【5/27】メモ「旧約聖書の誕生」


旧約聖書の誕生旧約聖書の誕生
加藤 隆

筑摩書房 2008-01
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 これ読んでメモ。

・創世記しょっぱなの植物と人の創造の順番に関する問題はふつうに矛盾。旧約が一つの物語だと考えるから矛盾と感じるのであり、もともと別の二つの物語なら不思議ではない。「一つの物語」と捉えるかどうかは旧約全体に関しても言えること。(P6)

・加藤先生はイスラエル民族がまとまりある民族として成立した時期について、「さまざまな立場がありうる」としつつも、出エジプトを通じてとしている(出エジプトまでは史実であるという立場?)。ヤーヴェ崇拝が「ユダヤ教」になったのはバビロン捕囚期。p11

・「儀式は神への愛や神への感謝に表現の然るべき形をあたえるものである。(中略)したがって然るべき儀式は、人における神への愛の最高の姿である。(中略)儀式は一度定式化されると、容易に形骸化してしまう」←宗教儀式の積極的な捉え方。「父の日母の日といった機会に日頃の感謝を込めて贈り物をする」 p28

・モーセ五書の「編集」が行われたのは前五世紀~四世紀(これまでは「聖書」はなかった)。ペルシアの支配下の頃。それ以前にモーセ五書の物語はいくつかあった(資料説)。このモーセ五書が核となって他の文書が付け加えられていった(ただし、「他の文書」ももっと前から存在してる。)p28

・39の文書からなる「旧約聖書」がユダヤ教で確定されたのは一世紀後半の「ヤムニア決定」。ただ、この構成はユダヤ教の認識でキリスト教はまた別。p32

・【メモ】ヘブライ人、イスラエル人、ユダヤ人の名称の区別について p48

・除酵祭はもともとカナンの農業祭。それをイスラエル民族が自分たちの祭りとして採用して除酵祭(エジプト脱出やったぜ記念祭)になった。カナンの影響なんだから、もちろん出エジプトの時からあったわけではなく、後世における出エジプトの意味付け。p62

・加藤先生「(出エジプトの際に)エジプト人から財宝を奪う余裕があったのに、パンに酵母を入れる余裕がなかったって、そりゃ通らねーぜ」 言われてみれば全くそのとおりだよなwww p64

・ヤーヴェ資料ではヤハウェは人間かのように戦う。ヤーヴェ資料においてはエジプト軍は敵であり、神が戦うべき相手。一方、祭司資料ではエジプト人も「ヤハウェが主であると知る」となり、エジプト人にとってもヤハウェが主となる(普遍主義的な立場)。p80

・創世記一章のヤハウェ像は普遍的(ヤハウェが人を全部作った)だけど、これは祭司資料によるものとされてる。二章、三章はヤーヴェ資料。祭司資料が四資料の中では一番新しいテキストとみなされている(バビロン捕囚以降)。創世記の頭で「ヤハウェは全宇宙を作ったんだぜ」的なオンリーワンの神像になってるのはバビロン捕囚以降の影響か? p81

・ヤハウェはまず救済者(奴隷からの解放者)として認識され、創造者と認識されたのはその後(創世記に示された普遍的傾向よりも出エジプトの方が先ということか)。p87

・出エジプトの民だけで(カナン定着後の)イスラエルが構成されたわけではなく、出エジプトの集団と地元のカナン人により(抗争劇を経て後に)イスラエルは構成され、そこから振り返って出エジプトが強調されるようになった。十二部族は最初はユダとシメオンを除く十部族だったと考えられている。p90

・ソロモンの「知恵」とは政治的手腕という意味。(エデンの園での「知恵」とはまた別物なんだろうか)p93

・王=神の子という設定。(だから、イエスが神の子を名乗ったら、王になる野心がある、つまり、政治的クーデターを企む危険人物、という風に見られたんだろうか?) p97

・旧約では神殿について、はっきり賛成する立場とはっきり反対する立場が書かれている。p99

・十二部族以外の者(ダビデが戦争で勝って連れてきたのとか)をヤハウェ信仰に組み入れるために、創世記12-1~3で「アブラハムを祝福の基」とし、「アブラハムに優しくしたら神が味方してくれるよ!」という形にした。(アブラハムを受け入れる=当時のイスラエル王国の権威を承認する) p103

・創世記の知恵やソロモンの知恵など、「知恵」は否定的に捉えられているが、箴言3では肯定的に位置づけられており、これらの「知恵」に対する立場の辻褄合わせは不可能。聖書は一つの論理で全て理解できないと理解すべき。p121

・預言者は、神と民のコミュニケーション不全を解決するために遣わされる。神は自分が伝えたいことを一挙に民全員に伝えさせれば良さそうなものだが、そうはせずに「預言者」という方法を用いる。p130

・愛とは、相手が無価値であるにも関わらず捨てないこと。無価値であるから捨てるという合理性を捨てた異常なこと。人は愛を貫けないが神は愛を貫ける。(DV夫としか思えないヤハウェを捨てないことが神への愛なのだろうか)p145

・神話級美人局が数度にわたって行われているのは、一つの話の原型のマイナーチェンジバージョンが資料ごとにあったから。p150

・アブラハムとイサクの件は実際に子供を犠牲に捧げる習慣が当時もあって、それを止めるためにアブラハムの名前を使って物語にしたのではないか? p152

・アブラハム、イサク、ヤコブは実際に血縁関係にあったわけではなく、「アブラハムを祖先とするグループ」「イサクを祖先とするグループ」「ヤコブを祖先とするグループ」がイスラエルの諸部族の中におり、それを一つの民族にまとめる時にこの三人が親子関係で結ばれたのかも。p154

・罪は、「的はずれ」の状態(個人的には「人間側の契約不履行」と考えた方がすっきりするけど)。北は滅んでも南は残ったので、「ヤハウェは言うこと守らんダメな神」と南のやつらは言い切れずに、人間側に罪(契約不履行)があったということにした。p170

・申命記はモーセの律法を当時の状況に合わせた、いわば律法Ver.2.0。実際の成立は北滅亡後にレビ人たちが作ったものがマナセ王に隠されて、ヨシヤ王が発見したのではないかと考えられている。(マナセは「民族主義者どもが作ったこんなアホな掟に従えるか」と思ったんじゃなかろうか) p184

・バビロニアとアッシリアは被支配民族を団結させない方向で支配したが、ペルシアはそれぞれの民族の独自性を伸ばす政策で支配した。それにより、被支配民族同士で団結できないようにした。ユダヤ人の神殿建設のお手伝いをサマリア人に許さなかったのはペルシア帝国の指示かもしれない。p247

・エズラがモーセ五書を作ったのは、「各民族ごとに自分とこがどういう原則で生活していくのか明文化して提出してね」というペルシア帝国の政策によるものかもしれない。ペルシア帝国に提出しちゃったので、一字一句修正できない「聖典」になってしまった。p252

・ネヘミヤ8で朗読している「モーセの律法」がエズラの編集したモーセ五書ではないかと考えられている(が、もっと小さな別のテキストかもしれない)。エズラはバビロンである程度編集したものを持ってきてた? p272

・いろんな立場の主張を盛りこんでも、とにかく一つの文書にしてしまえば、形式的には全体としてまとまりのあるテキストができる。単純な掟集にすれば、明らかに矛盾する規定が並ぶことになるが、物語形式ならば大きな問題とはならない。矛盾ではなく、民族融和のためあえて相対化している?p275

・これはおもしろいなあ。聖書は矛盾してるんじゃなくて、神はその時その時で立場が違うよ、っていう意味合いをユダヤ人が持たせたとする解釈。すると、未来においても、これまでの傾向とは全く別の「神のおことば」を登場させる余地が残る、と。しかし、面白いけど、そんなもんどうやって信仰するんだ?

・ミドラシュ(解釈の方法)の学問的解説は「聖書を<宗教的意義>において意味あるものとするもの」。ところで、「こじつけ」を正当化する表現が「深いところにある神の本当の意図」。聖書から適当な一節を取り出して適当なことを言って、「これが神の本当の意図」といえば、聖書からなんでも言うことができる。p281

・紀元後一世紀くらいのユダヤ人は既に旧約聖書のテキストをそのままではなく、当時の時代に即した形で読んでいた。もちろんキリスト教徒も。翻訳(タルグム)の過程で(解釈が入るので)意味するものが変化する。p285

・ルツ記はエズラの外国人との結婚禁止に対するカウンターと考えられてる。偏狭な民族主義ではない神像。この立場は新約のイエスの系図でも継承される。p290

・帝国というとなんだか悪いイメージがあるが、帝国支配は異質な諸民族が共存することにもなり、それなりに平和になる。民族間の交流が行われ、商業都市も生まれ、異質な者を認め合うメンタリティ「コスモポリタニスム」にも繋がる。p306

・ヘレニズムの帝国はコスモポリタンな雰囲気により民族単位の団結が崩れるようにしたが、ユダヤ人はシナゴーグのシステムにより民族的アイデンティティを失わなかったばかりか、どうもシナゴーグシステムは外から見ても魅力的だったらしく、非ユダヤ人もユダヤ教徒になったらしい。p313

・ヘレニズムの帝国におけるコスモポリタンの中でのユダヤ人共同体は、戦後の都会における創価学会みたいなイメージで捉えて良いのかしらん。

・「オレたち神の民なのに、なんでギリシャやローマに支配されてんの?」問題には、いずれ帝国をぶっ潰して独立するんだよ派と、んなわけねーだろ、神の前で義であればいいんだよ派があって、後者がサドカイ、ファリサイ、エッセネなど。熱心党は前者なのかな? p315(熱心党はそのとおり。p320も参照)

・ユダヤ戦争前のユダヤ人勢力としてはサドカイ派(神殿大事)、ファリサイ派(律法大切)、エッセネ派(人里離れて修行)、ヘロデ派(ローマ大好き)、ゼロテ派(テロる!)があったけど、ユダヤ戦争後はテロは潰され神殿は破壊されて親ローマもアレなんでファリサイ派的なあり方に統一される。p322

・儀式と律法を順守すれば、人は神の前で正しくなれる、と考えるのが敬虔主義。敬虔主義だと自分の力で神に「正しい」と認めさせることができる。対して律法主義では人間にできることは「律法を守る」ことだけで、正しいかどうかは神が決めることになる。ユダヤ教では一世紀末に律法主義に収斂し敬虔主義は退けられたが、キリスト教では曖昧。p334

・神が無から世界を創造したことになったのは第二マカバイ記の頃(紀元前二世紀末) 創世記では分けることにより天地を作っている(創世記の該当場所を見ても僕にはよく分からない) p357

・黙示文学は著者は偽名を使い過去の聖人が書いたことにする。これにより、過去の聖人から今の時点までの「過去の歴史」を全て予言として書くことができ、その的中率を前提にさらに未来の予言(本当の予言)に信憑性を与えることができる。p362

・イエスの「わが神、わが神、なにゆえ私を捨てるのか」は詩篇22からの引用。イエスは詩篇22全体にリファーしてると考えるべき。詩篇22は「捨てられたかと思ったけどやっぱり神はスゴイぜ見捨てないぜ」なので、十字架上でのあれも別に「神に捨てられたー」というわけではない。p414

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