お仕事用メモ。
・悪魔ナムチいわく「ゴータマさん、苦行頑張りすぎで死にそうだよ。命あってのものだねだよ。生きて善行なそうぜ」
ここでいう「善行」とはヴェーダの祭儀により功徳を積むこと。呪術による召福のことか。
釈迦「私はそういう善行はする気ないんで、よそ行って下さい」
・六師外道まとめ。
→唯物論。
→人間は要素の構成から成っている。だから剣で斬ろうとしても「構成要素の間をスーッと通っていくだけ」。こんなことを真面目に言ってた。
→快楽論
→その反対の苦行主義。
→懐疑主義。もう考えるのをやめてしまおう。
→宿命論。なるようになるよ。全部決まってるんだから。
唯物論と「構成要素から成る」は近しく、快楽論と苦行主義は反対で、懐疑主義と宿命論も近しい。
・最初期の仏教徒は「幸福」について体系化して考えていない。手探りで思案しながら思いついたことをポツリポツリ語っている。
・悪魔の娘たちは釈迦を誘惑する際、「人の好みはそれぞれ異なるから」として、少女、未だ子を生んだことのない女」「子供を生んだ女」「中年の女」「熟女」などに姿を変えて近づいた。(釈迦がマニアックであった場合を考慮して様々な性癖に対応できるようにした)
・釈迦の梵天勧請の折のセリフ。
「耳ある者どもに甘露の門は開かれた。おのが信仰を捨てよ」
その一方で釈迦は他の宗教を認めるような発言もしており、他宗に厳しいのか寛容なのか良く分からない。たとえば阿羅漢(仏教に限らず当時の宗教の「立派な修行者」のこと、ブッダと同義)を「すべて保護すべし」と説いている。(考え方によっては、仏教は特定の宗教思想ではなく、あらゆる宗教の根底に共通する「コア」を「体験することを教える」ものなので、他の宗派の者でも立派な修行者であれば「コアを体験している」=「仏教徒といえる」という論理が成り立つのかもしれない。そう考えれば両者は矛盾しない))
・インドには大きな木の下に亡くなったえらい人の骨を納めて、それを拝むという習俗があった。釈迦はこうした行為を推奨している。仏教が後に祖先崇拝を取り入れるようになる根拠。
ブッダの生涯 (仏典をよむ 1) | |
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