イエスの奇跡能力はどんどん言葉に還元される傾向が見える。4-39(40では「手を置いて」るが)

・<メモ>ルカでも明らかにイエスは神の子でありキリスト。

・田川先生いわくマルコのイエスが「お前らが罪人とレッテルを貼ってる徴税人をこそ社会的に迎え入れなきゃダメだろ」と言ってるのが、ルカ5-33だと「ダメダメの徴税人こそ悔い改めに導いてやんなきゃダメだろ」という単純な宗教説話に変えちゃったらしい。「皮肉のニュアンスが消えた」は岩波も言及。

・ルカ5-39「古い葡萄酒を飲んでから新しい葡萄酒を欲する者はいない」は普通に読むと、「キリスト教よりユダヤ教の方がいい」となってどういうこっちゃと思ってたけど、田川先生いわく「マルコを写したのにルカが何も理解できてなかった」らしい。確かにそう考えないとここは理解できないなぁ。

・十二使徒の人員設定もマルコ・マタイとルカで違うんだ……! イエスの家系図といい、福音書は明らかな矛盾点がぽんぽん出てくるなー! 6-12

・ルカ6-20~は、田川先生いわく「群衆が目の前にいて話を聞きたがってるのに、イエスは弟子にしか語ってあげないという、ルカの群集嫌いがにじみ出た箇所」とのこと。確かにそうとしか読めないけど、語る内容自体は弟子に限定してるわけではない。……単にルカがあまり考えてないだけだろうか。

・あー、田川先生の言ってる意味理解できた! 田川先生の理解によると、ルカが「弟子に対して話す」時の弟子ってのはペテロとかではなくて「理念的キリスト信者集団の投影」らしい。「群衆」を無視して「理念的なキリスト信者に説いた」ということか。

・マタイだとやけっぱち気味に「右の頬を打つ者には~」と言っていて反骨精神を発揮しろ的なニュアンスなんだけど、ルカだと頭に「敵を愛せよ」とあるので、そういう文脈で語ってるのかしらね。6-27

・今さらだけど、ルカ7を読む感じでは、愛ってのは「親切」って概念と似たようなもんだと思っていいのかな。

・「愛は寛容であり親切である」(コリント第一13-4) パウロに言われると「やっぱ違うんじゃないか?」と心配になってくるふしぎ……!

・「少ししか赦されない者は、少ししか愛さない」(ルカ7-47) 少ししか愛さない者は少ししか赦されない、なら分かるけど、どういうこっちゃ。先に「赦される」という行為が来るわけだから、じゃあ、愛の多寡は自分の心がけじゃなくて、自分を赦す誰かの心意気次第ってことになるんじゃね?

・「人は神に罪赦された分、愛の人です。つまり自分の罪の深さを知っている分、愛します。自分の罪深さを自覚しない人は他者に厳しく、残酷です。自覚している人は、優しく寛容です。人は神に愛された分、愛し赦します」 はー、なるほど。こう理解するのね。

・ルカ8-2によるとイエスは資金源として女性を連れていたらしい。悪霊祓いしてやったマグダラのマリアとか、よく分からないけど支配階級と思しき階層の人妻とか。心霊治療を施してやった女性とか金持ちの奥さんとかを資金源にしてると言うと、まるでうさんくさい新興宗教だよなー。

・イエスが気が狂ったと思っておっかさんが迎えに来るシーンは、ルカ8-19だとそこら辺のマリア不敬描写がオミットされた上で、でもイエスが「私の家族は神の言葉を聞いて行うやつのことだよ」って言ってるから、単に家族に対して冷たいやつになっちゃってるな。マリアをフォローしようとしたら、マリアが悪いわけじゃなくなったので、そんなマリアを拒否ったイエスが薄情に見えるようになった、という話。

・ルカ8-55では「霊がもどってきて」女の子が生き返るんだけど、霊をそういうものだと考えると、8-26のレギオン退治がよく分かんないな。レギオン(悪霊)を豚の中に入れて豚を溺れさせて殺すんだけど、悪霊はどうなったの? 豚から出ても近くでふらふらしてんじゃね? これ、解決してんの?

・田川先生いわく、死んで呼吸しなくなった状態のことを「霊が出ていった」、再び呼吸するようになったことを「霊が戻ってきた」と表現してるだけで、そんなおどろおどろしい話ではない、とのこと。なーるほど。悪霊の下りとは別件で考えた方が良さそうね。

・十二使徒を遣わす時、マルコは「杖だけしか持って行くな」だったのが、ルカだと「杖も持って行くな」になってる。ドラクエで例えれば「ひのきのぼうも装備させずに旅立て」といったところか。

・「神の国を見るまでは死を味わわないものがいる」はマルコにおいては田川先生の解説にしたがってイエスの皮肉と考えてもいいけど、ルカは明らかにそのつもりで書いてないよな。でも、ルカが福音書を書いた頃、十二使徒は大抵死んでただろうし、ということはルカ的にはすでに神の国は来てたんだろうか? ルカ9-27

・田川先生いわく、ルカ的な神の国は「そのうち来る終末的ビジョン」というよりは「個人レベルで獲得する真理」くらいの意味らしい。ならば「死ぬまでに宗教的真理に達する者がいる」くらいで理解可能。一方、略解は「イエスの変貌、昇天、聖霊の注ぎ」を神の国到来の要素と考えてるらしい。

・ルカ9-51 ヤコブとヨハネ「主よ、サマリア人のやつらが主を受け入れてくれませんでした! 主は天から火が下り、彼らを焼き払うように私どもが命ずることをお望みですか!」→イエス「やめろバカ」。なんだこれwwww ルカは別に弟子を悪く書く気もないはずなんだがなー。

・「裁きは終末の時に、神に属す。イエスは弟子たちの力の乱用を戒める」。略解はこう解するのかー。そこは普通に「イエス優しいですね」で良さそうなもんなのに、キリスト教徒はこえーなー。まあでも理屈上はこう解するしかないとも思う。

・9-53 イエスがエルサレムに向かってるからサマリア人が受け入れないってのも地味に分からんぞ。そもそも「受け入れる」が何を指してるのかも分からんが、エルサレムへの旅行者には宿を貸さないとかいう意味なんだろうか? しかし、どこへの旅行者とか分かるもんなんかね??

・<メモ>ルカのころには、イエスが人類救済のために十字架で死んで復活する、というドグマが確立していた。

・9-57 略解は「神の国には家族を第一義的とする者はふさわしくない」とあるが、イエスに付き従うために家族に別れを告げに行くことのどこが「家族を第一義」としているのか。従う事の方が第一義になってるから別れを告げに行くんじゃねーの?

・ルカ10-7「彼らの下にあるものを食べたり飲んだりせよ。なぜなら働き人がその報いを得るのはふさわしいことだからだ」。宣教に出たら人の家に上がりこんで飲み食いしろ、宣教してんだから当然の権利だ、という何言ってんだお前的な箇所。ちなみに受け入れられなかったら呪いの言葉を吐いて去ります。

・ルカ10-4「道で人と会っても挨拶すんな」「でも人の家に入ったら挨拶しろ」 ルカはこの辺混乱してるんじゃないかなあ。

・マリヤムとマルタの話(イエスのためにテケテケ給仕してたマルタよりも、仕事をせずにイエスの話だけ聞いてたマリヤムが褒められる)は読むたびに毎回思うし、誰でも同じことを思うんだろうけど、これで現実世界が回るわけねーよなー。10-38

・略解はこの辺なんのフォローも入れてない。「確かに現実のあれこれは生きる上で大切だが、それよりもイエスの言葉を聴く事の方が~」くらいのフォローはすればいいのに。ドグマバリバリでお気楽なのか、それともヘタな言い訳は見苦しいだけだという潔い態度なのか。

・そういやアビラのテレサは「お祈りは楽しいけど、そればっかりやってたらダメだから皿洗いとかちゃんとやりなさいよ」って修道院で言ってた気がする。

・ルカ9-50「(自分たちのグループにいなくても)あなたたちに逆らわない者は、あなたたちに味方する者なのだから」 ルカ11-23「私と共にいない者は、私に敵対する者だ。また、私と共に集めない者は、散らす者だ」 ルカやっぱなんも考えてねえな。

・イエスをごはんに誘ってあげたパリサイ人が「メシの前に手を洗わないんですか!?」ってびっくりしたら、そっからイエスが延々と、延々と、本当に延々とパリサイ人を批判して呪いの言葉を投げつけた挙句に出て行った。ルカ11-37

・ルカ12-16 金持ち「わぁい豊作だ。よし、大きな倉を建てて蓄えよう。これで今後も楽に生きていけるぞう」ヤハウェ「愚か者め! お前の魂は今晩取り上げるぞ! お前の備えたものは一体誰のものになるのだ!」 愚かな金持ちの譬えは、堅実で計画的な金持ちの譬えにしか思えないなー。

・金持ちがまっとうなやり方で財を蓄えたっていいじゃない。その財で隣人に親切にするかもしれないんだしさー。イエスだって、金持ちの人妻をパトロンにしてたくせにねえ。経済活動を批判しても、自分は経済活動に依存せざるを得ない辺りは仏教のジレンマと同じだな。

・田川先生の言うように、12-21はルカが勝手にくっつけた凡庸な結論で、譬え自体は20節で終わってて、「金持ちもさー、ばかばか稼いでもさー、死んだら終わりよね」くらいのことをイエスが言っただけだと考えれば確かに納得できるなー。

・「今回ピラトに殺されちゃった人たちは他のみんなと比べて罪深かったとかいうわけじゃないんだよ」なら不幸な目に遭った人への慰めと取れるけど、続けて「だから、お前らも改心しなければ皆滅ぶのだ!」と言われると、イエスの人間性を疑いたくなるくらい酷いな。ルカ13-1

・ルカ13-6「実を結ばないいちじくの木の譬え」は、人間に利用できない木など何の価値もないから切り倒してしまって構わないという傲慢さに溢れてるな。ヤハウェの人間に対する傲慢さがよく表現されており、大変巧みな譬えだと思います。

・ルカ13-25は、言いたいこととしては「オレたちが宣教してやってんのに改宗しなかったやつらが、いざ終末の時に泣きついてきても知んねーかんな」ってことなんだろうけど、譬えの方はまるで話として成立してねーな。そんなら無理して喩え話にしなきゃいいのに。

・ルカ13-31ではヘロデ・アンティパスがイエスを殺そうとしてる……?? ヘロデがイエスを手にかけようとしたのはルカで初出じゃないかなー。マルコ、マタイにはなかった気がする(敵対設定はパリサイ派、サドカイ派、ヘロデ党、律法学者あたりだったか)。

・ルカ14-7は社交生活のテクについて語ってるようにしか見えないぞ……(「上座に座って、もっと下に行ってくれと言われたら恥ずかしいから最初から下座に着きましょう。そうすると、もっと上に行くように勧められるよ」) これが神の前での謙遜というのは無理がないか……?>略解

・ルカ14-25~33の流れは理解できないな。無一文になって家族を捨ててオレに付いてこい、というのと、計画を立てて事を為しましょう、状況を把握して冷静に立ち回りましょう、というのがどう繋がるんだ?? 単純に考えると「やぶれかぶれになるのが正解だ」なんだけど……。

・田川「まるで意味をなしていない~、ルカは、このあたり少し自分の仕事にあきてきて~、手抜きで思いつきの説教をつけ加えてお茶を濁そうとしただけだろう」 またか。またルカが何も考えてなくて真面目に読み解こうとするとバカを見る展開か。それでも解説しなきゃいけない略解も大変だよな。

・む、逆パターン。ルカ15の「失われた羊の譬え」「失われた銀貨の譬え」は、今度は田川先生の問題意識が分からないぞ。ここはちゃんと譬えになってるよーな気がするんだが。まあ、後で加藤先生の「新約聖書のたとえを解く」を読めばなんか分かるだろう。たぶん。

・ルカ16-1~13の流れが全く理解出来ない。金持ちの財産管理人が不正をして、管理職を取り上げられそうになったので、金持ちから借金してるやつの借金を勝手に棒引きして歓心を買い失職に備えようとする話で、なぜかこれを金持ちが褒めるっていう。岩波訳は皮肉と判断。それでも9節以降が理解不能。

・略解では「パンピーが世俗的利益のために賢く振舞うように、神の国のために賢く振舞うべき」と解釈。なんだそれ、って感じだけど、皮肉と解するよりは9節以降に繋がる気がする。助けて田川せんせー。

・田川先生によると、悪いのは執事じゃなくて金持ち、不当な利息を取られてる人たちの借金を執事が主人に黙って減らしてあげていた。「不正な執事」の「不正」は譬えの内容を何も理解できなかったルカが付けたもので、9節以降はルカがずっと混乱してるだけ、とのこと。

・田川先生のはすごく分かりやすいけど、しかし、「不正な」はルカの蛇足だ、という推測込みで読む態度は正しいんだろうか……。そこまでやっちゃっていいのかなあ。また、4節の内容は打算的に過ぎて、執事がそんな善人という気はしないのだけど。田川先生といえどここの説得力はイマイチだなー。

・直前までの意味が取れないからルカ16-14は意味が分からない。16節への接続も意味不明。17節は16節と矛盾してないか? 18節に至ってはルカが気が狂ったとしか思えない程に意味不明な接続。「ルカは何も考えてない」に一票投じたい。

・さっきの「気が狂ってる」はちょっと言い過ぎたなー。何も考えてないだけで、気が狂ってるわけではないな。一見するとキチガイっぽい展開だけど、何も考えず思いつくままポンポン並べたらああなった、というのは理解できてきた。ルカさんごめんなさい。

・17節が16節に矛盾してる問題も「旧約聖書の時代はヨハネまでで終わったけど、まあそれはそれとして、これからも旧約の律法は守りますよ」という主張と考えれば、ユダヤ教徒への言い訳じみていて男らしくないだけで、矛盾という程でもないかな、という気がしてきた。

・ルカ16-19の「ラザロと金持ちの譬え」は、金持ちが黄泉に送られる理由がないんだけど、この当時、金持ちであることは不正を行ってることと同義、という前提で読んでいいんだろうか。にしたって乞食のラザロが何か良いことをしたという記述もないのだけど。

・ルカ17-7の譬えは、言いたいことがあるのは分かるけど、そのために利用した譬え自体が倫理的に受け入れにくい話になってるという、これまでも何度かあったパターン。まあ言いたいことは分かるんだけどね。なお田川先生によれば、「ルカ12-37と矛盾してる」とのこと。

・ルカ17-21「神の王国はあなたたちの只中にあるのだ」。岩波訳は「一つ一つの現実が神の王国の活ける譬えそのもの」、略解は「イエスの働きにより神の国は既に現実のものとなっている」、田川先生は「神の国はあなたがたの現実の可能性(もっと現実に目を向けろ、くらい?)」と解釈。

・イエスの神の国概念を知るための重要なポイントかと思ったけど、これだけ解釈が分かれてたら何の参考にもならんなあ。他にも、「神の王国はイエス自身のこと」「神の王国は心理的なもの」という解釈もあるらしい。

・裁判官と寡婦の譬えはどうなんだこれ? 職務怠慢の裁判官でも寡婦にしつこくせっつかれれば面倒なので擁護する、ましてや神が助けないだろうか、という論理なんだけど、「しつこく祈ってヤハウェを根負けさせましょう」的な話に聞こえる。求めよ、さらば与えられん、と似たような話だなー。

・田川「それとこれでは、まるで話がつながらないではないか」。ですよねー。

・ルカ18-22は金持ちに「お前の持ち物を全部売り払って貧乏人に寄付しろ」なんだけど、マルコとマタイの並行箇所では「お前の持ち物を売って貧乏人に寄付しろ」。「全部」が付くと私有財産の否定的なニュアンスになるわけで、イエスが何を考えてるのかがガラリと変わる。困るなーもうー。

・直前では「金持ちは全財産貧乏人に寄付しろ」って言ってたのに、ルカ19-8では「半分寄付したらグッジョブ」になってる。やっぱ前のはルカがテキトーに「"全て"寄付しろ」って書いちゃっただけなんだろうな。

・ルカ19-11~よく分かんねーなー。田川先生の言うとおり、なんか分からんけどイエスはこう言った、福音書記者はこういう意味だと思ってた(でも勘違いしている)というのは多分実際あって、よく分からんものをちゃんと考えた方がいいのか、それとも勘違いを疑うべきか考えるのはすごく不毛だ……。

・ルカ20-36には「裁きの日の後に復活するのは神の子」なる表現が。少なくともこの箇所での「神の子」は「熱心なヤハウェ信者」という意味。

・イエスをダビデの子だなんだと外野がぎゃあぎゃあ言ってるのに、イエス自身が「キリストがダビデの子なわけねえだろ、JK」と言ってる問題に対して、略解は「イエスには二段階あって、今はまだダビデの子だけど、復活したらダビデの主になるんですよー」。なんという涙ぐましい努力。

・ルカ21-32「これらすべてのことが起こるまでは、この世代は過ぎ行くことがない」。略解とか「この語句は難解」って書いてるけど、「イエスはこう預言したが普通に外れた」という解釈は書かんのかね。「現に外れたんだからイエス様はそういう意味で言ったわけではない」という手順はどんなものか。

・田川「21-16で弾圧の結果死ぬ者も出てくるって言ってるのに、18節で『髪の毛一本失われることがない』ってどういうことだよ」。まったくだよなwww ぱらぱら読み飛ばしてたから自分ではスルーしてたぜ。くそー。

・ルカ22-24はイエスが食卓で弟子にパンを配ってあげたから、「私はあなたがたの中で奉仕者のようになった」とイエスが言う文脈かと思ったけど、田川先生によるとパンを配ってあげるのは家父長の権限に属するらしく、ルカがこれを奉仕行為だと勘違いしたらしい。これは言われなきゃ分からんなあ。

・<メモ>22-30はペテロたち死と集団の意識の表現だが「十二支族を~」とある通り、終末論的世界観といっても家すら得る民族の範囲内でしかものを考えていない。

・ルカによると、ユダの裏切りはサタンがユダの中に入ったかららしい。どうしてサタンが入るのか分からないが(どうしてサタンに選ばれたのか?)本人の意向に関わらずサタンが入ってきたなら特にユダに罪はない気がする。サタンにしたって神の計画のうちって話なんだし。ルカ22-3

・イエスが弟子に「服を売ってでも剣を用意しとけ!」の下りはよく分かんないなー。岩波は「イエスの皮肉」。略解は「闇の力のもとで自己を守ることを比喩的に語っている」(こりゃないな)、田川先生は「弟子が剣で切りつけたのは、イエスが容認することを言ってたのだ、という予防線」とのこと。

・田川「世の中の誰がいったい、激しい苦しみのせいでのんびり居眠りしたりするだろうか」 いやー、でも、泣きつかれて寝ちゃうことはあるんじゃないかなー(「苦しみ」は「悲しみ」とも訳せるらしい)。少なくともルカはここではそれをイメージしてると思う。ルカ22-45

・ああ、剣の下りで略解が「闇の力のもとで自己を守ることを比喩的に~」って言ってたのは世迷言かと思ってたら、22-53の「今はお前たちの時、闇の支配だ」を下敷きにしてたのか。単に「敵対勢力からの自己防衛を比喩的に~」くらいか。ついに略解の気が狂ったのかと思ったよ。ごめんなさい。

・田川先生によると、ルカは大祭司邸での裁判の記述を整理(?)して単純化しようとした結果、少しずつ時間設定がズレていって、にも関わらずマルコに倣って3時に死んだことにしたので、捕らえた翌朝にユダヤ人側の裁判→ピラトのとこでの裁判→十字架準備→ゴルゴダへ→イエス死亡が慌ただしくなってるらしい。

・ピラトがイエスを尋問する→ヘロデの下に送る→ヘロデがイエスを尋問する→ヘロデがイエスをピラトに送り返す→ヘロデとピラトが親友になる。……意味が分からない。どこに仲良くなる要素があったんだよ。ルカ23-1

・田川「外交的に対立してたのが、このときは友好的に同じ意見になった、というだけの文」。はー、なるほど……。

・ゴルゴダに向かう途中のイエスが、周りで泣いてる女の子に向かって「むしろ自分のために泣け」「子供を産まなかった人は幸いだ、という日が来るだろう」「自ら死を求める程、酷い目に遭うだろう」とか言ってるんだけど、これ、単に自分が死ぬ前に周りに呪詛を吐き散らしてるだけじゃね?23-27 (「死を求める」ではなく「救ってくれ、守ってくれ」の意味かもしれない。略解、田川先生はそちら)

・マタイ・マルコ「我が神、我が神、何故我を見捨てたまいき」 ルカ「父よ、汝の御手に我が霊をゆだねます」 末期のセリフまで違うじゃねーか! ルカ23-46

・ルカ24-21「彼こそ、イスラエルをやがて解放する者だという希望を持っておりました」 ん……? ということは(少なくともルカ的には)当時のイエスの弟子たちは、イエスをユダヤ教の文脈におけるメシア(軍事的、政治的指導者)と捉えていた、ってことでいいのか??

・田川先生の訳だと「私たちは、彼こそがイスラエルを贖うべき方と期待していたのです」。贖うって言われると途端にキリスト教ドグマっぽくなるなあ。いや、旧約でも贖うという概念はあった気がするけど。あれ? ユダヤ教のメシアって「贖う」んだっけ??

・イエスが復活したのにみんな信じてくれないので、イエスはみんなの前で焼き魚をもしゃもしゃ食って、「ほら、幽霊じゃないだろー」ってやってるww ルカ24-41

・ルカ24-45「その後、彼は彼らの知力を開き、聖書が理解できるようにした」。つまり、旧約聖書のどこにも書いていないようなことを、あたかも書いてあるかのように牽強付会して読み解き、自分勝手にドグマを作れるようになった、ということだな。

・ルカ24-46「(旧約聖書に)このように書いてある――キリストは苦しみを受け、死人たちの中から三日目に起き上がる。そして、彼の名において罪の赦しに至る改心が、もろもろの国民に宣べ伝えられる~」←特に書かれてないらしい。

・田川「『聖霊』というのは、近頃のファンダメンタリズムのキリスト教みたいに、わけのわからないうさんくさい『信仰』を信じこむことではなく、何か力を身につける、それだけの実行力と勇気を身につけることであった」 ほへー。ルカ24-49

・ルカ終了。田川先生はマタイの時も「ふるぼっこにしてるなー」と思ったけど、ルカに対してはさらにけちょんけちょんだった。でも、(マタイはともかく)ルカは素人の僕が読んでもひでえ仕事だと思う手抜きっぷりだった。ルカは時々ほんっとに投げやりになるよなー。

・しかし、ルカにしてもマタイにしても、まさか数千年後にいちいちマルコと比較されて、「ここは手抜き」「ここは改竄」「ひどい換骨奪胎」「何も理解できてない」「全然知識がない」「テキトーに書いてるだけ」などと延々ぶつぶつ言われるとはまさか想像だにしてなかっただろうな。

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