読書会用の身内向けレジュメです。ちょっと時間がなくて、「諦観庵」「身調べ」「内観」あたりを知っていること前提でまとめているので(あまり親切なまとめ方ではないので)、分からない人には分からない内容だと思います。
※あまりに分かりにくいんでラジオで口頭説明します。21:30~頃を予定。
ラジオ:http://203.131.199.131:8060/dangerous.m3u
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《ポイントのまとめ》
・浄土真宗では、知識を求めることが軽蔑される向きがある??
・「死んだらどうなるのか?」という気持ちがスタートとして重要視される。これを真剣に考えられるかどうか(後生大事)。
・浄土真宗では真の信仰心を持つ人はほとんどいないと言われる
・また、一度信仰心を持っても、それに安住し、堕落することがありうる
・諦観庵における「身調べ」でも、同様の堕落がありうる
・よって、内観では集中内観だけでなく日常内観(一日に2~3時間くらい)を推奨する
・また、内観では無常感を感じさせるために、罪悪感を持たせるようにする。
・罪悪感を持つことにより、「そんな悪人である自分でも生きていられる」ことに有り難味を感じさせるのが肝か?
《個人的なポイント》
・キリスト教でも原罪による罪悪感がポイントと思われる。まず、罪悪感を感じさせることが宗教のキーか?
・また、キリスト教の懺悔のシステムと、心理的機能にも共通するところがありそうな気がする。精神分析と同じで、罪悪感(というか、公にできない心理的なもの)に対して、文脈による何らかの意義付けを与えることがポイントではないか?
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以下は本書から適当に抜粋したもの。
・浄土真宗系の新興宗教「諦観庵」
cf)真宗では、昔からほんとうの信者の数は国に一人か郡に一人くらいといわれています。
<入ろうとした時>
「あなたのそれはウソではない。しかし、本当ではあるが真実ではなく、ただ書いてあるだけですよ。火は熱いと聞いて、そうらしいですね、とだけ言ってるようなもので、"あっ熱い!"と真実のところ火に触れたのとは違います。この息が止まったら地獄に落ちて行かねばならぬ。真実、地獄へいく自分であるということに、貴方はまだ目覚めてないのですよ」
「今のままのあなたでは駄目です。あなたの程度では、たぶん、玄関払いを喰らうだけですよ。そこへ行くには条件があります。それは、あなたが、"死ぬのが怖ろしい。いま死んだらどこへ行くのか。その死を恐れているのではない"といくら言っても、受け付けてもらえないでしょう。後生難儀ならばよろしいが、あなたのように、聞きたい難儀といって、法話を聞きたい、といった程度の気持ちしかもっていなければ、いくらあなたが行っても、遠いからといって追い返されますよ」
<身調べやってる最中>
「あれはバケや。理論を知りたい人や。ほんものと違います。残念ながら真実の後生難儀ではない」
・身調べ
課題はなく、「いま死んだらどこへ行くか?」を問われる。飲まず、食わず、寝ずで、五日も過ぎれば昼も夜も分からなくなる。色んな人が交代で二時間ごとに面接に訪れる。
・転迷開悟(迷いを転じて悟りの境地へ)
どんな逆境にさいなまれようとも、また他人の目には「あの人はかわいそうやなあ」と映ろうとも、どんな地位、境遇、立場、状況にあろうとも、「ありがたいなあ、わしみたいな悪い奴が今日も元気で達者に、こうして暮らさせてもろうて、幸せやな。どこ痛い。どこ痒いちゅうことあらへん。本当に私は幸福やなあ」と、感謝報恩の気持ちで暮らせる、そういう心のすみかに大転換すること。
・内観と身調べの違い
罪悪感を持つこと。無常感をもつことよりも罪悪感をもつこと。無常感を感じられるようになるためには罪悪感から進むほうが確実。「こんな怖ろしい罪を犯してきた私が、もし死んだらどうなるのだろう」。
病気や老齢で死期の迫った人ならともかく、健康で、ふつう死ぬことなど考えない年頃の人が「死んだらどうなるのだろう、死ぬのが怖い」という気持ちになるのはよくよくのことです。その気持ちが真実の自己を求め、法を求める動機になるのです。浄土真宗では、それを「後生大事」といって仏の道に入る大切な機縁としています。
・集中内観の効果は消えやすい
日常内観を怠れば10日か20日、一ヶ月もすれば消える。毎日常に反省する習慣を身につけなければならない。
・効果
もちろん、内観を続け過去の洗いざらいをさらけ出すことはまことに苦痛なことではありましたが、またそれだけに大きな飛躍が待っており、苦痛も喜びと誇りに転ずるのです。


















