お仕事用メモ。
・人々が自覚し、自分のなすべきことはこれであると決めて、その理想に向かって進んでいくとき、その人は生きている。さとりというのも、そのつとめはげむ道筋の中に求められる。(①さとりを目指して頑張り、②何らかの悟り体験があり、③その後、「悟り体験」に照らした生き方をする、の3点を併せて「悟り」という理解で良いのだろうか)
・四方をもって我が家とする。出家者は家がないのではなくて、大地を我が家とする。
・スニータ長老は低いカーストの出身だったが、二人の神から「生まれ良き人」と呼ばれた。「生まれ良き人」は血筋ではなく、「熱心な修行」「清らかな行い」「感官の制御と自制」によって「ひとはバラモンとなる」。
・教義学者は五戒を次のように区別している。五戒の最初の4つは「性罪」。それ自体悪いこと。禁酒は「遮罪」。酒を飲むこと自体が悪いわけじゃないけど、過ぎてはいけない。「あんまり飲みなさるなよ」と遮っているニュアンス。
・アショーカ王は人や家畜のための病院を作り、薬草栽培をした。(アショーカ王の(事実上の)仏教の推奨も場合によっては「価値観の押し付け」であるが、このような現実的なメリットとなる政策もある)
・アショーカ王は仏教を信仰していたが、仏教を広めようとしたわけではない。「すべての宗教の本質を増大するように」と彼は言った。(仏教はもとより「宗派にかかわらず、そのコアを掴む」といった教えであるから、これは理解できる)
・有情の情は「こころの働き」の意。「こころの働きのあるもの」だから「生きもの」となる。人間のみならず高等な動物もそこに含まれる。
・無我説は「実体としての我がない」という意味。自己を否定したわけではない。自己は言葉では捉えきれない。五蘊の他にあるもの。人間が法に従って実践する中で「ほんとうの自己」は現れる。
・涅槃とは止滅のこと。止滅とは「感覚器官をコントロールすること」。
・内外の六つの領域(五識+意識か?)を歓喜しない→愛執が滅びる→執著が滅びる→生存一般が滅びる→生まれが滅びる→老い死ぬこと、憂い、悲しみ、苦痛、悩み、悶えが滅びる→まったき苦の集まりが滅びる。(※相変わらずここの理屈が理解できない。なぜ執着がなくなれば生まれ変わりがなくなるのか? ただ、「滅びる」をコントロールと取れば、生存とそれに付随する苦から受ける感情を「コントロール」できるわけだから、苦も「まあいっか」と受け流せる。その理屈で「生まれ変わり」も「生まれ変わってもまあいっか」となって、事実上、「輪廻の苦しみを免れる」と言えるのかもしれない)(追記:どうも当時のインド人の考え方にそういうのがあったらしい)
・「涅槃に至ってないやつは、涅槃がなんで素晴らしいものって分かるの? なんで涅槃に向けて努力しなきゃいけないの??」
「涅槃を体得した人々の声を聞いて、『涅槃は安楽である』って知ればいいんじゃないの?」
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