世間さまが許さない!―「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」 (ちくま新書) 筑摩書房 2009-04 売り上げランキング : 31602 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
献本。「日本人はルールではなく共通モラルを重視する」「個性化・多様化がそういった共通モラルを破壊している」というお話。
しかし、著者的には「だから個性化・多様化はけしからん」とか、「共通モラルが罷り通ってるのはけしからん」と言ってるわけではありません。だって、著者は相対主義者だから。ただ、「日本の現状はそうである」というだけの話です。
もう少し詳しく説明すると、民主主義社会において、本来、僕たちが守らなければならないのは「法律」という「ルール」だけです。僕たちは人それぞれで価値観もモラル感覚もバラバラです。だから、お互いの価値観を尊重しつつ、自分も相手も納得できる妥協点を見つけて、それをルール化し、お互いがそれを守るよう努力していく。これがいわゆる民主主義というやつです。
しかし、現状の日本はそれとは別の「共通モラル」、すなわち「世間さま」が機能しており、「みんなが同じような価値観を持っている」という感覚を抱いています。この感覚があるために「お互いの価値観を尊重できない」。なぜなら、「お互いの価値観は同じだと思っているから」。自分が正しいと思うことは相手も正しいと思ってるし、自分が間違ってると思うことは相手も間違ってると思ってると、そう考えてしまうわけです。だから、少数派に対しては、「そういう価値観もある」ではなく、「あいつはおかしい」「そんな価値観は絶対的悪だ!」となってしまう。つまり、少数派の人間に対しては「世間さまが許さない」。(民主主義社会で)僕たちが守らなければならないのは本当は「ルール」だけなのに、たとえルールに違反していなくても、「世間さま」による社会的圧力も実際は掛かっているということです。
この「世間さま」による社会的圧力ですが、しかし、これは昔は機能していました。実際に多くの人が同じような価値基準を持っていたからです。ですが、昨今では「個性化・多様化」教育により人々の価値基準もバラバラになってきて、「(オレのモラル感覚では)あいつはおかしい」というケースが顕著になってきたわけです。著者は言います。民主主義社会で子供たちに本当に教えるべきことは「ルール厳守」であり、「モラルの向上(道徳教育)」は言葉こそ美しいものの、要は社会的圧力による思想統制である、と。
ま。とはいえ相対主義者である筆者は思想統制が悪いとも言ってません。そこで本書の白眉となる最終章では、「もう民主主義は諦めちゃって、全部世間さまシステムでやってけばいいんじゃね?」という思考実験が行われます。要するに「みんなが何となく抱いているモラル感覚」に法的拘束力を持たせちゃえ、ということです。「みんながどんなことを考えているのか」を周知させることにより、みんなのモラル感覚を統一し、それをルールとする。直接民主制と異なるのは、直接民主制が「みんなの価値観(正義)はバラバラであることを前提に、多数決によりルールを定める」のに対して、世間さまシステムは「みんなの価値観を統一して、みんなの『正義』を作り出す」ということです。
さて、これはあくまで「思考実験」ですので現実性がなくても別に問題ないんですが、筆者はこれに関して問題点を二つ挙げています。第一に「日本在住の外国人の問題(外国人は日本人と全く異なるモラル感覚を持つ)」、第二に「このやり方で外交はできるのか?」という点です。筆者は「イスラム圏もできてるんだからできるっしょ」としていますが、僕としてはもう一点、さらに問題点を加えたいと思います。すなわち、「少数派が息苦しくて仕方ない」ということです。
例えば、僕は「穏やかな大麻解禁論者(※1)」であり「多夫多妻主義者」ですが、現状、日本のルールでは「大麻禁止」であり「一夫一妻制」です。僕はこの現状が正しいとは思っていませんが、「自分が大麻解禁、多夫多妻が正しいと思っている」のと同じように、「他者は大麻禁止、一夫一妻が正しいと思っているのだろう」と認識しているため、民主主義的にルールを破らず生活しているわけです。つまり、「本当はオレが正しいんだが、お前ら多数派に合わせてやろう(※2)」と考えているわけで、ここでギリギリ自尊心が保てているわけです。ちなみに「本当はオレが正しいんだが~」という不遜な態度を取ることが許されていることを「少数意見の尊重」と言います。
しかし、「世間さまシステム」になってしまうと、多数派は「相対的な正義」ではなく、「絶対的な正義」になってしまいます。すると、少数意見の尊重なんてなくなってしまうわけで、僕は「世間さまと違うモラル感覚を持ってるおかしな人」になってしまうわけです(なお、「えー、今でもおかしな人だよ」と思った人は、まさに「世間さま」にどっぷり浸かっていることになります)。こうなっちゃうと、もう精神衛生上、非常によろしくないですね。多数派は「自分とは考えが違う人」ではなく、「絶対的正義」であり、「自分は悪」なんですから。例えるならば、キリスト教的世界観にどっぷり浸かっている中世ヨーロッパで「オレは神を信じねえ」と言うようなものです。というわけで、こんな社会ではちょっとやってらんないなあ、っていう感じがします。なんたって、僕はもう民主主義の洗礼を受けちゃってるんだからね。
※1 本文中では単純化のため「解禁論者」のスタンスで書きましたが、より正確にスタンス表明するならば、大麻を解禁した場合の利益、不利益を冷静に見定めて禁止すべきかどうか決定すべき、という立場です。現状は冷静に見定めようにも、みんなが「大麻は絶対ダメ」と思いこんでいるため、そもそも研究すら許可が下りずデータが集まっていません。今は少ないデータの中から、解禁論者も禁止論者も自分に都合の良いデータを引っ張り出して主張しているだけで、このような状況は理性的とは思えません。まずは偏見を排した客観的な研究と、それを基にした冷静な討議をすべきと考えています。現段階で個人的な意見を述べるならば「おそらく解禁しても問題ないのではないか」と思っていますが、これは今後のデータ次第で変化する可能性があります。
※2 より正確に書くならば、「オレが間違っている可能性もあるし、お前らが間違っている可能性もあるが、オレは現状のところどちらかといえば自分が正しいと思っている。しかし、今はお前ら多数派に合わせてやろう」
世間さまが許さない!―「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」 (ちくま新書) | |
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