【4/10】まとめ『龍樹』


 お仕事メモ。

龍樹 (講談社学術文庫)龍樹 (講談社学術文庫)

講談社 2002-06-10
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龍樹概略

・大乗仏教に至って般若経の空の思想が強調される。ナーガールジュナは空の思想(空観)を理論的に基礎づけた。(大乗仏教を最初に理論的に基礎づけた/それまでは文学作品的なものだった)

・空観とは「あらゆる事物が空」であって、「それぞれのものが固定的な実体を有しない」と観ずる思想。釈迦の時点で「世間は空」って言ってるが、大乗仏教で空を強調しだしたのは上座の説一切有部が法有を強調しだしたから、それに対するアンチテーゼと思われる。(※空観は諸法無我に等しいのか?)

・一切諸法は他の法に条件付けられて存在しているから無自性。諸法が空なら煩悩(欲望)も本当は空。空である欲望を断滅なんてできないから、「煩悩を消す」などということも本来不可能。この理屈をリアルに体感できれば「悟り」。(※世界のあれやこれやがどうでもよくなれば、どうでもいいものに欲望を持てないのでどうでもいい、という意味か? ただ、「欲望を断滅できない」というニュアンスとは少し乖離がある気がする)

・救う者(菩薩)も空であり、救われる衆生も空であり、救われて到達する境地も空である。(※「自分のこともどうでもいい」と思っている人が救いに乗り出し、救われる者も本来「どうでもいい存在」で、救われた結果、到達する心境は「何もかもどうでもいい」である)

・涅槃という理想の世界がどこかにあるのではない。この世界を「どうでもいい」と思うことで、この世界が涅槃となる。現実の日常生活がそのまま理想的境地である。空の実践は現実の人間生活を通して実現される。よって、出家を否定し、在家による世俗生活の中での理想の実現が目指されるようになる。(※しかし、釈迦においては、世俗生活の中では「どうでもいい」気持ちになれないから出家したのであって、目標は確かに世俗生活を涅槃に変えることだとしても、これは手段の問題なのではなかろうか? 手段においては世俗生活よりも出家生活の方が「どうでもいい」に近いはずでは?)

・中観派は、何となく気味の悪い破壊的な議論をなす虚無論者である、と古代インド一般に言われていた。近代の学者の一部もそう言っている。(※中村先生的には「ナーガールジュナは一切は無だ(虚無論者)と言ったわけではない」「ナーガールジュナは一切どうでもいいと言った」「よって、ナーガールジュナは虚無論者ではない」と言いたいのだろうけど、「一切どうでもいい」は虚無主義ではないだろうか? 「一切が無」=「虚無主義」ってなんか違う気がする。それって絶対主義じゃね?)

・龍樹の論敵は有自性論者、すなわち、事物や概念に「本質」(イデア的なの)があると考える人たちで、龍樹は「イデアねーよ!」っていう立場。とりあえず、有自性論者の代表として、説一切有部を仮想敵と考えて思想を対比させてみる。(※実際は他にも有自性論者はいただろうから、説一切有部だけ攻撃してるわけでもない/説一切有部は小乗の諸派の中では最大の社会的勢力)


説一切有部の思想

・有部の根本思想は「三世実有、法体恒有」。

・初期仏教における「法」とは一切の存在の規範であり、存在を成立せしめるところの「かた」。法そのものは超時間的に打倒する。(※困った……。何度読んでも「法」がイデアにしか見えないんだが……)

・法の体系を基礎づけるために初期仏教の縁起が説かれた。(※どういうことなんだ? なぜ法を体系化する必要があるんだ?? というか、法の体系化ってなんなんだ……)

・原始経典の末期から縁起説は通俗的解釈がされるようになり、有情の生死流転する状態にあてはめて解釈されるようになり、法の体系化という意義が見失われた。

・縁起により法の体系を基礎づけるスタンスを捨てて、法を「有り」とみなすことによって基礎づけた。(※あー、ちょっと分かってきたかも。法がイデア的なものだとして、仏教でイデアなんて認めるわけにはいかないから、縁起によってイデアっぽいものが仮に設定されてるとしてたのに、縁起の意味が変化しちゃって、イデアっぽいものが存在する根拠がなくなったから、「イデアはあるんだよ!」になったということか?)

・受は「外界からの印象を感受す」といわれ、「感受されてあること一般」である。個々の花、木などの自然的事物は法ではないが、その「ありかた」としての、たとえば「感受されてあること」は法である、とされる。(※ファック! 何を言ってるのかさっぱり分からねー! とにかく花や木などは法ではないらしい。それを脳みそが認識した時の(どの時点か分からねーが)認識のありかた?が法ってことなのか??)

・木や花はそのうちなくなるけど(無常だけど)、「ありかた」は変化しない。よって、法は「本質を持つ」。(※何を言ってやがるんだくそったれ! 有部が法をなんだと考えていたのか(なぜ法を想定する必要があったのか)が分からないとチンプンカンプンかもしれん)

・「それ自身の本質」「本性」「法」は異なるものではない。なら、なぜ同じことを言ってるのに「本性」なんて言葉を持ち出してきたのか? 受という「ありかた」(認識のありかた)が法であって、そういう「認識のありかた」が現に「ある」と考えると本性。(※目の前にあるみかんは無常であり法ではない。みかんの色や臭いを脳みそが認識するという形での「みかんのありかた」は法で、そういう「みかんのありかた」が「ある」と考えれば、みかんの本性。説一切有部は「一切のものがある」というが、「みかんがある」と言った場合は、「みかんの(ありかたが)ある」という意味。「もの」=「ありかた」。外部世界にみかんがあるのかどうかは知らんが、みかんを認識する機能というか仕方というか、そういうのは実際にあって変化しない。……ということでいいのかな?)

・とにかく、「法」は「もの」といっても「経験的事物」ではない。自然的存在は実有ではなくて仮有。

・「ありかた」としての法は、今日の言葉で言えば、ほぼ「概念」の中に含まれる。(※やっぱり法=イデアにしか思えなくなってきたぜ……。イデアと異なるのは、イデアがイデア界というどこか別の世界にあるのに対して、法はあくまで人間の脳みそが捉える、認識の「あり方」という点なんだろうか?)

・法はそれぞれがそれ自体の本質を持つので、ある法とまたある法は全く別の実体であって、相関関係はない。

・説一切有部の「一切」は「法の一切」なので、文字通りの全部ではない。自然的事物などは除かれる。

・自然的存在は過去未来において存在しないが(現在にだけ存在する)、法は常住なので過去にも未来にも存在する。


空の論理

・「すでに去ったものは去らない。また未だ去らないものも去らない。さらに、現在去りつつあるものも去らない」は、「既に去った」と「未だ去らない」はわかりやすいが、「現在去りつつあるものは去らない」はわかりにくい。これはこのような意味である。「去りつつあるもの」は既に去っている。既に去っている「去りつつあるもの」は、既に去っているのだから、改めて「去らない」。「去りつつあるもの」だけなら問題はない。「去りつつあるものが去る」を言いたいなら「去りつつあるもの」が去ってないことにしなければならないが、そんなことはありえない。

・龍樹がなんでこんな訳の解らんことを言い出したかというと、有部は法が「それぞれ本質を持っていて、それぞれ別個である」と言ってるから、「去りつつあるもの」の法と「去る」の法とを想定しており、まったく別個の二つの法がくっついてる根拠はなんだ?となる。その二つの法はお互い関係ねーんだろ?と。

・有部は「去ること」を法とは考えてなかったけど、「去ること」も一つの「あり方」だから、法有の立場に立てば、「去ること」をも実体視せねばならず(※なんでだ!?)、そうすると問題が起こってくると龍樹は言っている。(※有部が法としているのは七十五法だけ。経部は「それなら七十五法以外の『あり方』も実体視しなきゃダメじゃん」と言ってるが、ちょっとよく分からない。どういう理屈だ??)

・龍樹は自然的存在の運動を否定したのではなく、法有の立場を攻撃(お前の言うとおりならこんなことになるじゃん!)したのであって、訳の分からんことを言ったわけではない。


龍樹の立場

・龍樹は自分の主張を持たない。主張がないから理論的欠陥もない。論敵の主張を排斥するが、それと逆の主張を採用するわけでもない。

・龍樹は概念を批判したのではない。概念に形而上学的実在性を付与することを否定した。(※「去る者」はイメージできるが、主体を除いた「去る」という概念だけをイメージ(実在視)することはできない、ということか?)

・法有の有部は、「ダルマが三世に恒有なら常住じゃん!」と批判されたら、「いや、過去現在未来の時間的規定を受けてるからそうじゃないよ」と弁解している。(※「過去のダルマ」「現在のダルマ」「未来のダルマ」があるから、同じダルマに見えるけど同じじゃないよ、ということだろうか?)

・有部は「うちも不常不断だよ!」っていうけど、龍樹は、法に本質があるなら、それは(本質はそれ自体で成立するものだから)存在するなら常住だし、存在しないなら断滅(それ自体で成立するんだから、存在しない以上、新たに存在するはずがない)であるとし、「有部は断常じゃん!」と言った。

・大雑把に言って、龍樹は「概念を実在視すること」を批判した。なぜかといえば、「子」がいなければ「父」は存在しないのに(「父」は「子」との関係の中でこそ生まれるものだから)、「父」の概念を実在視すると、「父」の概念が存在しうるからである。(※なんか騙されたような気持ちになるなあ。そりゃ確かにそうだけど、「子」との関係の中で「父」という概念が生まれたなら、「子」の概念も「父」の概念も既にあるんだから、どちらも実在視したってそれほど問題はないだろうに)

・父と子と同様、浄と不浄も依存関係である。

<自分まとめ>龍樹が批判したのは説一切有部に代表される「概念を実在視する傾向」。「父」と「子」は相互依存の関係にあってのみありうるのに、概念を実在視した場合は、「父」と「子」は相互依存することなく成立する。そうではなくて、相互依存により成立すると説く。つまり縁起。(※釈尊の言う因果関係としての縁起と、龍樹の説く相互依存としての縁起の関係性をチェック)


縁起

・『中論』のメインテーマは縁起(相互依存)=空。ただし、龍樹の縁起は小乗の十二支縁起とは異なる別のもの。

・当時、此縁性は様々に解釈されていたが、大体、時間的な生起関係として捉えられていた。

・「これがあるとき、かれがある」を中観派は「あたかも短があるときに長があるがごとし」と解釈する。(※短があるからこそ長があり、短と長は相互依存により成立している。此縁性をそのようなものと解している。一方、有部は「短」と「長」という「ありかた」を実体視しており、目に見えたものの中に「長」「短」という「ありかた」を認める)

・「一によって一切を知る」。各部分は全体的連関の中における一部分なのだから、部分を通じて全体を見ることができる。(※分かるような分からん話だ)

・中論の説く縁起は華厳の縁起に似ている。華厳がどれだけ中論から影響を受けているのかは分からないが……。

・この縁起観はジャイナ教の影響かもしれない(原始仏典には出てこないがジャイナの聖典には出てくる)。だが、まだ研究の余地がある。(なぜこのように縁起観が変遷したのかは、少なくとも中村先生の時代では分からなかったらしい。現在の定説がどうなのか分からないし、調べる方法も分からない)

・原始仏教の十二支縁起は「前の項があるときには次の項がある」だが、中観派はこの二つの項の関係性を「長と短とのごとき」論理的相関関係と解釈する。

・釈尊も諸事物は「自作」「他作」「共作」「無因作」ではないと簡単に言ってたが、中観派はこれを受け継いで論理的相関関係と考えた。つまり、釈尊も縁起に時間的生起は見ていなかったらしく、この点では中観派の縁起観も釈尊から繋がるものと言える。

・縁起、ゆえに無我。ゆえに空(どうでもいい)。

・縁起、ゆえに諸行無常。

・苦は縁起により生まれる。つまり、三法印は全部縁起で基礎付けされる。


・空は無ではない。有と無の両方を排斥する。(しかし、後世インドでも空=無と解せられるようになる)

・空は縁起。不空は「縁起せざる」。不空=実有。(※空が縁起の単なる言い換えだとすれば話は早いが、縁起とは違う「空」という概念だと捉えると、どう解釈すべきだろうか? ある事物が「(無自性なので)中身が空っぽ」か、それゆえに「どうでもいい」辺りだろうか?)

・空=仮名=中道。(中国の天台では「非有非空の中道」と解釈されていたが(三諦偈)、インドでは本来「非有非無の中道」。空は無ではない。有と無を離れているので中道)

・一切が有る、一切が無い、のどちらも離れているから中道。(※どちらも「どうでもいい」のか?)

・中観派いわく、釈迦は有と無などの二つの事柄に関して沈黙を守るから中道。

・空を有だとか無だとか見る(何らかの原理と見る)のは空見といってダメ。(※これは要するに「二項対立のどちらの項にも執着しない」ということに執着しない、という意味だろう)

・諸法実相も縁起。(※なんもかんも縁起だな……)


否定の論理の実践

・有部はニルヴァーナを独立のダルマと考えており、智慧による「滅」という独立の実体がニルヴァーナを可能ならしめるとした。

・龍樹いわく、「ニルヴァーナが存在するなら、ニルヴァーナは老いて死ぬじゃねーか、ふざけんな、このタコ!」(しかし、有部はニルヴァーナという「ありかた」を実在視したのであって、現実的な事物として実体視したわけではないので、この批判はどうだろう?)

・ニルヴァーナは一切の戯論の寂滅した境地、一切の分別を離れ、あらゆる対立を超越している。(※全体ドカーンを使えば簡単に理解できるけれど……)

・相互依存によって起こる諸事象の生滅変遷が輪廻であるが、その本来の姿を見ればニルヴァーナである。(※これも全体ドカーンなら簡単だが、全体ドカーンを使わず、「二項対立のどちらもどうでもいい」の意味で解しても理解できそう。「本来の姿」=「世界全体どうでもいい」=「ニルヴァーナ」)

・輪廻とニルヴァーナは同じもの。ニルヴァーナの究極は輪廻の究極。(※全体ドカーンで考えれば、ぐじゃぐじゃしている世界全体がその中でどうぐじゃぐじゃしようと(輪廻しようと)、結局、世界全体がぐじゃぐじゃしているだけなので、ニルヴァーナの境地、つまり全体のぐじゃぐじゃを見ている立場からすれば、輪廻もぐじゃぐじゃ。つまり、輪廻とニルヴァーナは同じとなる)

・ニルヴァーナに憧れることが迷い。(眠ろう眠ろうと思うとかえって寝れないようなもの)

・ブッダの見た目を考えてはならない。見た目なんか虚妄だ。ブッダの教えも所詮方法に過ぎない。ブッダは本質を持たない。現象世界も本質を持たない。現象世界はそのままブッダである。(※釈尊もそこらの机も同じ。どちらも「どうでもいい」もの。釈尊も机も「どうでもいい」境地に達したら、現象世界がそのままブッダになる/ここでいう「ブッダ」は法身、法身=空=縁起の理法)

・縁起を見れば悟り。

・無明は「諸法実相を解しないこと」(※何もかもどうでもいいと考えないこと)。これを解決すれば(※何もかもどうでもいいと思えば)苦が消滅する。

・空の真の特質は「何もない」と同時に「存在の充実」である。空はあらゆる存在を成立せしめる基底である。あらゆる形がその中から出てくる。空を体得する人は生命と力に満たされ、一切の生きとし行けるものに対する慈悲を抱くことになる。慈悲とは空(あらゆるものを抱擁する)の実践面における同義語である。


おれまとめ

・龍樹は空を理論化した。龍樹は縁起論者。
・説一切有部に代表される上座部仏教が「概念を実体視(法有)」し始めたので、それに対して空を主張した。概念を「無い」というのではなく、「有」でも「無」でもないというのが空。
・「去るものは去らず」は「去るもの」と「去る」を別々の法と考えて実体視したら、全然関係ない二つのものがなんでくっついてるんだよ、となる。だから、有部の言ってるのはおかしい、という主張。
・もっと単純に考えると「去るもの」はイメージできても、「去る」という概念はイメージできない。こんなもん実体視できるわけーねだろ、ということ。
・また、「父」と「子」は相互依存でしか存在しえない。単品で独立して実在するわけがない。
・だから、事物は相互依存により成り立っている。これが縁起。この縁起観は初期仏教の縁起観とは異なっている。変遷過程はよく分からない。
・事物は縁起でできてるんだから、事物の中になんか核があるわけではない。だから無我。核がないから諸行無常。核がないから空(どうでもいい)。
・空は有でも無でもない。だから中道。
・世界は全部縁起! だから全部どうでもいい! 輪廻も仏もどうでもいい! 空は全部だし、全部どうでもいい!
・いや、でも良くない! 一周回って良くない! 世界は全部縁起なんだから全部どうでも良くない! イエス、慈悲行! レッツ、大乗仏教!

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