黒鈴さんのおうちに遊びに行ったのです。黒鈴さんが自分へのお誕生日プレゼントとして、「涼宮ハルヒの戸惑」を買ったというので。黒鈴さんもまだ未プレイだったらしく、僕たちは説明書も読まずに手探りでゲームを始めました。
黒鈴「あれ? キョンがしゃべらないよー(´・ω・`)」
かがみ「黒鈴さん、逆に考えましょう。しゃべらないのがハルヒじゃなくて良かった、と」
少しやって分かったことですが、どうもこのゲームはSOS団でゲームを一本作るという内容のようです。それで、ハルヒの納得のいかない出来になった場合、ハルヒの良く分からん力によって一ヶ月前(ゲーム製作前)に時間を戻され、SOS団はエンドレスデスマーチを強いられるというのです。
黒鈴「終わらない仕事はないっていうけど、この世界では仕事は終わらないんだな……(´・ω・`)」
元プログラマーの黒鈴さんは感慨深そうに呟きます。一ヶ月かけてゲームを作り、出来が悪ければ一ヶ月前に戻ってやり直し、これをエンドレスで繰り返すなど確かに地獄以外の何物でもありません。
ですが、それは作中のSOS団のみに言えることではありません。プレイヤーも同じです。プレイヤーはキョンとなって一ヶ月の製作スケジュールを組みゲームを完成に導くわけですが、おそらく製作スケジュールの立て方が悪ければまともなゲームは作れず、何度もこの一ヶ月間を繰り返さなければならなくなるのでしょう。二周目以降はかなり作業的な内容となることが予想されます。一日が終わるたびに就寝前の妹との日常会話なども律儀に入りますし、多分それも同じことを繰り返さなければならないのでしょう。ちょっと想像しただけでも、これは辛い……!
いや、しかし、だからといってこのゲームを非難することはできますまい。なぜなら、これこそが僕たちの望んだハルヒの世界なのだから……。
そもそも僕たちはハルヒに何を求めているのでしょうか。あの狂女が何やら訳の分からぬ世迷い事を言い出した時、僕たちは何を思うのでしょう。そうです。「キョンが羨ましい」と、僕たちはそう思うのです。僕たちはハルヒの狂気に振り回されたいのです。狂女の世迷い事に付き合わされ、馬車馬の如くに扱き使われたいのです。これは全ハルヒファンに共通する認識であり、決して僕個人がマゾだからという訳ではないはずです。
つまり、「涼宮ハルヒの戸惑」とは、キョン追体験ゲームに他ならないのです。それはプレイヤーがキョン視点でゲームを進めるということだけを意味するのではありません。キョンが日々ハルヒに振り回され、味わわされている苦痛をプレイヤーも受け取ることができるという、これはそういう素晴らしいゲームなのです。僕たちの日々思う「キョン羨ましい」が、どれほどの覚悟を伴った想いであるのか、それを試されているのです。だから、僕たちハルヒファンの正しいプレイスタイルは、「ハルヒたんのせいでこんな苦しい作業を何度もさせられているよ。快感だなあ、ハァハァ」のはずなのです。
そもそもですね。僕たちは気軽に「ハルヒは俺の嫁!」などと叫びますが、それがどういうことなのか、皆さんは本当に分かっているのでしょうか。それは今後、僕と彼女が死ぬまでの話なのです。今後、60年やら70年やら80年やらに渡って続く、僕とハルヒの物語なのです。つまり、今後60年間、ハルヒの狂気に付き合える猛者だけが、「ハルヒは俺の嫁!」と公言することを許されるのです。そのことを思えば、ゲームクリアまでのわずか数十時間が何だというのでしょうか。その程度の苦痛を受け入れずして、何がハルヒは俺の嫁だというのでしょうか!
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と、いうわけで、黒鈴さんが飽きたら貸して欲しいなあと思ってます。これはね、決してクソゲーだったと言いたい訳じゃないんだ。これは作業の辛さを脳内変換で麻薬へと変えられる、稀有なゲームではないかと思うんだ。
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