《宗教進化論》
・人間の宗教の歴史を『アニミズム』から多神教を経て、一神教へといたる進化の歴史と捉えている。
・認識論的仮説(自然現象への解釈)がいっそう適切なものとなっていく連続的過程(=少しずつブラッシュアップされていく)と見る点で、宗教現象理解の『合理主義的立場』)に立つ論である。
※合理主義的立場……世界の説明原理が、より精緻で適切、合理的なものになっていくという意味。これは「一神教はバッチリ世界を説明できてるよね」「一神教は合理的だよね」というのが前提となっている。
《宗教現象理解の非合理主義的立場からのタイラー批判》
※非合理主義的立場……合理的宗教理解では宗教の本質は掴めないよ派
○ファン・デル・レーウによるタイラーのアニミズム批判
・批判に先立って、「アニミズムはなぜ成立したか」に関するタイラーの解釈
1、未開人、原始人にも目に付く"生体と死体との区別"(何かが欠けた)
⇒これは原始人だって区別できたよね、と言われると、確かに認めざるを得ない。
2、夢の経験
死ぬと肉体を離れ、眠っている時も肉体を離れる霊魂というべき実態があると推論する(霊魂はキリスト教的なアイデアだけれど)
↓
これが自然現象の原因である(この「霊魂」が周りの世界にもあるのが原因)
↓
原始人は「誤った類推」という誤謬によって、自然物にも霊魂を与えてしまった(とタイラーさんは考える)(※つまり、「人間に霊魂があるのは正解だけど(キリスト教的思考)、自然物に霊魂があるなんて間違いだよねー」とタイラーさんは考えている)
↓
つまり、アニミズムは印g率への知的な欲求の産物である(原始人、未開人の「なんでだろ~?」への解釈によるもの。「木には霊魂が宿ってるから果物とかくれるんだね!」)。
だから、アニミズムとは(霊魂と肉体との退避という心理学的仮説に基づく)未開の哲学である。
『自然に人格生命を付与するという幼稚な原始哲学(第七章 神話とアニミズム)』(byタイラー)
・霊魂とは人格化された原因である。
『アニミズムは発達して人と自然に関する一般哲学になるところの、人格原因説である。したがって、これは自然宗教より直接に生じるものであり、自然宗教とは啓示(神からのお告げ)の助けを借りずに、理性と思考と経験により知ろうとする宗教である』(第十六章)
ここまでがタイラーのアニミズム解釈。次からは、これに対するファン・デル・レーウの「非合理主義的立場からの」批判。
・タイラーは宗教を周囲の世界や生活の過酷さか生ずる内的生活の必要性(そう思わなきゃやってられない)からではなく、『霊魂』と命名されるものの認識(知性による認識)がなければ成立しなかったであろう、単なる支弁として説明してしまっている。
⇒宗教においては論理はメインにはならない。感情がメインである。けれど、タイラーは知的欲求から、論理においてアニミズムが生まれたとした。
⇒つまり、タイラーはアニミズムを宗教ではなく、未開の哲学、心理学としてしまった。
(※要するに「非合理主義的立場」の人は、「合理的宗教理解では宗教の本質は掴めないよ派」なので、原始人&未開人が知性による認識(合理)から宗教を組み立てたとしている点を批判している。うん、まあ、それはあなたは非合理主義的立場の人だからそう思うかもしれないが、まず非合理主義的立場の方が適切であることを示してくれと思わんでもない。非合理主義的立場の方が現在の主流なので、たぶん、これとは別の文脈でそれなりにしっかりとした議論があったのだろうけど)
原始文化―神話・哲学・宗教・言語・芸能・風習に関する研究 (1962年) | |
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