論点:今週のテニスは爆笑モノだったけど、一体何が面白いのかどうにも説明できないぜ。なぜなんだぜ。
以下、「何が面白かったのか?」の仮説
仮説1:いちおうシリアスだった白石戦から、打って変わっての超展開。(参考)
仮説2:通常使用される「見開きページ」の使い方を超脱した見開き使用、つまりはテンプレートの破壊(参考)
仮説3:アフロとリストバンドの意図的混同(参考)
これらの仮説はどれが正しいということはなく、どれも正しいのだと思います。またこれ以外にも「笑いの理由」は、他にも色々あると思います。それに加えて、僕たちは次の仮説を付け加えます。
仮説4:奈良のお笑いテニスには三段階の視点がある
1、現実に目の前であれが繰り広げられた場合:爆笑
2、漫画の中でギャグとしてあれが行われた場合:寒い
3、テニスの王子様の文脈であれが行われた場合:爆笑
注目すべきはこの二段階目であり、漫画の中でギャグとして「アフロ」「チョンマゲ」が出てくるのは、ベッタベタなギャグであり、普通ならくすりとも笑えません。むしろ「おい許斐、お前のギャグセンスはこの程度か」とナメてかかってしまう程度の低いものです。
しかし、実際に僕たちは爆笑しており、この三段階目の「爆笑」の理由が分からないのが今回の問題なのです。ただし、この三段階目の「爆笑」に至る前に、僕たちの精神はかならず二段階目の「寒い」を通過しているはずです。つまり、意識しているか、いないかは分かりませんが、僕たちは「許斐先生をナメた」のです。少なくとも一瞬は。
そして、実際は仮説1~3に見られる「笑ってしまった理由」、これに(顕在化していない)さらに多くの「笑ってしまった理由」が加わり、そこに仮説4の第二段階における「許斐先生をナメる気持ち」も加わり、それら諸々が6ページという大変短いページ数の間に、瞬間的に僕たちの精神を暴圧することにより、「何が面白いのか分からないけど、とにかく面白い」という状態に陥ったのだと思います。圧倒的な量の「笑うだけの理由」と「純粋な笑い以外の心情」に一度にのしかかられたため、いわば「ツッコミ放棄」状態に陥り、「何が面白いのか分からない」状態になったのではないでしょうか。
「何が面白いのか分からなく」ても、振り返って分析すると、仮説1~3のようなことがポツポツと分かってくるのですが、でもそれが面白い理由の全てではなく、もっと奥深い何かを抱えているような気がして、その奥深い何かの一つには「許斐先生をナメる気持ち」といったマイナス要因さえも含まれているのではないかと思われるのです。「ナメる気持ち」だけではなく、たぶん、もっと色々な感情が加わり、あの「笑い」は創出されているはずで、例えば、今回の許斐先生の笑いの方法論を分析して、それを応用し、僕が人を笑わせるとか、そういうことはほとんど不可能なのではないかと、そういう結論に至ったのです。
結論:今週のテニスが面白かったにも関わらず、何が面白いのか的確に理解できないのは、読んでいる時に僕たちの精神に降りかかった感情が多様すぎて、一種の思考放棄に陥っていたため。