【1/10】中村元「大乗の教え(上)」まとめ


 お仕事メモ。

般若心経

・「空」という字の元の言葉は「シューニヤ」。「膨れ上がっている」「中がうつろである」「中身が欠けている」といった意味。そういう状態のことを「空」と称する。

・シューニヤはインドの数学ではゼロのこと。

・説一切有部は「一切のものが有る」と説く。それに対して大乗仏教では(特に般若経典において)「空」を繰り返し説く。

・固定的なものはない。種々の事物は他のものに条件付けられて成立しており、固定的・実体的な本性はない。本体がない=空である。

・もし固定的なものであれば「煩悩はなくならない」。煩悩も執着も空だからこそ「なくすことができる」。その理を体得することが悟り。

・空は何もない虚無ではなく、現実に展開するものである。「色即是空、空即是色」。われわれの物質面は実は空であり、空というものは実は物質的なかたちとして展開する。(空だからといって何もないわけではなく、様々ある物質の中に「本質がない」といったニュアンスか)

・「いろいろなものは空を特質としている」。常識的に考えるといろいろなものが現れては消えしているが(物ができては壊れるなど)、高い境地から見ると、ただ偉大なる一つの理があるだけ。したがって、汚れることもなく浄くなることもなく増えることも減ることもない。ただ偉大な真実がそこにあるだけ。(世界を「世界全体」としてまるっと受け取った場合、まるっとした世界全体の中での増減などは「世界全体」としては何も変わらない、ということか?)

・高い境地からは無明もなければ悟りもない。老いも死もないし、老いや死がなくなることもない。苦集滅道の四諦もない。さとる智慧というものもなければ何かを得るということもない。(「智慧」というものを設定して悟ろうとすれば、それは全体を部分に分けているのであり、空は部分に分けない全体を体得することなのか?)


金剛般若経

・日常の実践は空の思想に基礎づけられたものでなければならない。何かに滞ったりすることなしに、真実の心、さとりの心を起こすべきである。跡を残そうとしたり、「してやった」という気持ちで施しをしてはいけない。

・般若経典の何よりの特徴は、倫理的実践を「空」の思想によって基礎づけたこと。ものごとにとらわれないという理想の表現。

・善や悪、悟りと迷いの区別にとらわれるな、と主張すれば、倫理的価値観を破壊することになるのでは?と思われるが、そうではなく、このようなとらわれない境地に達すれば行いはおのずから善に合致し、対立を残さない。(つまり、世界全体を体得し、その体験をベースに行う行動を仏教は「善」と考えているわけで、それは現実的にも「いざこざをおこなさい」安楽の境地なのだろう)

・中村先生、金剛般若経についていわく、「大乗思想が固定化、定式化する以前のものであり、静清な思想のいぶきが感ぜられる。自分の体験している思想をどう表現して良いのか、適当な表現が見つからなくて、もどかしさを感じている若者の言葉のような趣がある」。般若経典が最初に登場した大乗仏典であろうと推察しているゆえん。(自分の体験を言葉にできず四苦八苦してる辺りヤコブベーメみたいだな)

維摩経

・われわれは迷いの世界にいる。遠くに涅槃の境地がある。しかし、どちらも本質は空である。本質は異ならない。だから目的を達成できる。われわれの現実の日常生活が、そのまま理想的な境地としてあらわし出されねばならない。

・「われわれはいろいろの感情・欲望をもっているが、それを断ち切ったところに理想があるのではない。それを適切に導くところにある」(これは在家による仏教運動の隆盛により起こった経典である)

・「出家には功徳がない。なんにもためにならない。悟りを求める本当の心、これを起こすのが出家である」


勝鬘経

・悩み苦しんでる人々を救うという活動は伝統的保守的仏教(上座部のことと思われる)でもなされていた。アショーカ王が病院を作るなど。以前からこういう行動は行われていたが、大乗仏教では特にそれを強調するようになった。

・勝曼夫人の10の誓いの中に「財産は自分のためではなく貧しい人や苦しんでる人のために使う」というのがある。聖徳太子はこの精神を具現し、四箇院という施設を作った。

・勝曼夫人の大願の中には「正法を受ける場合に身と命と財とを捨てて実践する」というのがある。聖徳太子はこれの解説に「実際問題として身命を捨てることはできないが、財を捨てるのは心すればできるから、無理のないように人々のために奉仕することを行え」と、バランスの良いことを説いてる。

・「如来像」=「仏の法心」=「空」。それを汚れがまとうことで、具体的な働きがあらわれ出てくる。根本原理における一種の否定原理。しかし、その否定原理も究極においては空であり、清らかなものである。(世界全体まるごとを意味で文節するということか。意味が否定原理であり、世界全体が意味で細分化されることにより具体的な働きが現れる。しかし、意味もまた空であり、清らか(肯定的ニュアンス)である)


法華経

・法華経は融和の思想。仏教の種々の教説はみなそれぞれ存在意義があるということを力強く主張している。(日蓮は本気で四箇格言を言ってたわけじゃないって説をどっかで見たことがあるが、この点を考えれば確かにそういう気がするよなあ)

・声聞乗(ブッダの教えを聞いて忠実に実践)、縁覚乗(自分ひとりで悟りをひらこうとする)、菩薩乗(自分を利すると共に他人を利する)はすべてひとつの真実の教えに帰着する。(ひとつの真実を空(世界まるごと)とすれば理解できる)

・従来、これら3つは別々の教えとみなされていたらしい。(現代の感覚で言えば、科学と宗教と芸術はみんな同じ目的に向かっている、というようなものか??)

・この3つどころか、仏塔を礼拝したり、仏像を拝んだり、壁に仏像をいたずら書きする子供であっても救われる。そのくらい仏の慈悲は超スゴイ。

・学校では先生が子供に応じて指導法を変える。わんぱくな子供には「おとなしくしろ」といい、元気のない子供には「元気を出せ」というが、それは矛盾しているわけではなく、目的は同じである。仏の教えもそれと同じでいろいろあっても方便に過ぎず、目的は一つ。

・なぜいろんな思想の存在意義が認められるのかというと、人間としてのゴータマさんの教えではなくて、時間空間を超えた絶対のもの、諸法実相の理だからである。これが久遠の本仏。(全体まるごとが最終的に得るべき体験とするなら、それを久遠の本仏と考えればあれこれの教えもそれに通じていればOKとなる)

・ゴータマさんは人々を導くために仮に姿を現された、その方便の姿に過ぎない。(訳の分からん超人化がなされているが、しかし、世界全体を空として捉えれば、歴史的人物としてのゴータマさんもまた空なので、その意味では「私たち全員が仮に姿を現されている」のと同じ意味でゴータマさんも仮に姿を現しただけ、という解釈ならできそうだ)

・我々の住んでいるところは欲望にとらわれる欲界。その上に美しい物質のあるところがあり、それが色界(イデア世界のようなものか?)。さらにその上にある何もないところが無色界。しかし、三界に住むものが三界を見ているのとは異なり、仏はただ真実を見ている。(これもおそらくは三界のように世界を分類したのでは、まだ分類が行われたことにより
「世界全体」となっておらず、その分類を超えた世界を丸ごと見ることが仏であるという意味だろう)

・ゴータマさんが死んだのはフェイク。死んだフリ。親が死んで初めて親を敬う人もいるように、仏を恋い慕う気持ちを起こさせるために死んだフリをした。

・「良医の喩え」もある。医者であるオヤジが勧めた薬を飲まない息子のために、オヤジが死んだフリをして息子が薬を飲むよう仕向ける。

・観音経は法華経の一部で「困ったら観音様が助けてくれるよ!」的な。七難を免れる。

・つまり法華経にはこのような教えが説かれているといえる。

一、仏教の教説はみんな存在意義があるんだ! みんな正しい智慧に繋がってるんだ!
二、仏様はフォーエバーだ!
三、現世利益もバリバリだぜ!


解説部分より

・アショーカ王からしばらくの間は仏教が優勢になり(次点はジャイナ教)、バラモン教を押さえ込んでいた。そのうちバラモン教はヒンドゥー教へと変化を遂げ、だんだんと盛り返していく。(常に仏教が劣勢だったわけではないらしい)

・紀元一世紀前後、煩瑣な研究に没頭する高踏的な上座部に対して、在家の仏教信者の集団が中心となって宗教改革運動が起こる。利他行の強調。

・一般民衆の間にヒンドゥー教が芽生えてきたのに歩調を合わせ(おそらく影響されて)、大乗仏教も人格神的な諸仏が出てきて崇拝されるようになった(有神論的性格を持つようになった)。ゴータマさんも次第に信仰の対象となって、超人的なものと見なされるようになってきた。

・初期の大乗仏教徒は教団の組織を持たず、精密な哲学的研究を好まなかった。代わりに彼らは強烈な信仰を戯曲的な構想の下に(つまり文学的に)大乗経典として結実させた。ヒンドゥー教徒たちが二大叙事詩を描いたように。「自分らの確固たる信念と、たぎりあふれる信仰とを、華麗巨大な表現をもって、息もつかずに次から次へと表明した」。(法華経がスペクタクルロマンであっても、あまり哲学的な感じがしないのはこの辺りの理由か?)

・民衆の間から起こった宗教運動なので、教化方法も民衆に合わせる必要が生じ、現世利益的な性格を帯びるようになった。昔は禁止されてた陀羅尼も用いるようになった。

・初期の仏教は男女差別がなかった。後に一般社会の女性蔑視の影響を受けて男性中心主義が出てきた。変成男子は法華経に現れる。

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