僕は時々イン殺さんのことを天才ではないかと思うのだけれど、この発想は本当に素晴らしいと思うんだ。仏教というのはともかくとして、悪意うずまくネット社会に何らかの思想的メソッドを確立して対処するという発想は、これはたぶん10年先を進んでいるアイデアじゃなかろうか。僕はこんなこと、考えたことすらなかった。
もうちょっと砕けた言い方をすると、まあ、実際問題として、荒らしとか炎上とかあるわけじゃないですか。そこまでいかなくても、ちょっと言葉遣いが悪いだとか、KYだとか、ネットに触れていてムッとする瞬間はちょくちょくあるわけですよ。で、それに対して、現状では「ネットマナーを守りましょう」的なサイトが一定の規範やルールを示してるという、今はこういう次元なんですね。
でも、イン殺さんのアイデアは次のステージに進んでいる。「お互い気持ちよく付き合うために、これとこれは守りましょう」という現実的感覚に拠った解決法ではなく、ネット社会における別の「常識(コモンセンス)」を打ちたてようというアイデアなのです。現実的感覚に拠っている場合、「これとこれは守りましょう」だから、守られないと腹が立つ。それでは意味がない。しかし、別のコモンセンスが成り立つ状況で、「これとこれは守られなかった」という感覚が得られるならば、それは「守られなかった」という事実に過ぎず、そこに怒りは伴わないのです。そして、現実感覚とネット上での感覚を地続きにする必要性は必ずしもないのです。
つまり、荒らしや悪意あるコメントを、「あるがままに受け止められる」精神性といいますか、文化といいますか、それが一般的な通念としてネット社会に成立するならば、僕たちはより心地よい眠りを得られるわけです。「荒らしは(我慢して)スルー」ではなく、「荒らしはそこにある」という感覚? そもそもネット上で何を言われたところで、実際問題としてそんなにムカムカする必要はないわけで、その全く不要なムカムカ時間とムカムカエネルギーを通念により抜本的に解決することができれば、これは世界全体の労働生産性が0.5%くらい上がったりするんじゃないかと、ちょっと本気で思ったりするのですよ。
成りすましの問題だとか、住所を特定されるとか、サイトで稼いでるから荒らしは大打撃だとか、ネットとリアルは完全に分断されている訳ではないから、このメソッドで万事解決という訳にはいかないのだけれど、でも、これが成立したら、大分良い感じになるんじゃないかなあ。
「知ってた? 昔はコメント欄で批判書かれたら、サイト主は落込んだり逆ギレしてたらしいぜ」
「マジで? 一体どうして?? 意味がわかんない」
みたいなことにならないかなー。さらに言うならば、いま最も、「心の問題」だけで解決できる(可能性が高い)のがネット社会だと思うので、次の時代に宗教を開くとしたら、これはアリだと思うんだよね。今度ちょっとやってみようかしら。
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