【4/26】「旧約聖書 諸書」感想


 旧約聖書、歴史書の感想(ツイッターより転載)。読んだ本はこれ。

旧約聖書〈4〉諸書―詩篇・ヨブ記・箴言・ルツ記・他
旧約聖書〈4〉諸書―詩篇・ヨブ記・箴言・ルツ記・他旧約聖書翻訳委員会

岩波書店 2005-06-28
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詩篇

・詩篇には「セラ」「指揮者に」「弦による」などの意味不明な言葉が頻出する。どうも「おそらく音楽用語」らしいが、しかし、よく分からないみたい。

・詩篇5-12の岩波注によると、ヘブライ語では神と人との関係を表すのに特別な語句は用いず、人と人との関係の語句を普通に使うらしい。「神の名を愛する」の「愛する」も普通の「愛する」らしくて、この時点ではエロスだとかアガペーとかはない(?)のかな。

・詩篇6-6の「オレの病を癒せよ、死んだらてめーを讃えることもできねーんだからよー」はなんかスゴイな。ヤハウェは気に食わないやつを好きに殺せるけど、殺し切っちゃうと誰にも讃えられなくなり、ある意味、神の座から転落するっていう。

・詩篇7「ダビデのシガヨーン」ってなんだ……。注にも「意味不明」しか情報がない……。一発ギャグみたいな響きだ……。

・【メモ】出エジ20-5に「三代四代まで罰がいくぜ!」ってある。

・ヤハウェは「曲がった者に対してはねじけて振舞う」(詩篇18-27)らしい。そう言われると今までのヤハウェのムチャクチャも「相手が(ヤハウェから見て)曲がってたから」で一応説明つくなあ。

・【メモ】22にエリエリサバクタニ

・「ヤハウェの声は水の上(略)ヤハウェは多くの水の上」(詩篇29-3)。これ、パッと見だと「ヤハウェは天に住んでる」くらいのニュアンスだけど、解説によると神の敵である「水」の制圧らしい。で、旧約の「原初の水」ってティアマトなので、ここら辺、実はヤハウェvsティアマトなんだそうな。

・「オレを癒せよヤハウェ、コンチクショー! 死んじまったらてめーを崇めることもできねーんだぞ、損得勘定もできねーのか」って論調がまた出てきた(詩篇30-10)。この点、ヤハウェにとってもジレンマなのかもね。ぶっ殺したいけど、殺しきったら誰にも崇めてもらえなくなっちゃう。

・思えば人間に自由意志を与えたのも、自由意志を持ってるやつに崇めてもらわないとつまらなかったからかもしれない。ゲームのイージーモードみたいなもんで。それでハードモードにして自由意志を与えてみたら、あまりに難しかったのでブチギレて衝動的にROMカセットを叩き壊したのがノアの洪水。

・ヤハウェの怒りを免れたい時は慈悲とか憐れみとかに期待するよりも、「今私を救うとヤハウェにもこんなイイことがありますよ!」、もしくは「今私を滅ぼしちゃうとヤハウェにこんな不都合がありますよ!」が有効な気がする。後者はモーセがやってた。

・「『告白しよう、わが不義について、ヤハウェに」と。するとあなたは取り除いてくださいました、わが罪への罰を」(詩篇32-5)。ありゃ? ヤハウェが罰を許してるぞ……?? モーセ五書のどこかでは素直に白状した民を一瞬でブチ殺してたのに、どうなってんだ???

・書いてる人の立場が違うのかもしれない。民に近い側からすれば、「反省したらヤハウェは許してくれるよ!」で、宗教者側は「許さねーよ、ヤハウェはちょー厳しいんだよ!」なのかも。注釈書によれば詩篇32も8節以降の厳しめの内容は宗教者によるものではないかとされてる。

・詩篇34-1についてる岩波の注が容赦ない。「アビメレクじゃなく、アキシュの間違い。たぶん書いたやつの勘違い。いずれにしろ、34節の詩の内容とは無関係」

・詩篇35-21に出てくる、人の不幸を笑う声の音訳は「ヘアーハ」らしい。ヒャ、ヒャッハー……?

・「ヤハウェよ、あいつらをブッ殺して下さい! あいつらが弱った時、私はあいつらのために祈ってやったのに、私が弱ったらあいつらはゲラゲラ笑ったんです! マジムカつくからブッ殺して下さい! あいつらのための祈りも自分に返りますように!」(詩篇35)。旧約はほんと敵を許すという発想がない。

・今のも「あいつらは私を嘲笑ったけど、それでも私はあいつらのために祈ります」くらい言えばカッコイイのに、「あいつらブッ殺して下さい! 今まで祈った分も回収したいです!」とか言うもんだから、現代人の感覚からすると、"いわゆる「聖職者」"のイメージからはほど遠いなぁ。

・詩篇41は、瀕死の病から回復した人がヤハウェを賞賛する話で、それはいいんだけど、後半からは「あいつらは見舞いのフリしてオレの醜態をばらまいてた」「オレの悪口を言ってた」「あいつらに報復できるよう立ち上がらせて下さい!」とか言い出して、お前、それ被害妄想じゃねーの、って思っちゃうな

・詩篇44の論理は新しいなー。「ヤハウェ何やってんだよ、オレたちを救えよー。オレたちちゃんと契約守ってんだから、お前も働けよー。……え? だって、オレたちが契約守ってなかったらヤハウェはオレたち殺すだろ? 今生きてるってことはちゃんと守ってるってことじゃん? ちゃんと救えよー」

・ちなみにさっきのは新共同訳ではそのようには読めない。岩波訳と口語訳だとそう読める。……しかし、ヤハウェからすれば、「ばかやろー、いままさにおめーらを殺そうとしてんだよ!」ってことで反論可能だよなー。

・44章まで、「ヤハウェよ、あいつらをブチ殺して下さい!」「助けてヤハウェー!」「ギャー! 私が何をした、ヤハウェー!」以外に内容が皆無だった詩篇が、45章に入ると急に王様へのおべっかになった。意味が分からん。

・ヘブル書によれば、詩篇45章は「王様へのおべっか」ではなくて、「キリストの預言」になるらしい。しかし、45章でおべっかされてる王がキリストを指すとしても通俗的すぎるだろ。「イエスの娘さんに良い女友だちができますよ」的な内容じゃん。当時のキリスト教徒は何を考えてたんだ??

・詩篇46-10に反戦的なニュアンスが出てくる。旧約はなんかずっと誰かが戦ってるか、ヤハウェが誰か殺してるかなイメージだけど、現代のキリスト教の非暴力なイメージに沿った箇所もなくはない。(注によれば他に詩篇76-4、イザ2-4、ホセ2ー20など)

・詩篇49は流石に「死からの復活」を言っているとしか思えないな……。かつてのユダヤ教には死後概念は基本的にない(ので死者復活もない)という話だが、この頃には死者復活という概念が出てきたんだろうか???

・詩篇50だと、「ばーか、オレは生贄の獣とか食わねーよ、そんなもんいらねーんだよ」って言ってる。モーセ五書の時はアホほど食ってたくせに。これ、たぶん「生贄いるよ派」と「いらないよ派」で意見が別れた結果なんだろうな。

・詩篇51の20~21は「19までイイコト言ってるんだけど、後代の人が意味を理解できなくて、訂正のために追記したものではないか」と学術的には考えられてるらしい。ホントだとしたらなんだか間抜けな話だな……。

・詩篇55「うわああ、町民全員が私を攻めてくるうう。親友も私を裏切るううう。ヤハウェよー、あいつらを皆殺しにしてくださいー。皆殺しにー」。前々から思ってるんだけど、預言者とか詩篇作者とかは被害妄想なんじゃなかろうか。

・しかし、ヤハウェも「あんた強いんでしょ!? あいつら殺してよ! ねえ、殺してよ!!」って延々言われてたら、そりゃ頭おかしくなりそうだよな。だから、ヤハウェはあんな誰彼構わず殺すようになっちゃったんじゃないかと、ふと夢想した。

・「熱心にヤハウェ信仰してたら、周りのやつらに笑われました! あいつらをブチ殺して下さい!」(詩篇69)。ほんとすげーカルトっぷりだ(ただし、「ヤハウェ信仰の熱心さのせいで嫌われた」ではなく、「病気で死にかけてる人が周囲に対してキレてる」という解釈もあるらしい)

・詩篇69-29に「いのちの書」なるアイテム名が出てきた。名からして重要アイテムっぽいが、説明がないので詳細は不明。未鑑定アイテムってやつだな。ボッタクル商店か酒場で飲んだくれてる司教なら鑑定できるかもしれん。

・詩篇73は「神がいるのに、不法者が栄えてて、マジメに信仰してるオレばかみたい」っていう導入で、これ自体はすごく重要な問題提起なのに、アンサーが「はっ! いまビジョンがみえた! ヤハウェは不法者をギッタギタにする!」だったのが残念すぎる。幻覚オチww もっと真面目に問題に向き合えw

・詩篇82でヤハウェが神さま会議に出席して他の神々をディスってる。この時のヤハウェと他の神の関係性はよくわかんないなー。他の神々は「いと高き方の子」らしいんだけど、これは聖書中ではヤハウェを指すことが多い一方で、元来はカナン神話の神格らしく、そちらの意味かもしれないとのこと。

・しかし、やっぱこの時代はヤハウェの他にも神々がいたことは自明であり、書き手も読み手も、その他もろもろの神を意識してたんだな。そん中で「ヤハウェがナンバー1」という意識はあったにしても。ヤハウェがオンリー1になったのはどのタイミングなんだろう。

・詩篇84-7「雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう」(新共同訳)、「諸々の祝福をも秋の雨が覆う」(岩波訳)、「また前の雨は池をもってそこをおおいます」(口語訳)、「しかも祝福をもって,教訓者は自分の身を包むのです」(新世界訳)

・こうして比べてみると、新共同訳は文章として読めるように大分工夫してる感じがするなあ。たぶん、岩波訳や口語訳のが逐語的で原文には忠実なんだと思う。そして、忠実ゆえに意味が分からない。新世界訳はこの部分七十人訳を参照して「教訓者」にしたっぽい。

・詩篇86の8~10に「ヤハウェは他の神々と比べてもダントツでスゲエ」「ヤハウェだけが神だー」ってのがあるんだけど、このテキスト、日本語で見るかぎりは矛盾してるよな。ヘブライ語だとまた別のニュアンスになるんだろうか。

・しかし、詩篇ってのは変なテキストだよなあ。「ヤハウェが絶対助けてくれるさ、大丈夫!」ってのと、「ウギャー、ヤハウェー、私が何をしたー」「ヤハウェ助けてくれるんじゃなかったのかよ!」ってのが同時に収録されている。

・「オレ、マジメに信仰してんのになんでこんな目に遭うの?! 分かんないよ、ヤハウェ!」「分かんないけど、信じてるよヤハウェ!」ってのが詩篇にはいっぱい出てくるけど、これは何気にリアルな信仰を示してるのかもしれん。そりゃ真面目に信仰してもヒデエ目に遭うし、それでも信じるしかないよな。

・詩篇103の9‐10はなんでヤハウェを寛容な神に描写してるんだ?? ヤハウェはワンミスで直ちに殺すじゃん。具体的な寛容描写はないくせに、「ヤハウェは寛容だー」とかさらりと書くから、後世の聖書読んでないキリスト教徒が「ヤハウェは寛容なんだー!」とか言い出すんじゃねえの?

・大体、しばしば出てくる「ヤハウェは慈しみ深い神」っての、あれ、文脈的には「ブチギレて半殺しにはするけど、全殺しまではしない」って意味だしなあ。

・詩篇105-25によると、出エジプトの際、エジプト人がイスラエル人をいじめてたのは、あれはヤハウェがそのように操作したかららしい。また、お前のせいか……。てか、ヤハウェがエジプト人をけしかけなければ、エジプトから出る必要もなく仲良くやっていけたんじゃん。なんだこれ。

・読書百遍といいますか、クソツマンネー詩篇も延々と読んでるうちになんか分かってきた気がする。なんつーか、これはヤハウェ信者のリアルなリリックなんじゃないかなー。「諸国民コロセー」も「ヤハウェ何やってんのー!?」も全部彼らのリアルな心情なんだと思う。

・詩篇106-33によると、モーセに対してヤハウェがキレた理由は、モーセが黙って水を出せば良いものの、民数記20-10で前口上を述べたから、ということになってるらしい。(民数記ではヤハウェがキレた理由は読み取れない)

・詩篇には「ヤハウェよ、あいつらがAという悪いことをします。ブッ殺して下さい」ってのがよく出るんだけど、詩篇109では「ヤハウェよ、あいつらが私のことを『Aという悪いことをする悪人だ』と言うんです。辱めて下さい」ってなってる。内ゲバで死にそうなやつらだな……。

・「すべての全きものに私は終りを見た」(詩篇119-96)。あれ? なんかさらりと大変なこと言ってね?? 完全性も有限だって意味にしか取れないんだけど。じゃあ、ヤハウェも有限じゃん。新共同訳だと「何事にも終りと果てがあるのをわたしは見ます」となっててニュアンスが全然違う。

・んー、「全ての完全なものは有限だ(だがヤハウェの命令は違う)」って意味なのかな……。論理的には色々おかしい気がするが、旧約のそういうところにつっこんでもしょうがないよな。

・詩篇119はアホほど長かったけど、「迫害されてマジ辛いっすけど、ヤハウェのこと信じてるし、律法守るの楽しいです! ヤハウェ大好き!」しか言ってねー。

・詩篇122は「ソロモン神殿にお参りに行ってきたよー」って詩なんだけど、これ、冒頭に「ダビデの(詩)」って付いてるんだよな。誰が何を考えて付けたんだろうか。ソロモン神殿はダビデの息子がダビデの死後に作ったんだから參れるわけがないよなー。

・詩篇146-4には「死んだら霊が出ていって土に還る」といったイメージが出てくる。土から作った肉体に、ヤハウェからの霊が入ることで人間は生きるようになるといった生命観なんだろうか。岩波注によれば、昔は王や預言者にヤハウェから霊が与えられる(誰にでも霊が与えられるわけではない)とされていたが、捕囚期以降、人間や動物にはヤハウェからの霊が与えられる、という感覚に変わったらしい。

・詩篇おわた。よく言えば、情感の伝わる真に迫ったリアルなテキストで、悪く言えば独善性溢れるカルト的なテキストであった。しかし、詩形式で書かれたテキストはどれもつまらんなー。読んでて辛い。


ヨブ記

・ヨブ記の前提:「ヨブ=完全」。ここで言う「完全」とは、倫理的に完璧な聖人という意味ではなく、倫理的、信仰的であろうと努力する姿勢が完全という意味。つまり、ヨブも知らないうちに罪を犯してる可能性はある。

・ヨブ記の前提:「サタンは神の敵対者ではなく、天上において検察官的なポストのキャラ」。サタンも「神の子」らしい。ヘブライ語の「子」は息子とか実子とかじゃなくて、「あいまいな所属」を意味するらしい。「神の子」で「神に仕えてるもの」くらいの。「人の子」も「人」くらいなんだろうな。

・ところで、どうもヨブ記では、ヤハウェは天使を集めて定例会議を開くらしい。好き勝手やってんのかと思ったけど、ヤハウェも部下の意見とか聞くんだなー。注釈書によれば「古代オリエントには最高神を中心に神々が集まって地上で何をするか決める会議を開くという考えがあった」んだって。

・旧約聖書は色んな立場の人が色んな立場からテキストを書いてるから、ある著者のテキストを別の著者のテキストが真っ向から否定するみたいなことがあるんだなあ。ヨブ記はおそらく律法主義(因果応報思想?)に対する批判なんだと思う。

・ヨブ記を読むたびに思うんだが、ヨブは最終的にリカバリーされたからまあ良しとしても、ヤハウェの「わくわく義人実験」のために殺されたヨブの息子、娘、部下たちは本当にいい迷惑だよな。

・ヨブ2-9で妻が「あんた、もう神を呪って死んだら?」っていうのは、あれはどうも安楽死を勧めてる的な意味合いらしい。単に「もうヤハウェにブチギレてもいいんじゃね?」って意味ではないっぽい。ヤハウェ呪ったら死んで楽になれるよ、的な。

・で、これまで「神から幸いを受け取ってたのだから、災いも受け取るべき」とか言ってたヨブが3章から一転して、「こんなことなら生まれた途端、死んだ方がマシだったぜ!」とか言い出すんだよな。このヨブの急激な変化を注釈書では「この問題に答えるのは注釈書の限界を超える」として回答してない。

・ヨブ3では「どんな悪人でも死んだら楽になれるんだから、さっさと死にたい」的な話になってるので、やはり、死後に地獄とかは想定されてなかったと思われる。しかし、ヨブは「生まれなきゃ良かった」程度ではなく、ヤハウェの世界創造を混沌で覆いたいくらいのことを言ってる気がする。

・なんにせよヨブ3の時点で、僕的には完全にサタンの言い分が通っちゃって、ヤハウェ涙目な気がするんだけどな。ヨブ、もう全然ダメじゃん。

・エリファズ「因果応報じゃねーの? 神は間違わねーだろ。なんか悪いことしたんだろーし、これも愛の鞭なんじゃねーの?」(ヨブ4-5) うむ、今までの旧約の流れ的に全くもって正論だ。舞台裏を知ってるからそうじゃねーって分かるけど。

・しかし、これ、ヨブがエリファズの主張を認めて、「そのとーりだね。何か悪いことをしたんだろうから、必死に反省するよ」ってなった場合は、ヤハウェはどうするつもりだったんだろう。「いや、お前はなんも悪いことしてないんだけど、その態度が立派だから回復させてやろう」ってなるんだろうか。

・ヨブ「うるせー! とにかくクソ苦しいんだよ! てめーの説明が正しいかどうかは別として、オレが苦しんでんだから分かってくれよー!」(ヨブ6)。正論かもしれねーけど、つれーんだから、そんなこと言わずに優しくしてくれよ、くらいの意味か?

・さっきの解釈は注釈書に従うとそうなるんだけど、29節で「私の正義が掛かってる」とあるから、「エリファズはオレになんか落ち度があったって言うけど、そんなことねーよ。オレは悪くねーよ」っていうニュアンスもあるような気がするんだよなー。

・まー、正論だからって、それを言われて苦しい状況が慰められるわけじゃないし、苦しんでる人に「お前に落ち度があったからだ」と正論を言ってさらに苦しめるのは、それは友人の態度としてどうなの?ひどくね?ってのは、常識的に考えて理解できる問題設定だ。

・ううん、いまいち理解できないのだけど、ヨブ6の28-30でヨブはやっぱり「いや、オレ悪くねーよ! なんもやってねーよ!」って言ってるのかしら。じゃないと次の文脈に繋がらない。ヨブの一度目の応答は「うるせー、もっと優しくしてよ!」「それにオレが悪いわけじゃねーよ!」なのか?

・ビルダド「ちげーよ、お前がなんかやったんだよ、ヤハウェが間違えるはずねーだろ、とにかく反省しろよ」(ヨブ7)。まあ、これまでの旧約の文脈的には正論だもんな、やっぱ。ヤハウェは間違えないけど、実験的にひどいことをしてみるなんて思ってもないよな……。

・ヨブ記はあれだね。詩篇でたまに言ってた「ウギャー、ヤハウェ、オレが何をしたー!」の拡張特別編だね。構成的な流れは感じる。

・ヨブ「ヤハウェはくそつえーから、オレが正しくても正しくないことになっちまう。どうやっても勝てねーし、誰もオレを助けてくれねー。最悪の不当裁判だ! ヤハウェは義人も悪人も構わず皆殺しにするんだ! ヤハウェの目は節穴か? いや、あいつはオレが無実と知っててこんなヒデーことするんだ!」(ヨブ9-10)うん、確かに舞台裏を見るとそうなってる。なんも間違ってないぞ、ヨブ。

・ツォファル「なにいってんだ、このアンポンタン。やっぱお前がなんかやったんだって。反省すれば大丈夫だよ。きっと回復するし、悪人どもはちゃんとヤハウェがギタギタにするよ」(ヨブ11)。

・前も書いたけど、友人たちの勧めに従ってヨブが反省したらヤハウェはどーすんだろう。「ほらほらー、見ろよサタン。あいつ、何も悪いことしてねーのに、なんか悪いことしたと思い込んで、よく分かってないけど反省してるぜ? かっわいいなー。よし、回復させてやろー!」ってなるのかな?

・だとしたら、友人たちの言ってることは間違ってるけど(ヤハウェは因果応報してるんじゃなくて、「わくわく義人実験」してるだけ)、結果的には合ってたことになっちゃう。それでいいんかね? 読み進めていけば分かるんだろうか。

・ヨブ「うるせー、黙ってろくそどもー。オレはヤハウェに抗議してーんだ。てめーらもっともらしいこと言ってるけど、単にヤハウェに媚び売ってるだけじゃねーか! ヤハウェにブッ殺されるかもしんねーけど、オレは断固抗議するぞ! ヤハウェを無視してねーから、面前に出て抗議するんだ!」ヨブ12~

・これはどうも、「もっともらしい因果応報を語ってる友人たち」よりも、ヤハウェが間違ってると思うから抗議する方が、ちゃんと面前に出て分だけ義人だって理屈みたい。「悪いことしてねーけど、実際に罰されてるんだからきっと悪いことしたんだろう」と思うのは、かえってヤハウェの存在を無視してるんだとか、そんな感じ?

・よくわかんねーなー。ヤハウェは人智で及ばぬスゲー存在なら、罰が下ったなら、「知らんうちに悪いことしたんだな」と思って反省する(友人たちの理屈)のが当然のような気がするが、そうではなくて、面前に出て抗議して、「オレが何をしたんだー」の方が立派なのか?? 分からん。

・ヨブの理屈では、友人たちの態度は、単にヤハウェに媚びへつらって、かえってヤハウェをバカにしてるんだっていうけど、でも、友人たちからすればヤハウェの公平な裁きに対する信頼ってことだよなー。これが媚びへつらいなのか?? 分からん。

・ヨブ14で描かれる死生観はイマイチ理解できないが、「スゲー苦しいんで一時的に黄泉に匿って、後で復活させて下さい。まー、ヤハウェはそんなことはしてくれずに、私は苦しんで死ぬだけなんでしょうけどね!」と解しておく。

・岩波訳では死後の世界で苦痛を感じることになってるが、それはこれまでのヨブ記の死生観と不整合すぎる気がする。

・岩波訳では死後の世界で苦痛を感じることになってるが、それはこれまでのヨブ記の死生観と不整合すぎる気がする。死後の世界が苦しいんじゃなくて、新共同訳の注釈書のように「死ぬまでが苦しい」と考えないと、すっきりしないような。今まであれだけ「さっさと死んで楽になりてー」って言ってたんだし。

・ヨブ14は「死後に復活させて欲しいな。どうせしてくんねーんだろうけど!」って話だけど、そういえば、エホバの証人はここの前半のところだけを引っ張ってきて、「死後に復活あるんですよ!」的なことを言ってた気がする。死後の復活の例証として、ここを引っ張ってもダメなんじゃねえの?

・しかし、ヨブ14の13-15は理解できないな。14で言う「苦役の日々」が「生きてる間」なのか「死んでる最中」なのか分からない。死後を「苦役」とするのは、「死後=何もなくて楽」な今までの死後観から外れるし、生きてる間を「苦役」とした場合は、前後の文脈と齟齬をきたす。

・新共同訳は「人は死んでしまえばもう生きなくてもよいのです」と、「苦役=生きてる間」で解釈してるが、すると15節が意味不明になる。新共同訳の注釈書はまた分かりにくいが、どうも「苦役=死後」としてるっぽい。エホバの証人も「苦役=死後」。軽くググった限りは「苦役=死後」の解釈が多い。

・こういう読み方をしていいのか分からんが、個人的には一節ごとに矛盾をきたすほどのヨブの切羽詰った心理状況の描写だと考えるのが一番納得いくなー。

・エリファズ「おまえ、なにいってんの? もうヤハウェへの信仰失ってるじゃん。ヤハウェに逆らった悪人はギタギタにされんだぞ」。ところでエリファズって幻も見てるんだよね。理屈的には預言者と同じで神のメッセージをそのまま受け取ってるわけだから、その意味でも人間には否定できないはずだが。

・「ちょっとお前の息子焼き殺せよ」ってヤハウェに言われたアブラハムが何も考えずに焼き殺そうとして褒められたことを考えると、やっぱヨブよりも友人たちの言の方がこれまでの流れから考えて適切に思えるなあ。こっからどう展開すんだろ。

・ヨブ「うるせー、てめーら何度正論を吐く気だー。オレもお前らみてーに正論言ってみてーよ! お前らと立場を交換できるならな!」(ヨブ16) あー、分かった。理解できた。

・いろいろレトリック使ってたけど、こりゃ要するに、「皮相的な正論述べられても苦しいもんは苦しいんだよ! 現実はそんな簡単に割り切れねーんだ! そんな皮相的な正論で相手を押し込もうなんて、お前らが本気で信仰に向き合ってない証拠だ!」って話だ。うん、こいつはリアルだなあ。

・ここ、解釈が分かれてるみたいだけど、ヨブ16-9で、ヨブはヤハウェのことを「敵」と言ってるかもしれない(ここで「敵」が誰を指すのかはよく分からない)。しかし、だとしたら、サタン大勝利だなー。

・ヨブ16-18~21はさっぱり分からん。検察官兼裁判官がヤハウェで、被告人がヨブ。この状況でヨブが「弁護士」を想定してるんだけど、弁護士は一体誰なのか。ヤハウェだと考えるのが一番自然だけど(ヤハウェを相手に弁護できないから)、ヤハウェが検察官兼弁護士というのも意味が分からん。

・ビルダド「ヤハウェが怒ってお前を引き裂いたって言うけど、ちげーっつーの、お前がヤハウェに対して怒って、そんで自分を時期咲いてるだけだっつーの。悪人はギッタギタにされるんだから、お前はもうオワリだって」。友人たちも硬直化してきて、理屈よりもヨブをビビらせるパートが多くなってきた。

・ヨブ「確かにちょいミスはしたかもしれねーが、意識的な悪事はやってねー! ヤハウェはオレを不当に扱ってる! オレを責めるてめーらこそ、後でヤハウェにギッタギタにされるんだ! されるんだ!」 ヨブも頭に血が昇ってきた。

・ヨブ19-25~27はさっぱり意味が取れん。先ほど出てきた謎の「弁護士」がヨブの死後に冥府の塵の上に立って、その後、ヨブは生き返って?死んだままで?生死を超越して?ヤハウェを見るらしいが、弁護士が誰かも分からんし、ヨブがどうなってるのかも分からん。

・岩波訳だと弁護士はヤハウェだとして、「ヤハウェはヨブに敵対してるが、ヨブはそれでもヤハウェを信頼する以外にない」と解釈してる。で、ヤハウェは冥府にノータッチなんだけど、あえて冥府まで来てくれる、という解釈。ウルガタが弁護士をキリストと訳しちゃいたくなる気持ちも分かるなー。

・ツォファル「うるせー、このクソが! てめーのお説教なんて聞く気はねーんだよ! 悪人はギッタギタのボッコボコにされんだ。弱者をボコボコにしたやつはギタギタにされるんだ。てめーを助ける弁護士なんかいねーんだよ!」(ヨブ20)。おそらくツォファルはヨブが弱者虐待までしてたと示唆してる。

・ヨブ記は一般的な口論と同じで、最初の方は難解なテーマを理屈で話し合ってるので面白いけど、だんだんお互いに感情的になって、すぐに子供の口ゲンカみたいになっちゃうなー。

・ヨブ「てめーらは因果応報を説いて、オレが苦しんでるのはオレが悪人だからだって言うけど、現実に悪人どもは栄えまくってるじゃねーか! てめーらの因果応報論はウソっぱちだぜ!」(ヨブ21) お、良かった。子供の口ゲンカから議論に戻った。

・エリファズ「そんなことねーよ。やっぱお前が影で悪いことしたからだろー? あんなことやこんなこともしてんだろ?? 正直に反省しろよ」(ヨブ22)。これ、前節のヨブの「現に悪人が栄えてるじゃん!」の答えになってねーじゃん。

・ヨブ「ちくしょー、ヤハウェの前に出て抗議してえ。いかんせん相手が相手だからまともに論争はできねーだろうが、オレが潔白なことに気付いてくれるはずだ。まあ、ヤハウェは最終的には自分のやりたいよーにやるんだろうけど」(ヨブ23) ここでは、まだヤハウェに対しある程度の信頼が読み取れる。

・ヨブ「ヤハウェのやろー、実は悪人をボコるとか、興味ねえんじゃねえか?」(ヨブ24) しかし、次の章では因果応報論によるヤハウェの介入を否定してる。因果応報にヤハウェが興味ないなら、ヤハウェに抗議したって意味ないと思うんだが。はて?

・ヨブ24-22は全然訳が違うなー。「権力者が力を振るい、成功したとしても/その人生は確かではない」(新共同訳)「しかし神はその力をもって、/強い人々を生きながらえさせられる。彼らは生きる望みのない時にも起きあがる」(口語訳) 新改訳は口語訳寄り。岩波は良く分からん。

・ヨブ24-25も解釈が分かれてるっぽい。それはいいんだけど、岩波訳はちゃんとここに注を付けてくれよー。意味分かんないから矛盾してるようにしか見えないじゃん。かゆいところに結構手の届く岩波訳にしては残念なところ。分冊版にはちゃんと解説あるのかな。

・新共同訳は意味がすっきりしてて分かりやすく、読んでると聖書って明快なテキストのように感じられるけど、実際は色んな議論がある箇所をかなり意訳しながら読みやすさ重視で訳してるってことが分かる。その姿勢は良しとして、「新共同訳は(原本に比べ)スマートすぎる」ことには注意すべきと思う。

・新共同訳だけ読んでると、「聖書はすごく明確に人生の指針を示してる」って思うんじゃねーかなー。実際は聖書はもっと曖昧な代物で、新共同訳は数ある解釈のうちの一つを採ってるにすぎないのだけど、あまりにスマートで読み易すぎるから、これが正確に聖書の内容を示してると思ってしまいそう。

・ビルダド「うるせー、ヤハウェはスゲーんだよ! ヤハウェに比べたら人間なんて虫ケラなんだよ! ヤハウェの考えることなんか分かるわけねーじゃねーか!」(ヨブ25) スマートなアンサーだ。というか、実際、「わくわく義人実験」なんて知る由もないことをされてるんだから、ビルダド正解じゃね?

・ただし、先のはヨブ26の5-14を岩波訳に従ってビルダドの言葉と解した時のもの。新共同訳、口語訳、新改訳ではおそらくヨブの言葉としているが、こちらだと僕には意味が取れない(ただし、新共同訳などでも「ヨブが引用したビルダドの言葉」という理解も可能)。

・ちなみにエホバの証人はヨブ26-7を取り上げて、ヨブ記には科学的知見がうんぬん…って言ったりする。http://amba.to/eSHFRi http://bit.ly/fBJ0oe 岩波訳によれば、「神が空虚な空間の上に地を創造したとの考えは旧約聖書中でここだけ」らしい。

・ヨブ「オレは絶対間違ってない! 死ぬまで自分が義人だって主張するぜ! オレが正しくておめーらが間違ってんだ。悪人の末路みたいにヤハウェにギタギタにされろ! 因果応報!(笑) 悪人が栄えてるのはおまえらも実際に見てるだろうが、テキトーなこと言うんじゃねえ」(ヨブ27)

・よく分からない。ヨブ27-11は「ヤハウェは意図することを隠さない(ビルダドの言うように、ヤハウェは人間が分からんようなことはしない)」と読めるんだけど、だとしたら、ヨブは自分の苦難の理由を知ってることになるが、文脈上そんなわけがない。理解できない。

・ヨブ30でヨブが自分をバカにした街のやつらに対してすごいディスを開始した。いわく「犬以下の連中」「インポども」「ろくでなし」「素性も怪しい」「世間から叩き出されたもの」。しかも、これ、バカにしたやつら自身じゃなくて、その「父親」の悪口なんだよね。ヨブもたいがいな性格だよなあ。

・ヨブ30-27「わがはらわたは煮えくり返って鎮まらず」。ヨブ、ヤハウェに対して激怒してんのか。

・ヨブ31-29でヨブが自分の潔白を訴えるために、「オレは敵の破滅を喜んだりはしない!」って言ってるけど、おまえ、さっきまで友人たちに「ギッタギタにされろー」って言ってたじゃねえか。あと、預言書でも敵が破滅してキャッキャと喜びまくってたけど、箴言になるとこの態度が批判されるらしい。

・ヨブ31でヨブは神との対決姿勢を示してる。ヨブはノア、ダニエルと並んで代表的義人とされてるけど、自分の敵は口汚く罵るし、ヤハウェに対してブチギレてるし、対決的な姿勢も見せてるしで、そんなに唯々諾々とした義人ってわけじゃねーなー。

・ヨブ32-2によると、ヨブは神よりも自分が正しいと思い上がってたことになってるが、そうなのか? 「自分は社会的に見て正しい」「友人たちより正しい」とは言ってるけど、ヤハウェより正しい、というニュアンスは微妙な気がする。ヤハウェに抗議するとは言ってるけど、なんかちょっと違うような。

・ヨブの友人たち「おめーがなんか悪いことしたからこんな目に遭ってんだよ、反省しろやボケ」、ヨブ「オレは潔白だっつってんだろ、死ねやクソども」、エリフ「腑抜けの老害どもめ。ヨブを論破することもできんのか。オレが論破してやろう」。エリフはヨブを論破できんのかね。

・エリフ「ヤハウェはちゃんと夢とかで説明してるけど気付かないだけだよ。お前はヤハウェに抗議するんじゃなくて、ヤハウェに祈るべきなんだよ! 苦難もヤハウェの教育活動なんだからさー。お前は自分が潔白だって言ってるけど、そりゃ思い違いだぜ」(ヨブ33)

・よく分からない。ヨブの友人たちの因果応報論と違うのはどこなんだ? 「苦難は教育活動だから抗議じゃなくて祈れ」ってのは友人たちも、「悪いことしたからそんな目に遭ってるんだ、反省すれば助けてもらえる」って言ってて、何が違うのか良く分からん。

・「やってもない罪を反省しろ」ではなく、「ただヤハウェに祈れ」ってことなのかな? 27節で反省しているのが、抗議しようとしたこと自体なのか、それとも(ヨブ本人は高潔なつもりでも)ヤハウェから比べれば罪深いことに対してなのかが分からん。岩波と注釈書とでも解釈が分かれてる。

・エリフ「ヤハウェはちゃんと因果応報してるんだよ! <ただ、人間とは因果応報の基準が違うんだ。>悪人はちゃんとギッタギタにされるよ。<どのタイミングでそうなるかは人間には分からないけど>」(ヨブ34) ただし、<>内は新共同訳の注釈書によるもの。原文からは読み取れない。

・ヨブ34もさっぱり分からん。エリフの発言趣旨とヨブ友人たちの因果応報論の違いがいよいよ分からんぞ。新共同訳の注釈書に従えば一応理解できるが、とはいえ、あんな意味合いはどこにも書かれてない。納得できん。岩波だとヨブはヨブ記の最後までちゃんと回心しなかったと解釈してる。マジか。

・エリフ「ヨブは人間が良いことしても悪いことしてもヤハウェはノータッチだっていうけど違う。人間が何やってもヤハウェには影響ないけど、ヤハウェはそれ見てちゃんと裁きを下すから人間には関係あるよ。苦難に遭ったら(抗議するんじゃなくて)祈らないと聞いてくんねーよ?」(ヨブ35)

・ヨブ35もよくわかんねーけど、たぶんこんな感じかなぁ……。岩波訳と新共同訳で15節とか全然訳が違うし、10-12節の解釈も違う気がする。でも、たぶんエリフの要点は「抗議じゃなくて祈れ」なんじゃないかなあと思えてきた。祈りってのが何なのか良く分からんが。

・「祈り」が信仰的態度(ヤハウェへの畏怖?)のことだとしたら、ヨブの友人たちの態度も「祈り」なんじゃねえの? でも、友人たちのヤハウェへの「畏怖」が実際の苦難を伴わない表層的なものだとすれば、実際の苦難を経た後の「畏怖」こそが重要だって話なのかなあ?

・どうもエリフはヨブが実際には言ってないことも言ったことにして、「オレの中での極悪人のヨブ」に対して文句付けてる気がするなあ。岩波注はそんな感じだし、確かに見返してみても、ヨブは「ヤハウェが不義だ」とは言ってない。「オレを不当に扱ってる」程度は言ってるけど、これを指してるのかな?

・エリフ「苦難はヤハウェの教育的措置なんだよ! 懺悔するチャンスなんだ! だのに抗議してんじゃねー。ヤハウェはとにかくスゲーんだからよー」(ヨブ36~37) 25章のビルダドの言葉とあんまり変わらん気がする。どうもエリフは何が言いたいのか良く分からん。

・「苦難は教育的措置」だとして、ヨブの場合は何を反省すれば良かったんだ? 「ヤハウェに対して自分の潔白を主張したいと思った」ことが問題だとすれば、ヨブはどういう態度を取ればいいんだろう。あと、今回は「わくわく義人実験」だったので教育的措置とは関係ねーよな。

・ヤハウェ「オイ、コラ、ナメたこと言ってんじゃねーぞ。てめーに何が分かるってんだ。オレはてめえより遙かにスゲエんだよ。宇宙創世規模のスゴさなんだよ!」(ヨブ38-39) うん。こりゃ「ヤハウェ、逆ギレしたー」って解釈されてもしょうがねえな。

・大体、「てめーに何が分かるんだよ、オレはマジですげーんだぞ」って言ってるけど、少なくとも今回に関しては、「サタンに言われたんでちょっと実験してました」って話で、別にヨブいじめに深い理由とか宇宙的な意味合いとかないんだよね。ヤハウェもちょっと後ろめたい気持ちになってんじゃねーかな。

・ヤハウェ「てんめー、オレに抗議するとか言ってたよな。いいぜ? やってみろよ、コラ」 ヨブ「ヒィ……、スイマセン。私はゴミクズです。もう黙ってます」(ヨブ40) おい、ヨブ、何やったんだよ。ビビってんじゃねーよ。お前、間違ってねーんだから、言いたいことちゃんと言えよ。

・ヤハウェ「あーん? てめー、自分は潔白でオレが間違ってるとか言ってたじゃねーか? ほれ、レビヤタンとちょっと戯れてこいよ? オレより正しいんならできんだろ、そんくらいよー」(ヨブ40-41) ほら、またヤハウェが調子に乗るー。

・ヨブ「ウヒー! ヤハウェってマジでスゴイんですね! 今目の前で語られてやっと分かりました。おみそれしました。ナマ言ってスイマセン。反省します」(ヨブ42) うーん……。なんだかなー。

・ヤハウェ「オイ、コラ、エリファズと他二人。てめーら、オレが因果応報思想で動いてるとか言ってたよなー? ナマ言ってんじゃねーぞ。オレはそんな基準で動いてねーって点ではヨブの方が正しいんだからよー」(ヨブ42) 確かに今回はそうだったけど、間違ってはないが開き直ってるというか……。

・ヨブ記オワタ。毎回読むたびに分かったような分かんねー話だと思ってたが、これだけ精読してもなおよく分かんねー話なんだな……。ヨブの心情もグチャグチャで一貫性ないし、ヨブの友人とエリフの主張の違いも明確じゃないし、原文も曖昧で訳もバラバラと、明確に何かが分かるテキストじゃないな、これ

・理解した範囲でまとめてみる。まず、ヤハウェは因果応報思想(善人には幸を、悪人には罰を)では動いてない。少なくとも人間が理解できる範囲の因果応報論ではない。(エリフが正しいとすれば)一応、因果応報論に基づいてはいるが、それは宇宙規模の独自基準で人間には知りえぬものらしい。

・人間には知りえぬ独自基準なので、Aさんが酷い目に遭ったとしても、「(人間の知り得る基準での)悪事をAさんが犯した」とは限らない。現にヨブは何も悪いことしてなかったし、「(オレたちの知り得る基準での)なんか悪いことしたんだろー」って言った友人はヤハウェに怒られた。

・ヨブの友人の「なにか悪いことしたんだろーから反省しろよ」も、ヨブの「オレは潔白だっつーの!」も、どっちも苦難に遭ったときの姿勢としては良くないらしい。エリフいわく、こういう時は「ヤハウェを求める姿勢」(ヤハウェに対する畏れ?)が重要らしい。

・ここまでを積極的に解釈するならば、「良いことしたから良い目に遭った」「悪いことしたから酷い目に遭った」という人間基準での価値観は捨てて、ヤハウェはとにかくすんげー、マジでものすんげー、宇宙的にすげえんだから、その圧倒的スゴさの前にへへーっとひれ伏しましょう、って感じなんだろうか。

・だとすれば一応納得はできる。因果応報なんて現実じゃありえねーんだし、そんな不条理な現実に対して、オレが正しいだの、ヤハウェが間違ってるだの言ってないで、とにかく宇宙的にデカイ巨大な存在に全て委ねろ、ってのは宗教者の心情的に理解可能。と、この辺をもってヨブ記の一応の理解としたい。

・結局、「わくわく義人実験」はサタンの勝利なんじゃね? 最後にヤハウェがデロデロデ~ンと出て、「オレはこんなにスゲーんだから黙れ」ってビビらせるまでヨブはヤハウェに逆らい気味だったし。ヤハウェが出た後をカウントしていいなら、ヤハウェの勝ちだけど。


箴言

・「盗賊団に入ってはいけませんよ」「しっかり勉強(≒ヤハウェを信仰)せえよ」「セックスは妻とだけしようね」「人の保証人になって苦境に陥ったら気合を入れてそいつのところに行ってこい(行ってどうするかは不明)」。ヨブ記に比べて難易度が急激に下がるなあ。サクサク読める。

・箴言7は人妻の男漁りの話でちょとえろい。箴言は若者教育のためのテキストのはずだが、なかなか踏み込んだ内容だな……。

・箴言8をバカ真面目に読むと、ヤハウェが一番最初に作ったのは知恵ということになる(ニュアンス的には「知恵をもって作った」くらいの意味だろうが)。

・「ヤハウェが最初に作ったのはミカエル(=イエス・キリスト)」とするエホバの証人はこれどーしてんのかと思ったら、彼らはここの知恵をイエスと解釈してんのね。http://www.watchtower.org/j/20050915/article_02.htm そこでいきなりイエスを出すのはいくらなんでもムチャクチャだろ……。

・あー。新約で知恵とキリストをくっつけちゃったからか。こりゃエホバの証人がムチャというか、新約聖書がムチャって話だなあ。先の「はじめに」はやはり時間的な意味とはちょい違うみたいなので、「ヤハウェは最初に知恵を作った」ではなく、「ヤハウェは知恵をもって作った」のニュアンスで正解っぽい

・旧約では、「知恵が大切ですよ」で、意味を展開させてもせいぜい「知恵の根源であるヤハウェを畏れて、その知恵に従いましょうね」くらいなのが、新約を通すと同じ箇所が「イエスに従いましょうね」に読めちゃうって話。やっぱ非キリスト教徒が旧約読むときは新約のことは全部忘れるべきだなーw

・ツェダーカー(義)には「喜捨」という意味もあるらしい(義が「古代イスラエル社会においてまっとうとされた行為」とするなら喜捨もそこに入るため)。んー、ひょっとしてイスラムのサダカ(喜捨)ってこっから来てる言葉なの?

・箴言15-24に天国的なニュアンスが出てくるんだけど、岩波の注によれば「旧約に天国の観念はないのでたぶん後代の挿入」ってなってる。しかし、これ、「後代の挿入」なのか「この時には観念があった」のか、どうやって判断してるんだ??

・「若者を諭すのを控えてはならない。鞭打っても、死ぬことはない。鞭打てば、彼の魂を陰府から救うことになる。」(箴言23)。エホバの証人は子供を虐待(鞭で打つ)するという話をたまに聞くけど、あれはどうもここらへんをバカ真面目に取ってるかららしい。

・箴言24-17とか、やっぱり箴言的には「邪悪な者や敵が破滅しても喜ぶな」って話になってる。預言書だと「ウッヒョー! あいつらギッタギタにされたぜ、ざまああああ」ってノリだったので、預言書と箴言ではそもそも方向性が違うんだろうな。

・「あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む」(箴言25-21~22) 敵対者への態度に関する記述なんだけど、後半が意味不明なために価値判断ができないな……。(これみよがしに善行で返すと相手は激昂する、の意味か?)

・箴言26-10の岩波注に「多くの語の意味が不確定なために、翻訳はほとんど不可能」って書いてある……。新共同訳は「愚か者を雇い、通りすがりの人を雇うのは射手が何でもかまわず射抜くようなものだ」とさらりと読めるように書いてるけど、ホントは「翻訳はほとんど不可能」なのか……。

・箴言30は全く意味が分かんねえな……。


ルツ記

・解説によれば、どうも未亡人が姑と仲良くしながら再婚する話らしい。未亡人はダビデのひいおばあちゃんになるんだって。

・「二人の息子の名はマフロン(弱々しさ)とキルヨン(消滅)であった」(ルツ1)。エリメレクとナオミ夫妻ひでえww なんつーひでえ名だwww 

・おおお……。一章読んだだけでびっくりするほどハートウォーミングだ……。旧約聖書とは思えんほど心温まる。暴力と悪意と民族中心主義の渦巻く旧約聖書に、まさかこんな話があっただなんて。ちょっと旧約を見なおしたぜ。……これから裏切られなきゃあいいんだがw

・姑のナオミ(イスラエル人)が嫁のルツ(モアブ人)に、「夫が死んじゃったからには(私の面倒を見ようなどと思わず)自分の民と自分の神のところに帰りなさい」って言ってる。ここでいう「自分の神(モアブ人の神)」はケモシュなので、ルツ記におけるヤハウェとケモシュの関係性はこんなもんみたい。

・モーセ五書とか歴史書を書いてた人たちは、「モアブ人しね!」「ケモシュはクソ!」みたいな人たちで、一方、ルツ記の作者あたりは「こんにちは、モアブ人」「ケモシュはんも元気でっか」みたいな感じなのかな。イスラエル人の中にも他文化、多民族に対する態度には温度差があった?

・2章まで読んでもいい人しか出てこない。差別はほんの若干あるが、ほとんどが善意と謙遜だ。信じられん。本当にこれは旧約聖書なのか……?

・ナオミ「あなたが幸せになれるナイスアイデアを閃きました。私の親戚の金持ちの男に夜這いをかけるのです」ルツ「分かりましたわ、お義母さま」。注釈書では、ナオミが性的誘惑をけしかけたのはモアブ人への差別感情ではないかとあるけど、あんまそういう気がしないのは僕のビッチ礼賛によるものか。

・申23に「アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない」とあるけど、モアブ人のルツはイスラエル人と結婚して、ふつうにイスラエル人から祝福されてる。律法主義に対するカウンターなんだろうな。

・最後はモアブ人のルツが息子を産んで、それがナオミの養子になって終わった。これでダビデは(実際はモアブ人の血が入ってるけど)系譜上はイスラエル人の純血になったわけで、注釈書は「民族主義の克服を目指しつつもここが限界」と評してる。けど、基本的には爽やかなストーリーだったなー。

・モーセ五書や預言書がキチガイじみた民族中心主義を見せるのに対し、ヨナ書やルツ記などを入れることで旧約はその内部でバランスを取ろうとしているかに見える。色んな立場のテキストを収めることで、総合的に見て丸みを帯びた作品に仕立てようとしたのだろうか? モーセ五書とか尖りすぎだもんな。

・なんにせよ、ルツ記でちょっと旧約を見なおした。エサウ以降、基本的には胸糞悪いだけの代物だった旧約だが、こういう気持ちの良い話もちゃんとあるんだな。ネコに餌をやる不良を見た時のような気持ちだ。

・ルツ記はヤハウェが関わってないから、みんなしあわせになれたんじゃないか、と思ってしまったのはナイショだ。


雅歌

・岩波訳の雅歌の解説によれば、「基本的にはエロ歌集であるが、なんか勘違いして旧約に入れたんだろう」とのこと。オラ、ワクワクしてきたぞ。

・いきなり冒頭から女子の妄想で始まってるwww 「あなたの香油の匂いって、いい」「あなたの名前は、さわやか香油」「王様は、自分の部屋へ私を連れて行った」 やべー、雅歌おもしれーwww

・「キスして欲しいな。あなたのエッチは葡萄酒よりも気持ちいいモン。あなたの香水をクンクンしたい。私を引き寄せて! あなたの部屋に連れてって! 一緒に気持ちよくなろうよ? あなたのことが大好き!」←冒頭の詩が大体こんなかんじ。

・「都会のコたちに言っとくけど、あたし、田舎娘だけどカワイイのよ。日焼けで真っ黒だけどカワイイの! お兄ちゃんには怒られちゃったけど、あたし、結構、遊んでるのよ?」(雅歌1-5~6) いかんな、すごく面白いぞ。

・「ねえ、二人きりでデートしようよ……」「おいおい、ケチくせえこと言ってねえで、オレたちの前でお前らのセックス見せてくれよ。ひゅーひゅー」(雅歌1-7~8) やべえ、いちいち突っ込んでしまう。このままじゃ遅々として進まねえww

・「素敵だ、キミの瞳は最高にエロチックだ」「あなたのことも大好き。……ねえ、外でエッチしない?」(雅歌1-15~16)「ソロモン王は輿の中にエロ絵を刻んだ」(雅歌3-10)「きみのアソコはざくろのパライダイス!」(雅歌4-13)

・「きみのアソコはざくろのパライダイス!」(雅歌4-13)「あたしのざくろを食べて!」(雅歌4-16)

・雅歌5-2~はおにゃのこの妄想で「夜に恋人が訪ねてきたからエッチしたら、彼はすぐに出ていったので、追いかけていったら、夜警の人たちにレイプ(?)されて服を剥ぎ取られた。『でも、彼が好き!』」みたいな内容だった。なんという少女漫画脳。レイプの直前で恋人が助けに来たら完璧に新條まゆ。

・いや、新條まゆの場合は「突然訪ねてきたカレとエッチしたけど、すぐに帰っちゃうし、ホントにあたしを愛してるのかな? キャッ、レイプされちゃった! でも、この人カッコイイ……。カレが飛んで来たけど一発でブチのめしたわ……。やっぱりこの人カッコイイ……大好き……」になるんだろうか。

・雅歌6-12(「知らぬ間にわたしは/アミナディブの車に乗せられていました。」)はよく意味が分からないが、「金持ちのイケメンが通りかかったから、うっかりカーセックスしちゃった」という意味かもしれないんだって。

・「あなたがあたしのお兄ちゃんだったらいいのに。だって、お兄ちゃんなら、お外でキスしても、誰も文句を言わないよね? お兄ちゃん、あたしのざくろ果汁、飲んで!」(雅歌8-1~2)

・「ああああ、オレの妹に言い寄るアホが来たらどうしよううう。妹はまだちっちゃくて、おっぱいもちっぱいだってのに、ああああ、妹は絶対オレが守るうううう」「ちょっとやめてよ、お兄ちゃん。あたし、もうぼいんぼいんだし、カレだってあたしのおっぱい見てムラムラしてんのよ」(雅歌8-8~10)

・しかし、雅歌はエロイな。これ、中学二年生くらいならオナニーできるんじゃなかろうか。キリスト教徒の家庭は雅歌をどうやって扱ってるんだ?? 「おかーちゃーん。雅歌4章13節のザクロのパライダイスってなーにー?」「こら! お父さんの旧約聖書を勝手に読んじゃいけません!」

・ちなみに僕のツイートの桃尻語訳?は、もっともエロく解釈した場合のものなので、「股間はザクロのパラダイス!」も、「股間」の部分は岩波訳では「若枝」になってます。「運河」と訳して陰部の婉曲語法という説に(おもしろいから)従いました。新共同訳は「ほとりには、みごとな実を結ぶざくろの森」

・新共同訳の注釈書によると、雅歌の存在意義は「神だとか民族だとか大それたテーマばっかり扱ってたら、個人の幸せとかが見失われかねないから、男女の恋愛の喜びというミニマムな視点を入れてるんだよ」という解釈。ルツ記もそうだけど、やっぱ旧約内部でバランスを取ろうとする動きがあるのかも。

・雅歌を「キリストと教会」の関係で捉えるのはアホくさいので論外として、そのまま男女の恋愛と見た場合でも、「ヤハウェは男女の健全な恋愛を推奨している!」と読んでしまうと今度は同性愛に対して厳しくなりそうで要注意だなぁ。ふつうの男女の恋愛歌がふつうに入ってる、くらいに思った方が良さそう

・そもそも健全も何も雅歌は青姦ばっかやってるしな。


コーへレト書

・「空の空、とコーヘレトは言う。空の空、いっさいは空、と」。なんか出だしから仏教みてーだなと思ったら、注釈書の解説ではブッキョー、ブッキョー言ってる。

・2章まで読んだけど、コーヘレト書のソロモンは今にも出家して釈尊教団に加わりそうだな……。2-25では「神は罪人の富を悪人に与えてくれるけど、でも、そんなのも空だよね」って言ってる。ヤハウェの因果応報的な働きさえも否定(?)してるように読める。

・んー、なんか今までのと全然違うな。コヘレト3章では明らかに霊魂の存在が前提(少なくとも「霊魂を信じる人がいる」ことが前提)となってる。人間と動物の霊魂は同じだとも言ってる。霊魂は前提としながらも「死後のことなんて分かんねーから今を楽しんどけ」とも言ってる。

・「今を楽しんどけ」と言っておきながら、それは「空」だとも言うんだよなー。よくわからんな、コーヘレト。

・「足ることを知って適切に楽しめばいいよ」→「まー、そうしてても他人に食い物にされて適切に楽しめないこともあるけどね」/「死ぬよりは生きてた方がいいよ」→「まー、生きるのも空なんだけどね」(コヘ6) ほんとによくわかんねーな。首尾一貫した主張をすることが目的ではないのかもしれない。

・「幸いの日には幸いであれ。災の日には(災いを)見つめよ」(コヘ7-14)。なんか良寛さんみたいだ。災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候。

・「法則を見出したぞ! 女に惑わされちゃいかん!」→「しかし、神は人間を素直に作ったのに、オレたちは法則(笑)なんか探し求めちゃうもんだよなあ」(コヘ7-29) なんか大切っぽいことを言っておきながら直後に全否定。

・コヘ7-15~では二項対立の否定(極端に寄ることの否定なのか、二項対立自体の否定なのか分からん)をしてるし、自分の言ったことを直ちにちゃぶ台返しするし、コーヘレトはどうもそういうモノっぽいなあ。般若心経みたいにガンガン否定することで何かを言おうとしてんのかな。

・コヘ9の前半は「善悪とか賢愚とか考えてもどうせ分かんねえんだから、うめえメシ食って酒飲んで、嫁さんとセックスしてろよ。どうせそのうち死ぬんだから」ってことでいいのだろうか。その状況においてヤハウェは一体何をしてるんだろう。その状況を作り出した事自体にヤハウェの働きを見るのかしら。

・「ヤハウェのやることは分からん」「どうせみんな死ぬ」「死んだらそれでオワリ」「現世的な行為は何もかも空」「でも、全部ヤハウェがやってること」「メシ食って酒飲んでセックスしろ」。コーヘレト、こんな感じ? 正直よくわからない。岩波訳と注釈書でも全然解釈が違ってる。

・不条理に満ちた世界で賢愚や善悪の区別さえ空しいと思うようになった人が、あらゆる現世的行為を空しいと感じながらも、全てはヤハウェの手によるものだと考え、その空しい現世的行為を明るくやってそのうち死ぬ。……という話なんだろうか。こんなキレイにまとめていいのかどうかも疑わしい。分からん。

・コーヘレトはなにやらよく分からんが、とりあえずカッコイイ詩ではあった。最後が葬式のシーンで終わるとかオシャレ。12-9以下が加筆だとすると、せっかくカッコイイ終わり方してんのに余計なもんひっ付けやがって、と思わんでもない。

・コーヘレトではヤハウェの裁きが「ある」と言ってるのか、「ない」と言ってるのかよく分からない。あるとしても(それによって生じる現世的変化は)「空」だと言ってるようにも思える(※死後に関しては不可知論らしい)。ヤハウェの介入はありうるが、それは空ということか?

・通読しなおしたけど、やっぱよく分かんねーな。筆者の、ヤハウェに対する畏れはおそらくあると思う。因果応報思想はおそらく否定している(肯定的に読める部分を後代の追記と考えた場合)。加えて二元的思考もたぶん否定している。筆者の持つヤハウェ像が掴めそうで掴めない。

・ふと思ったんだが、僕はこれまでヤハウェのムチャクチャを散々ネタにしてきたが(「お前は善人だがお前のジジイがムカつくから殺すぜ、ヒャッハー!」)、ヨブ記やコーヘレトはそれへのアンサーになってるんじゃなかろうか。旧約って実は読者がヤハウェのムチャに愕然とするとこまで計算してんのかな?


哀歌

・雅歌はサクサク読めるな。雅歌2では「ウッギャー、ヤハウェにこんな酷いことされたー!」だったのが、雅歌3では「ヤハウェに酷いことされたけど、ヤハウェはきっと救ってくれる!」「ヤハウェはオレたちに酷いことする諸国民をブチ殺してくれる!」になってる。おいおい、酷いことしたのヤハウェだろ?

・なるほど。考えようによっては、一瞬で滅ぼされたソドムよりもバビロンから兵糧攻めにあったエルサレムの方がキツかったのか。で、どちらもヤハウェの怒りだとすると、「エルサレムの罪はソドムよりも大きかった」になる、と。(哀歌4-6)

・一般に「すごく退廃してた」とされるソドムとゴモラだけど、哀歌のテキストをバカ真面目に取るならそれらよりエルサレムの方が悪かったことになるのか。

・哀歌おわた。預言書のノリでバビロンに滅ぼされた時の様子を詩にしただけで、あんま新しい発見とかはなかったなー。


エステル記

・エステル1によればアハシュウェロシュ王の酒宴では「酒を強要しない」ことがルールだったらしい。ということは、言い換えればルールがなければ酒を強要したということで、今も昔も酒の飲み方はあんまり変わらねえんだな。

・ユダヤ人虐殺計画が発令されたのだけど、これの原因はモルデカイが訳もなくハマンに敬礼しなかったからじゃねーか。だからって一民族皆殺しは無論どうかと思うけど、民族差別的な姿勢を先に示したのはユダヤ人の方なんじゃねーの? 神以外には敬礼しないとかユダヤ教ってあったっけ??(エステル3)

・軽くググった感じだと、キリスト教的には「神ならぬ者を拝礼してはいけないから」拝礼しなかったのだと解釈してるみたい。実際、この部分はどうなんだろうね?? いかんせん聖書には理由が書かれていない。しかし、為政者の立場からすれば(民族絶滅はやりすぎとしても)放置はできないよな、これ。

・モルデカイ「おい、お前、王妃だろ。ユダヤ人絶滅計画を考え直すよう王に言って来いよ」→エステル「ムリよ。呼ばれもしないのに王のところに行ったら死刑だもん」→モル「うるせー! 黙ってりゃ自分は助かると思ってんのか! ぜってーてめーも死ぬことになるからな!」 モルデカイまじでクズ。(エステル4)

・元々は自分の行為のせいでこんな大変な破目に陥ったのに、養女に尻拭いをさせて、「みんなのためにお前一人で死んでこい」とか、本当にどうしょうもないクズだな、モルデカイ。こいつにはぜひ死んでほしい。

・エステル記7まで読んだ。なんか喜劇みてーな展開だな。モルデカイがまだ生きてやがるのが癪だが。エステルもハマンの濡れ衣を庇ってやらないとか地味に酷いけど、注釈書いわく「敵に慈悲をかけることはユダヤでは美徳ではない」。うん、そんな気はしてたよ……。

・ひでえ。ユダヤ人ひでえ。一転して権力を得ると、今度はむしろ自分たちから敵に襲いかかり、ハマンの息子10人も皆殺しにしてる。先制的自衛権ってやつ? エステルもハマンの息子たちを見せしめに吊るしてるし、なんかロクでもねえ話だな、これ。(エステル9)

・モルデカイ個人の態度のせいでハマンはユダヤ人皆殺しを企み、一方、ハマンが濡れ衣を着せられたために、今度はユダヤ人による大量虐殺が行われたわけで、どちらにしろ殺された人、殺されようとした人たちにとっては、知らねー間に王の周りで訳の分からん事態が進んでいったロクでもねえ話だったと思う。先制的自衛権で殺された人たちはまたユダヤ人を恨むだろうし、モルデカイが死んで別のやつが王に取りいったらそれまでだよなあ。

・結局、「王の命令をユダヤ人は(部分的に)受け入れない」という当初の問題は解決してないしな。エステルも中盤まではかわいそうなヒロインだったけど終盤で極悪非道になっちゃうし、すごい気持ち悪い話だったなー。モルデカイが死ななかったのも納得いかん。一番イヤなやつは間違いなくモルデカイ。

・解説によると、キリスト教でもユダヤ教でも「これ、どうなん?」って感じだったらしいけど、プリム祭(エステル記はこれの起源を説明するもの、という設定)が楽しかったのと、民衆がこういうストーリーが大好きだったので、なんか聖典になっちゃったらしい。

・しかし、こんなストーリーでキャッキャ、キャッキャしてたのかと思うと、当時のユダヤ人のことをとても好きにはなれないなあ。とはいえ、桃太郎だって鬼ヶ島に軍事侵攻して財宝を略奪する話だし、その民族の中に根付いていれば、案外、受け入れられるものなのかもしれない。


ダニエル書

・ダニエル1でも、ユダヤ人が相変わらず自分たちのルールのせいで多民族と軋轢を起こしてるのは変わらんが、こっちはダニエルがそれなりの妥協策を出して論理的に説得してるなー。エステル記のモルデカイもこのくらいの工夫をすればよかったのに。

・ネブカドネツァルのムチャ振り すごいな。ネブ「オレ、気になる夢を見たんだよ。どういう意味なのか教えてくれよ」→賢者「夢の内容を教えてくださいよ」→ネブ「夢の内容を当ててみせろよ。そしたら、お前らの夢解きが信用できるって思うからさ。なに、できない? じゃあ全員死刑な!」(ダニエル2)

・ダニエル2では「ダニエルさん、あなたの神スゲーっすね!」って言ってたネブカドネツァルが、ダニエル3ではすっかり忘れて「お前らの神がなんだってんだー」とか言ってる。意味が分からないが、注釈書によればダニエル3はもともと別の話で合体したのではないか、とのこと。ダニエル出てこないしね。

・バビロニア王「エルサレム神殿から奪った器で酒飲んでみよう」→「うわあ、空中に指が現れて文字を書いた! 怪奇現象だ!」→「"ネメ、ネメ、テケル、パルシン"なんだこれは!」→ダニエル「これは神のメッセージです!」→岩波注「ネメは間違って二度書き。パルシンはペレスのミス」 神ェ……。

・ちなみにバビロニア王はこの晩に殺害されました。神殿から奪った器で酒を飲んだら変死を遂げるとか、呪い以外の何物でもねーな。(ダニエル5)

・ダニエル書はそれを書いた当時のユダヤ人の歴史認識が間違ってたらしく、史実と比べるとおかしいんだって。新バビロニア→(メディア)→ペルシアと、実際には既に滅亡しているメディア帝国の支配があったと当時通俗的に考えられてたらしい。(ダニエル6)

・「オレたちヤハウェさんに守られてるはずなのにマジでヒデエ目に遭ったけど、それは全てオレたちがヤハウェさんに罪を犯したから罰だったんですよね、きっと! さすがヤハウェさん、マジ義(ただ)しいっス!」(ダニエル9) ユダヤ人、ちょっとマゾすぎるだろう。

・ダニエル書を読む上でアンティオコス4世とマカバイ戦争を軽くググってみたんだけど、これ、ユダヤ人が内ゲバしてたら反乱と思われて大変なことになってきちゃって、しょうがないから応戦してたら結構勝てて独立しちゃった、みたいな話なのか。ユダヤ人ってなんか常に内ゲバしてる気がする。

・一部のクリスチャンがイエスの預言としているダニエル9は学術的には、エルサレム神殿の再興やアンティオコス4世を指すと考えているらしい。他の預言書もキリスト教徒も、基本的には自分に関心のある同時代的な事柄に興味を集中させて、それ中心に色んなものを読み解いてるんだな。

・預言書は歴史的にアレコレ言ってるように見えて、結局は著者の同時代的な関心に集約してる。キリスト教徒もイエスの意味付けに集約させた。エホバの証人は1914年(当時騒いでいた)に集約させるし、結局みんな、"今の自分達"を中心に何事も考えざるをえないのだろう。

・ダニエル10でミカエルがペルシアの守護天使と戦ってる。キュロスの時はメシアだなんだと言ってたのに、ペルシアの扱いも他と変わんなくなっちまったな。

・ダニエル書になると終末思想が明確に出てくるなー。ダニエル12-2ではついに死者復活思想も。


エズラ記

・新共同訳注釈書のエズラ記の解説はまとめると、「この書は本当にひどい。読む価値があるのだろうか? 同じ過ちを繰り返さないように、という反面教師として入ってるのである」って感じで、なんだそれ、って思った。

・イスラエル人「いえーい、キュロスのおかげで捕囚からエルサレムに帰ってきたぜー。神殿建てよう」→現地人「あ、すんません、誰もいなかったのでエルサレムに住んでました。オレらも同じ神を奉じてるんで、一緒に神殿建てていいっすか?」→イス「悪いな、のび太。この神殿はイスラエル人専用なんだ」

・三大預言書ではヤハウェ信仰はかなり外部にも開かれてたんだけど、一転、エズラ記になると「ヤハウェはイスラエル人専用なんだ」になって周囲と軋轢を起こしてる。エズラ4では、結局スネオ的イスラエル人はのび太の復讐に遭うんだけど、これ、完全に身から出た錆だよな。

・ちなみにのび太による復讐(神殿建設妨害)は、ペルシア王に「あいつら城壁作ってますよ! 歴史的を調べてみて下さい。あいつらマジ反抗的ですから! 絶対税とか納めなくなりますよ!」って言って、王に建設を取りやめさせてる。これ、すげー説得力あるもんな。ユダヤ人、マジ反抗的だもんな。

・列王記下の関連箇所を見た感じでは、この時に現地ののび太たちは「ヤハウェ信仰をしつつも、かつて自分たちがいた場所の元の神」も信じていた混交状況だったらしい。その辺がスネオ的態度の原因なんだろうか? 「ちょ、ブードゥーとかキリスト教じゃないし……! カンケーねーから!」みたいな?

・しかし、現地ののび太たち(サマリア人)からすれば、混交でもなんでも自分たちはヤハウェを信仰してるわけで、にも関わらず、自分たちの地元に「ヤハウェ用の神殿、サマリア人立ち入り不可!」なんてのを作られたら、そりゃ相手を全否定するしかねえんじゃねえの? なんかかわいそうだなー。

・イスラエル人はハガイ、ゼカリヤなどの預言者に励まされて、強行的に神殿建設を再開したんだけど、(エズラ記では触れられていないが)ハガイ、ゼカリヤは神殿再建だけでなくイスラエル独立も主張してたわけで、まったくサマリア人たちの言うとおりだったわけだなw すごく反抗的だww

・イスラエル人が現地民と結婚してることにエズラが怒り狂って、結局、全員離縁させられたらしい。宗教と民族主義が結びついて不幸になる好例みたいな話だ。注釈書は「ヤハウェは孤児や寡婦などの社会的弱者は優しくしろって言ってんのに、それを大量に産み出すとかアホか」と言ってるけど全くだよなw

・つーか、モーセの妻はミディアン人なんだが、あれはいいんだろうか?


ネヘミヤ記

・サンバラトやトビヤがなんで神殿建設を妨害しようとしてるのか分からんから、なんとも言えんなあ。エズラ記からの続きと考えるなら、捕囚期に地元にいた人たちが「勝手におれらのヤハウェを独占すんじゃねーぞ」って怒ってたんだろうか?(ネヘミヤ4)

・ネヘミヤが預言者からの言葉を「あいつは神のメッセージを伝えてない。買収されてるんだ」って言って従わなかったけど、人間が預言者の真偽を判断できるってのはよく分かんないな。とはいえ旧約に書かれてる判断法は「預言のとおりになったら本物」だからクソの役にも立たねえんだけど。(ネヘミヤ6)

・しかしまあ、ネヘミヤたちも大規模土木工事とそれに伴う生産力の減少、朝貢による経済力低下などに直面して、その上で敵対者に対する防備にリソースを割かねばならんのは大変だよな。一応、同情はしておく。(ネヘ7)

・ネヘ8で律法を(解釈付きで)告げられた民衆が泣き出してる。ここでの律法がなんなのか、なぜ泣いたのかはさっぱり分からんが、ふつうに考えるなら、与えられた律法(ルール)が嫌だったんだろうか?

・ネヘミヤ記よんだ。注釈書によれば、エズラ、ネヘミヤは要するにアイデンティティーの問題らしい。ペルシアの統治下にあり、政治的な独立性を持たないユダヤ人が、いかにして民族アイデンティティーを保つか。そのために純血主義や律法遵守の姿勢を打ち出した、と。

・確かに異民族との結婚を禁止して、訳の分からん特殊な祭儀や祭日を設ければ他との断絶が生まれてアイデンティティーは確立できる。ネヘミヤがそれを意図してやっているなら、その意味では有能な政治家と言えるのかもしれない。

・しかし、ネヘミヤはしばしば「私しっかりやってますから、ちゃんと見ててくださいね、ヤハウェ!」って言ってるんだよな。この人はそういう政治的配慮からではなく、単に宗教的にビビってやってた、極端で困った指導者なんじゃないかと思ったりする。よく言えば信仰が篤いとも言えるんだろうか。


歴代誌上

・歴代誌5でイスラエル人の一部がハガル人と戦って、「神に助けを叫び求めた」からハガル人を破ってるんだけど、ハガル人もハガル人でヤハウェのおかげで発展した民族じゃねえの? なんでヤハウェに養われた民族同士が当たり前のように殺し合ってんだ?? なんか説明入れてくれよ……。

・歴代誌つまんねえな……。並行箇所との微妙な差異を確認していけば得られるものはあるんだろうが、僕のような素人にそれはできねえし。ただ単に「前に読んだような記述の羅列」になってる。

・どうも歴代誌はダビデのゴシップを隠したり(人妻を得るために夫を前線に送って殺すとか)(歴代誌上20)、ヤハウェの意味不明な行動をサタンのせいにしたりして(歴代誌上21)調整してるみたい。

・「ダビデが神殿を建てなかった理由」が歴代誌では「ダビデは戦争しまくってたから」ということになってるけど、それをやらせたのヤハウェなんだよなー。戦争はヤハウェにとってトイレ掃除みたいなもんなんだろうか。「オレがやれっつったんだけど、なんか汚ねえじゃん」みたいな?(歴代上22)

・「主はまたわたしに言われた、『おまえの子ソロモンがわが家およびわが庭を造るであろう。わたしは彼を選んでわが子となしたからである。わたしは彼の父となる」(歴上28-6)バカ真面目に読むならヤハウェの子はイエスじゃなくてソロモンじゃん。や、そんな下らねえこと言ってもしょうがないけど。


歴代誌下

・歴代下2-16でソロモンも人口調査をしてるんだけど、なんでこの時はヤハウェはブチギレなかったんだ?? 寄留者の人口調査はしてもいいのか???

・歴代下9ではソロモンの異教礼拝も省略されてる。歴代誌はホントに都合の悪い箇所はバンバン省略しちゃってるんだな……。歴代誌を書いた著者は、たぶん歴代誌がサムエル記や列王記と一緒に編集されるとは思ってなかったんだろうなー。

・んんん……。でも歴代下10-15は明らかに列王記を前提にした記述だよなあ。列王記を前提にするならソロモンの負の側面(異教礼拝など)も読者は当然知ってなきゃいけないわけで、歴代誌の著者がなんでソロモンのゴシップを隠したのかよくわかんないぞ。何も考えてなかったのかな。

・「子供も大人も、男も女も、イスラエルの神、主を求めない者はだれでも死刑に処せられるという契約を結んだ」(歴代下15-13) ユダ王国の善王(!)による宗教改革の結果こうなったらしい。ストレートに怖い……(´・ω・`)

・自国内の宗教的マイノリティを迫害したら善王と称えられ、ごく当たり前の外交手腕を発揮したら、「ヤハウェにより頼まなかった!」と言って後世の歴史家に非難されるとかアサ王も大変だなぁ(歴代下16-7)。

・南ユダの「善王」が「聖なる高きところを取り除いた」と書きながら、最後に「聖なる高きところは取り除かなかった」と矛盾するパターンが二回も出てきたんだけど、なんなんだろ、これ。一回だけなら単純ミスだろうけど、二回も続くと不思議だな……。(歴代下20-33)

・歴代下30-17では、祭りのやり方にミスがあったけど、イェヒズキヤフ王がヤハウェに祈ったらスルーしてくれたらしい。かつては間違ったお香を炊いただけで直ちに殺してたヤハウェだけど、いつもいつも直ちに殺すわけではないらしい。

・列王記に比べ歴代誌は善悪をはっきり峻別して因果関係を明確にしようとする傾向があるんだけど、マナセに関しては(列王記では悪い面しか挙げられてないのに)歴代誌では途中で改心したことになってる。注釈書によれば「捕囚にある同胞に希望を与えるためではないか」とのこと。(歴代下33)

・列王記だと「お前は立派なやつだが、お前の爺さんがムカつくから」という理由でヤハウェに殺されたヨシヤフだけど、歴代誌下だとヤハウェの?言葉を聞かずに死んだことになってる。エジプト王ネコがヤハウェの言葉を語ったというのも理解しがたいが、それ以上に著者は列王記が理解できなかったのかな。(歴代下35)


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