【1/10】中村元「大乗の教え(下)」まとめ


 お仕事メモ。

浄土三部経

・阿弥陀経は極楽観光ガイド(観光じゃないけど)。極楽の様子が描かれてる。

・極楽にいる人はもろもろの苦しみを受けることなく、ただもろもろの楽しみを受ける。なのでその仏土を極楽と名づける。

・極楽にいる人たちは、仏を念じ、法を念じ、僧を念じる。仏のことをジッと心に思う(イメージするということか)。それが「念仏」の元々の意味。

・ダルマ(法)はマハーバーラタなどではヤマ(閻魔)と同一視された。(浄土教とあんまり関係ないけど面白かったからメモ。つまり、仏教徒はダルマ(世界の根本原理)に則った生き方を善とする倫理規範を持っていたのだけど(正確には仏教徒が、というか基本的インド人が)、ダルマに合致する生き方が善だとすれば、死後の審判者、つまり、善悪を判定するものもダルマ=ヤマとなるのは納得がいく)

・大無量寿経は法蔵菩薩(阿弥陀仏の前世)が、「オレは生きとし生けるものを救ってやるぜ!」という衆生済度の誓願を立て、それからアレコレして見事さとりを開きました、というもの。

・誓願は「オレ、仏になったら~~やるから。もし~~できなかったら、オレ、仏にならないもんね」という形で進められる。「人や天人が死んだ後、地獄・餓鬼・畜生に天性しちゃうようならオレは仏にならない」「人や神の形が一様で差別がないようでなきゃ仏にならない」とか。中には「菩薩が金剛のようなムキムキの肉体を得なければ仏にならない」「人や神々が服の洗濯を省けるようにならなきゃ仏にならない」などもある。どうも昔のインドは洗濯が重労働だったらしい。(洗濯機は阿弥陀の慈悲)

・大無量寿経には「阿弥陀をバッチリ信じてる人はどういう生活を送ればいいか」も書かれてる。布施をしろ。戒律を犯すな。道徳を守れ。忍辱しろ。精進しろ。精神統一しろ。智慧を身につけろ。つまり六波羅蜜を完成しろ。(そんくらいできるやつは阿弥陀仏に頼る必要ねえんじゃねえか……??)

・仏国土では人がひとりでにいいことをするので、悪が満ちてるこの世で善を行う方が価値がある。この世で十日十夜善を行うのは仏国土で千年間善をなすのにも優れている。(なんじゃそりゃ)

・観無量寿経は阿弥陀仏ならびに極楽浄土の観想、つまりイメージ修行を教えているお経。

・ロクでもない王子が父王を幽閉して、母后も幽閉したので、母后の求めに応じて釈迦がやってきて教えを伝えて帰っていく話。その中で阿弥陀へのイメージ修行が説かれる。(イメージ修行のやり方だけ教えて、特に救ってあげたりせずに帰っていく辺りが実に浄土教っぽいぜ)

・仏のスーパーパワーによって極楽浄土が見えるようになった韋提希夫人。極楽を見てると心が歓喜するから、適当なときに無生法忍を得るらしい。無生法忍とは、存在するものは固定的な実体を持たず、すべては因縁によって生じるという真理を悟ること。

・で、これに対して韋提希夫人が「私は仏さまのスーパーパワーで極楽が見れるようになったけど、仏さまが死んじゃった後は、後の世の人達はどうやって極楽見ればいいの?」となって、そこで極楽世界を「観想」するやり方が述べられるという流れ。

・浄土宗は観無量寿経を、浄土真宗は大無量寿経を、時宗は阿弥陀経を特に重んじている。

・浄土思想の生まれる理由について中村先生いわく。「空観の立場に立つならば、穢悪にみちた現世がそのまま清浄な仏国土である。穢土と浄土との区別はしょせんわれわれの心が清浄であるか否かにかかる、という思想が導き出される。しかし、われわれがどれだけ心を清らかにしようとしても依然として穢悪に満ちたものである。われわれの現実と倫理的理想との間には絶対にこえることのできない距離がある。われわれはいかに努力しても凡夫である。したがって、一部の大乗教徒は現世を穢土であるとして、彼岸の世界に浄土を求めた」


華厳経

・華厳の意味は諸説ある。「菩薩たちが無数の実践によって仏の世界を飾ること」が正統説。

・般若経が空の理論を強調しているのに対して、華厳経はそれを踏まえながら具体的な現実の実践の重要さを説いている。

・東大寺の奈良の大仏は、華厳経の表現する仏である毘盧遮那仏。東大寺は華厳宗の総本山。

・華厳経の一つの特徴的な思想としてはこんなことが書かれてる。われわれの住んでるこの空間では、ひとつの物体が物理的空間の一部を専有すると、他の物体はその空間を専有できない。物体と物体は互いに排除しあっている。これが常識的な感覚だが、高い境地から見ると、ひとつの物体の専有している空間に他の無数の多くの物体が働きかけている。それはある意味「他の物体を受け入れている」ということである。これが事事無礙であり、現象界の事物はひとつひとつがお互いに異なっているのではなく融け合っているという考え方。(要するに空と同じで「世界全体まるごと」のことだと思われる)

・たとえば太陽の光はわれわれだけでなく、遠い外国人にも影響を与えている。一見したところ個別的に異なっている日本人Aとブラジル人Bも目に見えないところでは結ばれている。ありとあらゆるものがお互いに原因となり結果となり、連鎖の網で結ばれて存在している。それが法界縁起。(太陽の例は分り易いっちゃ分り易いが、いまいち受け入れがたいというか、理屈は分かるがピンと来ない)

・この理屈から導き出される帰結としては、「他人というものは他人ではない
」。他人は自分と別のものではない。自分のことを考えるということは他人のことを考えることでもある。自利即利他。菩薩にとっては衆生済度は自利即利他。

・また、道を求める心を起こしたときに、もうそこには悟りが含まれている。(前の流れから突然話が飛んでて良く分からない)

・道を求める、心を起こしたところに、目標がそこにある。逆に、何か目標を達した場合にも、これでいいというのであってはならない。どこかへ達したというのも、実はそれは初発心にほかならない。だから、人はいつまでも初発心に他ならない。人生は絶えず道を求める。しかも最初のときの心構え、それで進んでいくのが本当の姿である。(これ、テニスの天衣無縫の極みじゃん)

・いかなるものも心に基づいて現れる。心がなければ外界のものもあるということは認められない。心があってこそあるうということが知られる。仏も同じであり、衆生も同じである。心と仏と衆生の3つは区別がない。仏は凡夫から遠く離れたものではなく、仏も本来は衆生である。突き詰めて考えると心に他ならない。(なんだこれ?? 華厳経は唯心論なのか???)

・諸仏はみな、一切は心からあらわれ出るということを諒解している。このように悟ったならその人は真の仏を見る。仏を見るというのはこの道理を体得すること。(自分なりに解釈すると、まず世界全体は歴然として存在する。それを心のフィルターによりアレとかコレとかと分類して認識する。でも、全部一緒(世界全体まるごとドカン)なんだよ、と理解すれば、世界全体を見ることができる。世界全体とは真の仏である。仏と衆生と分けて考えてる間は、世界全体ではないので、「真の仏」ではない、ということだろうか?)

・仏の働きは不思議だが、その不思議なものも、われわれの身体があり、心があり、両者がぴったり合っていることによってあらわし出すものである。だから、まことに自由自在であり、不思議である。(何を言ってるのかさっぱりわからない)

・入法界品では善財童子(商人代表の子)がいろんな人を訪れて教えを受ける。

・遊女にも教えを受ける。遊女に抱きついたりキスしたりするのは「欲を離れる道」とされている。中村先生いわく「おそらく人生の煩悩や欲望を通り抜けて、酸いも甘いも噛み分けた人には、やがて解脱の境地が開かれるということを暗に示唆しているのではないか」とのこと。


楞伽経

・解説だけでも難しすぎワロタwwww

・末那とは「思いなす」という意味。自我がそこに存在すると思いなす、そういう精神作用。

・識の「真相」というものは滅びない(真相ってなんだ……)。ただ、「業相」、働く行為の姿のみが滅びる。もしも真相が滅びてしまったなら、阿羅耶識は滅びてしまう。仏教外の哲学者たちは「個体がなくなれば精神も何も全部なくなって断滅してしまう」と考えるが、それと同じになってしまう。そうではなくて仏教は阿羅耶識を認める。(さっぱり分からんが、これは単に「死んだら何も残らないよ」と仏教外の哲学者は言うけど、仏教は「死んでも阿羅耶識は残るもん!」と言ってるだけなんだろうか?)

・仏教外の哲学者の中には、連続している識は何か世界を作ってるものから生じているという。世界には何かクリエイターがいる。純粋物質とか、人格神とか、時間が作るとか、原子が集まってできているとか。仏教はそうではなくて、色と照らす光明が合することによって目の働きが生じているとする。(さっぱり分からん……。色や照らす光明は誰が作ったんだよ……)

・「究極の境地はことばで言い表せれないものである」。禅の不立文字に通じる言葉。


金光明経

・金光明経では国王の心構えが説かれている。インドの仏典の多くは個人的な精神修養を主として論じているので、国をどうするか云々が説かれているのはめずらしい。

・仏教を日本が取り入れたとき、国を護るようなものであれと願われていた。お経を読誦し、仏教が昔から規定している儀礼を行うならば、その特別の霊力・呪力によって国が護られるという進行がずっとあった。さらに進んで国を治める教えはないかとなったときに政治論を述べている「金光明経」がそれに応えた。なので、インド仏教の歴史からすると金光明経は例外的な教えだが、アジア全体の精神的な動きから見ると非常に重要となった。

・ちゃんとやってれば天も守ってくれるし、隣の王様も助けてくれるよ。自分のために、他人のために、国を正しく統治しようね。自分のためと他人のためは一体だよ。

・日蓮の立正安国論は経典のこの部分に基づいている。いま国に天変地異が起きているのは国に正しい法が行われていないからだ、という理屈。(日蓮、法華経だけじゃなかったのかよ……!)


理趣経

・理趣経は般若経典の一部。

・仏教が衰えてヒンドゥーが盛り返してきた背景には、次のような歴史的事情が考えられる。西ローマ帝国が衰退し、インドとの貿易が途絶え、インドの商業資本が社会的に弱くなる。仏教を支えていた大きな基盤である商業資本が衰えて、それを背景とした市民的な社会活動もまた衰えて言った。一方、農村に基盤をおくバラモン教ないしヒンドゥー教が優勢になっていった。

・現実の世界で経験される、凡夫が楽しいと思うものは菩薩にも意味があるよ! なぜかって? それ自体、本性においては清らかだからさ!(自性清浄)


解説部分より

・大乗仏典は時期により3つに分けられる。

初期:大乗仏教の最初から龍樹まで(0~250)。般若心経、金剛般若経、維摩経、法華経、観音経、阿弥陀経、大無量寿経、観無量寿経、華厳経
中期:唯識(250~400)。楞伽経、金光明経
後期:それ以降。理趣経

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