・太陽のイメージを持つ仏達(4)
無上ヨーガタントラの仏たち
密教とは:7世紀以降、大乗仏教がヒンドゥー教の影響を受けて、神秘主義化が進む。密教の登場以来、それ以前の仏教を「顕教」と総称するようになる。
顕教:哲学(見)重視。その教えは全てに開かれているのでマスプロ化。
密教:修行(行)重視。師弟関係はマンツーマンになるのでマスプロ不可。
※たとえていうなら文科系の顕教と体育会系の密教。顕密両方が大切(哲学だけ極めてても修行がなければ実践できるか怪しくなる/哲学バッチリの位の高い坊さんでもカネに汚かったりとか)だけど、仏教はどっちかに偏りがちになるらしい。顕教は大勢に教えることができるので大教団化し、密教はマンツーマンなので土着化し、規模はちっちゃいけど強烈になる傾向にある(言ってしまえばカルト化)。
『密教の男女合体尊の意味』
・密教の仏は、その多くが女尊との合体形で表される。男女はそれぞれ悟りを得るために必要な二つの元手(ニ資糧)を表す。(なので、別にエロイ訳ではない)
・男尊方便(命あるものを救う手段) →利他
・女尊智慧(空を認識した意識) →自利
⇒自分を立派にした上で人のためにつくしましょう的な感じ。どっちが欠けても悟りの境地に至らないことを表すため、男女尊は不ニの姿を表す。
※この仏が東西南北4つの顔を持ち、手が8本あったり、手に色々持ってたりするのは、世界全体を見渡すよ、とか、パワーがあるよ、とかの象徴。
※無上ヨーガ=タントラの行者はしばしば常識から外れる行動を取るらしく、僕たちパンピーから見ると変人が多いらしい。汚い格好をしてたり、墓場をうろついたり、うんこをかき混ぜたりするけど、実は地元では有名なヨーガ=タントラの行者だった!とか。(中野のうんこおじさんも無上ヨーガ=タントラの行者だったのかもね)
・ヒンドゥーの世界観
⇒世界の中心にある超高山(カイラス山)の上にシヴァとウマ后がいて、天界から落ちてきた水がシヴァの身体を伝ってカイラス山の下の四河(含むガンジス川)を満たす。なのでガンジス川は聖なる河。だからみんな沐浴する。
※カイラス山……この山のモデルとなった同名の山が西チベットにある。この山は確かにガンジス川、インダス川、揚子江、黄河などの水源地にある。今なおヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教、ポン教の信者が訪れる。
・密教の世界観
⇒密教経典『チャンクラサンヴァラ・タントラ』によると、カイラスの山頂には足下にシヴァとウマ后を踏みつけ(参考画像で踏まれてる赤いのと青いのがシヴァとウマ后)、シヴァからその属性の全てを奪い取り、パワーアップしたチャクラサンバラ尊とその后が君臨すると考えた。
・チャクラサンヴァラ尊の象徴するもの
⇒ヒンドゥー教に対する仏教の勝利を示す(逆に言うと、こんなことをしなきゃならんほどインドで仏教は追い詰められていた)
⇒チャクラ(輪)という言葉や、チャクラサンヴァラ尊のマンダラが法輪形になることは、チャクラサンヴァラ尊も転輪聖王(=太陽王)のイメージを含んでいることを示す。
※つまり、仏教はBC5に始ってより、チャクラサンヴァラ・タントラが生まれた10世紀~11世紀に至るまで、あらゆる仏の上に太陽王のイメージを重ねていた。
仏教儀礼に内在する王権のイメージ(1)
・即位儀礼と潅頂儀礼
インド古代の王の即位儀礼
(a)月の位置が聖なる日が選ばれる
(b)王になるべき人物は海や聖河から集めた「水で清められる」
(c)神々の王、インドラ神が潅頂の真の主催者
(d)社会の全階級からの支持が象徴的に示される
(e)儀式の要所でマンダラが唱えられる
(f)王になった瞬間、王座、宝冠、天蓋、奏楽など、王権の象徴を身に帯びる
(g)戴冠の後、王はアヴィシェーカナーマ(潅頂王)と呼ばれる、別の名前を名乗る(例:パーラヴァ朝のラージャ=シンハは、ナラシンハ=ヴァルマンと名乗った)
・即位儀礼は人類学でいうところ通過(入門)儀礼
『通過(入門)儀礼』
・集団内での身分の変化、新しい役割の獲得、ある場所から他の場所への移動、ある集団から他の集団への移行などに際して行われる儀礼全般を指す。
・オランダの民俗学者フォン・ヘネップが最初に用いた。ヘネップはもっともよく見られる通過儀礼の区分は、「分離の儀式(象徴的死)」⇒「過渡の儀礼(象徴的無限定状態)」⇒「統合の儀礼(象徴的再生)」であるとした。