ワンピースで感動できない僕は、mixiの方でいずみのさんに「ワンピースで感動するコツ」を伺っていたのですが、その過程で興味深い記事を教えてもらいました。
『ONE PIECE』における努力の扱いの話
(僕の理解が間違っていなければ)いずみのさんによると、ワンピースの登場人物は不死身であるがゆえに、どれだけの大ダメージを受けても死ぬことはなく、「諦めずに立ち上がる」か、「そのまま倒れる」かの二択となるわけです。死ねないから。
一方、いわゆる努力というものは「苦しくても続けるもの」であり、これもやっぱり「諦めずに続ける」か、「やめる」かの二択となるわけです。そして、その意味でいえば、ワンピースにおける「不死身バトル」と、「努力」は同質のものとなります。ワンピースでキャラが大ダメージを受けながらも「諦めずに立ち上がる」行為はイコール「努力」であり、彼らは戦闘中に努力をしているのだから、当然ですが、「戦闘中に強くなります」。
ワンピースは修行シーンがなく、延々と不死身の戦闘シーンが繰り返される漫画ですが、そこで上記のことを下敷きに僕が感じたのが、『ワンピースの戦闘は修行ではないか』ということです。十分な修行を積み、相手以上の実力を得たならば、相手を簡単に倒しても違和感はありませんよね。つまり、
努力→努力→努力→戦闘開始→勝利
というのが通常のパターンだとすれば、ワンピースは、
戦闘開始→努力→努力→努力→勝利
という流れであると考えられるのです。彼らが不死身であるという前提を受け入れ、戦闘は修行であるとフィルターをかけるならば、ワンピースのバトルの読み方が変わってくるかもしれません。
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しかし、これだけだと穿った読み方になりそうな危険性も孕んでいます。いずみのさんはさらに「漫画家の描くバトルって、結局『諦めずに漫画を描く』ことの引き写しである」という視点を持つことで、穿った読み方には陥らない非常にメタ的な漫画の読み方をされていますが、これは万人にはオススメできないかと思います。かといって、「戦闘は修行」フィルターをどのように用いるかは、僕にも具体的な指針は見えないので今後の課題といったところでしょうか。
また、僕にとってワンピースにはより本質的な問題があり、バトル面の拙さとは別に「ドラマ面で感動できない」んですよね。本来はこっち(ドラマ面で感動するコツ)をいずみのさんに聞いてたわけですが、やはりこの問題はいずみのさんでも良く分からないもののようです。「なんでワンピースで感動できねーんだよクソが!」と思う人もいるだろうけど、できねーもんはできねーんだから仕方ない。前にも書いたけど、僕はガッシュには感動できるので(人によっては逆の場合もあるでしょう)、そこらへんの「感動できる/できない」の違いが何に起因するのか気になっています。そこが分かれば何か次の展開があると思うんだけどな。
あと、話がズレるけど、「訳の分からない話」に触れたときに、「訳が分からないから当然つまらない」と「訳が分からなくて最高に面白い」の違いが何によるものなのかも、いつも何となく考えてます。こちらも手がかりすら掴めない。No.5は「訳を分からなくしようとする製作者の意図の有無」と言ってたけど、それだけじゃない気がするんだよなー。