テキストはこちら(第34回「改竄事件!」)。
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これはとても難しい話ですね。
というのは、傾聴に値する話ではありますが、これを鵜呑みにして良いのかどうかが難しいところなのです。
>> まず第一に「前置きなしにメタとかやるな」。いきなり“君が昔読んだお話のパロディ”とかやられても、読む人にはその面白さが分からんのだ。
>> 第二には「世間の人はサプライズとかあんまり気にしてないぞ」。彼/彼女らにとっては、お話のひねりがどうのより「お姫さまが助かるかどうか」のほうが問題なので、大した理由もなくそれを殺すのは顰蹙ものだ。
先生の要諦は、まあここらへんになるわけですが。
第一の点、「前置きなしにメタとかやるな」ですが、この「前置き」というのがどのような種類のものか良く分かりませんが、しかし、パロディというものは元ネタの知識があることを前提にやるもので、「面白さが分かる/分からない」というのは、これはもう避けようもない問題だと思うのです。
これはあまり論理的な話ではなく感覚的な話なのですが、「ウケる人数が少なければ少ないほど面白い」という傾向はあると思います。100人中99人が見向きもしない作品は残り1人には人生を変える程の感動的な作品だったりするし、100人中80人が絶賛する作品にはそれほどの影響力はなかったりします。僕たちが大好きなテニスだって、100人中80人が絶賛する作品じゃないですしね。
次に第二の点、「世間の人はサプライズとかあんまり気にしてないぞ」。うん、まあ、その通りです。「助かると思ったけどお姫様死んじゃった」系の、この手の下方向へのサプライズでは、読者はカタルシスを得にくいのだと思います。「なんじゃそりゃ」と思うだけでスッキリしないのです。
例えば、僕は夢オチが大好きなのですが、あれも「今まで必死に積み上げてきたものを一度に水泡に帰する」という下方向へのカタルシス(破壊のカタルシス)です。でも、普通に読んでたら、「なんじゃそりゃ」っていう残念感の方が大きいのだと思います。(余談ですが、「焼きたてジャぱん」もこの方向のカタルシス(クソほどつまらないダジャレで結末を導く)を持つ作品だと思います)。夢オチが世間でどういう評価をされているか見れば分かる通り、この手のサプライズはあんまり受けないようです。しかし、あまり受けないけれど、これはカタルシスの一つの形としてはアリだと思うのです。(古橋先生が昔書いたおとぎ話は積み上げが少ないので、これにはカタルシスを感じられませんが)
ですから、古橋先生の言ってる二点は正しいが、しかし、その正しさはあくまで商業的な正しさではないかと思うのです。こういう点に気をつければ多くの人の評価を得られるよ、という点では正しいのですが、果たしてそれだけに気をつけていて良いものかどうか? 古橋先生のエッセイに沿うなら、たいした理由もなく勝治が死ぬカブトボーグや、野球の話から突然ラーメンの話になる漫画太郎は全然ダメダメですが、でも、現に僕はそれらが大好きなのです。それを考えると、古橋先生のエッセイをそのまま鵜呑みにはできないなー、と思うわけです。
ちなみに、
>> サプライズを込めたければ、「お姫さまが助かると思ったけど助からなくてびっくりする話」じゃなくて、「どうあっても助からないと思ったけど助かってびっくりする話」とかにしとけ。
これですが、「そんな話おもしれーの?」と言いたいところですが、これに関しては僕たちには格好の事例があるんですね。そう、SUGD大車輪山嵐を受けた時の越前少年です。あの時もどうあっても彼は助からないと思いましたが、助かってびっくりしました。そう考えると、王道のサプライズというものも、やはり人をビックリさせることはできるわけですが……。
うーん、でも、どうなんでしょうねー。カブトボーグおもしれえんだよなあ。やっぱり、この方向の楽しみ(前置き無しのメタ/いきなり死ぬ)を僕は否定できないなー。