適当に書いてみる。
***
前提1:科学は事実の観察による因果関係の分析である。
前提2:科学は「結果」を説明する説明体系の"1つ"である。
前提3:科学は現在のところ有効性の高い説明体系とされているが、科学がすべての因果関係を説明可能とする根拠は「ない」(ある実験を一万回試行し、一万回同じ結果が出たとして、一万一回目も同じ結果となることを科学は保証できない)。
前提4:よって、「科学では説明できない世界」というのは「当然ある」。
「ポイントは、科学では説明できない世界は『超常現象』などという大それたものではなく、当然ありうる身近なものという認識」
「たとえば、いま私の横にあるテレビが手を触れてもいないのに突然ついたとしよう。電源コードを引っこ抜いても消えない。こうなれば普通はびびる。『祟りだ!』『霊の仕業だ!』と考えるかもしれない。しかし、上記の理屈に沿っていうならば、これは決して超常現象などではなく、『日常的な現象であり、かつ、科学的に説明できないケース』に過ぎない。よって、科学的見地からすれば不思議(レアケース)ではあるが、それでも、それはあくまで日常である」
「にもかかわらず、科学的でないことを超常現象と捉えるのは、科学=日常と考える誤謬ではないだろうか」
「しかし、『テレビが勝手につく』という事象は、確かにそれ単体では何の脅威もないが、事実の観察による因果関係からは外れており、ひょっとすると3秒後にテレビが爆発してもおかしくないし、中から貞子が出てきてもおかしくない。そのため、この場合、テレビに対し何らかの警戒心を抱く必要はあるかもしれない」
「だが、『事象』に対する警戒を必要とするということは、これはすべての『事象』に対する警戒を要することと同義かもしれない。たとえば、私の前に見慣れない虫が一匹現れたとする。私がこの虫に対して科学的知識を持っていなければ、私はその虫に対して警戒する必要がある。もしかすると、その虫は3秒後に致死性の毒ガスを撒き散らすかもしれない」
「にもかかわらず、私はこの虫に対して特別な警戒を払うことはないだろう。であれば同様に、私はテレビに対しても特別な警戒を払う必要はないのかもしれない」
「テレビは勝手につくかもしれない。皿は空を飛ぶかもしれない。壁に女の顔が浮き出るかもしれない。しかし、それはすべてそういう事象でしかない。『皿もたまには空を飛ぶよね』ということ。私たちが危惧すべきことは、皿が割れてもったいないとか、片付けが面倒くさいとか、頭に当たったら怪我をするなあ、とか、そういうことである」
科学哲学の冒険―サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス) | |
戸田山 和久 おすすめ平均 本文は素晴らしい。しかし何故「伊勢田」が推薦図書なのだ? 読みやすい!わかりやすい!!何より、面白い!!! ハート・ウォーミングな結末 「科学とは何か」の入門に最適 肝心なことを言って欲しかった Amazonで詳しく見る by G-Tools |