チアリーダー忍者を見ました。二回目です。
以前に見てから、僕の中で不動のクソ映画No.1に君臨していたこの映画ですが、二回目を見たらそれほど凶悪にも感じませんでした。何が違うのか考えたのですが、どうも「意味が分かった」のが大きかったと思います。
1回目に見たときのチアリーダー忍者の印象は、
・話の展開、敵味方の勢力図、両者の目的など何もかもが意味不明
・場面転換がヘタすぎて何が行われているのか理解不能
・ストーリーが全く追えない
・笑えないし意味が分からないアメリカンジョークの数々
・とにかく下品
・創意工夫の精神
・「くだらないものを作る」ことへの圧倒的情熱
といった感じでした。下品なのは良し悪しの問題ではないし、創意工夫の精神や、くだらないことへの情熱は、僕はむしろ高く評価したいポイントです。しかし、それらのプラス分を遥かに凌駕するマイナス分、つまり、圧倒的な意味不明さが、チアリーダー忍者を不動のNo.1クソ映画に据えた理由なのです。
初めて見たときも、ちょこちょこ笑ったり、面白いと思う表現はあったんです。しかし、とにかく意味が分からない。何をやってるか全く分からない話の中で、何が面白いのか全く分からない下品なギャグが矢継ぎ早に繰り返されるのです。これはキツイ。本当につまらない作品ってのは、ストーリーが平凡であるとか、演出が稚拙であるとか、主張が子供じみているとか、表現がグロいとか、そういうレベルのものではなく、とにかく、ただただ意味が分からないのです。考えても考えても何も理解できない。そういう状態を長時間維持させる。これが本当のクソ映画、クソ映画の中のクソ映画だと思うのです。
例えば、以下はヒロインチームと敵の女子高生チームの戦闘前の会話です。
ヒロイン「今度はあなたたちよ」
敵A「火炎放射器を返しに行った?」
敵B「当番じゃないわ」
何を言ってるのかさっぱり分かりません。火炎放射器なんて、今まで一度も出てきてないし、戦闘前に火炎放射器を持ち出すならともかく返すって意味が分からないし、もちろん当番がなんなのかも分かりません。
次は巨大ロボ(?)に変身する装置を開発したパソコンオタクたちの会話です。
オタクたち、トースターを見つめる
オタクA「ジリジリ焼かれてるようだ」
パンが焼ける
オタクA「例の変身ソフトを」
オタクB「まだ未完成だ」
オタクA「お前の昔のセックスはな、でもマシターしたド」
パンにマスタードをかける
調味料のマスタードと、動詞のマスターの過去形(マスタード)をかけたダジャレだとは思うんですが、なんでセックスが急に出てくるのか全く意味が分かりません。そもそも、パンを焼くことの意味が分かりません。
最後に、悪の組織の幹部二人の会話です。
エックス「奴隷ウィルスが広がれば、世界は我々のもの」
スティーブン「でも、ニャー・チンジャが…いや、チア忍者が私を倒しにきたら」
エックス「青臭いチアが怖いというのか?」
スティーブン「ただの女よ」
エックス「落ちこぼれの生徒軍団に任せればいい」
スティーブン「でも、チアはローダの教えを受けたの」
エックス「一番の敵をぶつけろ」
スティーブン「ぶつかってから戦う?」
エックス「スティーブン、今後われわれのトイレは使うな」
「一番の敵をぶつけろ」「ぶつかってから戦う?」の応答が意味不明ですし、最後の「スティーブン、今後われわれのトイレは使うな」に至っては、もはや議論の流れと何一つ関係がありません。もちろん、前後にトイレに関する描写なんてありませんし、こんなもの推量すら不可能です。理解できるはずがないのです。
以上のような禅問答の如き内容が、一時間半に渡って延々と繰り広げられるのが「チアリーダー忍者」です。僕が初めて見た時は、この上さらに敵味方の勢力が判別できず、ストーリーの流れすら追えませんでした。だから、本当にクソの中のクソだと思ったのです。
しかし、二回目は、流石に分からないなりに一度見た経験があるので、敵味方の勢力やストーリーの流れがある程度分かりました。そうすると、「意味不明さ」はアメリカンジョークだけにほぼ絞られ、映画全体における「禅問答タイム」の割合が減ります。元々、見るべき箇所はあった映画ですから、苦痛が減じて、楽しむ要素は変わらない状態になりました。その結果、信じられないことに二回目はそこそこ楽しめてしまったのです。100点満点で点をつけるなら、15点あげてもいいんじゃないかと思う程に評価が上がったのです(初めて見た時は3点だと思った)。禅問答タイムが減るだけで、これだけ評価が上がってしまうのです。意味が分からないということが、いかに僕たちにとって苦痛なのか、ということです。
結論:クソ映画にとって大切なのは、何よりも意味不明さである。理解できた上で「つまらない」と判断できる作品は、まだ優しい。理解できないことほど不愉快なことはない。
追記)余談ですが、気合を入れて吹き替え版で三回目を見てみたところ、意味不明だった箇所も大分意味が分かりました。どうも、字幕がヘタクソすぎただけのようです。
エックス「奴隷ウィルスが広がれば、世界は我々のもの」
スティーブン「でも、ニャー・チンジャが…いや、チア忍者が私を倒しにきたら」
エックス「青臭いチアが怖いというのか?」
スティーブン「ただの女よ」
エックス「落ちこぼれの生徒軍団に任せればいい」
スティーブン「でも、チアはローダの教えを受けたの」
エックス「一番の敵をぶつけろ」
スティーブン「ぶつかってから戦う?」
エックス「スティーブン、今後われわれのトイレは使うな」
この箇所に関しても、(「今後われわれのトイレは使うな」はやはり意味が分かりませんが)「一番の敵をぶつけろ」「ぶつかってから戦う?」の意味は判明しました。吹き替え版によると、どうも「お前の手駒を一度にチアリーダー忍者にぶつけろ」「あの手この手を使えってこと?」という意味だったようです。字幕は原型が残っておらず、あまりに酷すぎます。そりゃ、禅問答にもなりますよ。
というわけで、チアリーダー忍者をなんとか楽しみたい人は、吹き替え版をオススメします。でも、クソ映画耐性がない人は、たとえ吹き替え版でもどうにもならないと思う。
*参考(初めてチアリーダー忍者を見たときの僕の日記の記述)
その後、「チアリーダー忍者」「尻怪獣 アスラ」と疑いようもないクソ映画を2本借りて、JJの家で見てた。チアリーダー忍者は本当にキツかった。笑える箇所も幾つかあったが、そんなことではカバーできないほど酷い内容で、早送りせずに最後まで見た自分を誉めてあげたい。何が酷いって、まず主人公が誰かということから分からない。展開もさっぱり意味が分からずまるでストーリーがつかめない。3人で「今のはどういうシーンだったんだ」「オレが思うにアレがアレだったんじゃないか?」「あ、分かった! アレがアレなんだよ!」と、こんな感じでストーリーを咀嚼するだけで精一杯。ものすごい難解さだった。そして、つまらない。辛うじて理解した範囲では「カトリックのおばちゃんたちが少年院の不良少女を操って、忍術を習ったチアリーダーと戦わせつつ、ハッカーの流したウイルスをパソコンオタクたちが阻む」という内容だった気がするが定かではない。修行をしたいというなら止めないが、普通の人はまず見ない方がいいだろう。これに比べれば「血を吸う宇宙」でさえ分かりやすい。