【2/23】人は何かを計画している時はめちゃくちゃ楽しい

   

朝:レタスとエリンギ炒め、味噌汁、納豆、米
昼:レタスとエリンギ炒め、味噌汁、豚味噌、米
夜:カツカレー

・こころオブ・ザ・デッド8話の小説版の見直しをしてから、スマホアプリ「ダンジョン&ダンゲロス」のデバッグをやってた。

・で、夜はダンゲロスボードゲームの企画会議イベント。集まってくれた四人の支援者と一緒に「う~ん……」「うむむむ……」とルールをずっと考えていた。

・結構、黙りこくって考え込む時間が多かった上に結論が出なかったので、参加者の皆さんは「おいおい大丈夫かよ」と思われるかもしれませんが、意外と大丈夫です。この手のブレストはみんなでアイデアを出したり考え込むことによって、脳みそが活性化されることに特に意味があり、さらに1~2日経ってお風呂に入ったり寝たりしている間にアイデアが何となくウニャ~と固まって形になるので大丈夫です。過去の経験上、大丈夫です。

・まあ、ダメだったらもっかいやりましょう。

・夜に食べたカツカレーの画像を張っておこう。

 週イチでボルダリングやってると、なんか特に気にせずご飯を食べても「俺は大丈夫だ! 太ったりしねえ!」という謎の安心感を覚えるんだけど、今週は忙しくてボルダリング行けなくて、すると急に不安になって、「うわああ、太るぅう……」って悩まされる。

・ていうか、ボルダリングはなんか色々おかしくて、前に「ボルダリングをやった後に肉を食べると野蛮人になった気がして全能感に駆られる」って書いたじゃないですか。こないだ東西さんに会った時に聞いたんだけど、東西さんもボルダリングを昔やってたらしく、「特に肉を食わなくても全能感に駆られていた」って言ってたから、ボルダリング自体にきっと何か秘密がある。

・「自分の筋肉を使って何かを達成する」ことで脳みその中で何らかが活性化されるんじゃなかろうか。東西さんは「テストステロンじゃないか」と言っていたが……。

筋力トレーニングや不安定な興奮(例えば闘争や浮気など)によってテストステロンの分泌が促される。イリノイ州ノックス大学の心理学者、ティム・カッサーの研究では大学の学生らに15分間銃を扱わせたところ、唾液から普段の100倍近いテストステロン値を記録したという。このことから、危険物あるいは危険な行為が更なる分泌を促すといえる。(Wikipediaより)

 あっ……。

・これか!? まさにこれじゃないか?? ボルダリングとかまさに筋トレ要素と危険行為(高所を登っていく)の合算みたいなもんじゃないか。テストステロンの分泌により闘争本能が高まり、野蛮人になった気持ちになるのでは?

 *

・仕事の関係でいまこれを読んでる。

 最近初めて知ったんだけど、世の中には「ゲーミフィケーション」という概念があるらしくて、ゲームを楽しむ(楽しませる)方法論を使って現実の人生を楽しくしていこう、みたいなことらしい。

・「ゲームが楽しい」というのはもう確固たる事実なわけで、その事実をうまく応用して何か人生をプラスにできないか、という発想は非常に理性的・論理的で良いと思います。ゲームが楽しい、とは、本書によれば「自らの意志でハードな仕事に挑んで幸福になっている」状態なわけで、これを現実の仕事で実践できれば作業能率がメキメキ上がり、全人類の生産性がグングン上がるのは目に見えているわけだ。

・実はこのゲーミフィケーション、まったくその概念を知らなかった10年くらい前に既に私も提唱していたのである。

「ゲームと現実を混同して前向きに生きよう!」

 クトゥルフ神話TRPGと現実を混同することで、日々の活動を自律的に律していこうという試みである。これ、当時はすごく良いアイデアだと思って、私も自分自身でしばらくやっていたが、何となくやめてしまった……。しかし、着眼点は良かったのではなかろうか。

・しかしまあ、そんな話がしたいのではなくってですね。本書を読んでて思ったのが、昨日の日記にも書いたとおり、やはり私の今の仕事環境は非常に恵まれている、ということだ。かなり「ゲームに近い」と言ってもいい。なんで大抵の仕事がゲームのように楽しくないかというと、

1、自己の裁量権が低い、自由度が低い(仕事のやり方を自分で決められない)
2、自発的ではない(生活のため、出世のため、誰かに期待されたからやる状態)
3、フィードバックが薄い(頑張った成果がよく分からない)

 そして、本書によれば、

4、現実はゲームよりも易しい(自分の能力の最大限を発揮できない)

 という点にあるようだ。

・4番が面白いな。私はかねがね「つまらないゲームは難易度が低いのが原因であることが多いので、コンフィグで難易度を上げるだけで面白くなったりする」と言ってきたが、これは現実でもそうだったのか。おそらくハードな問題に立ち向かっている時に、脳みその中で何らかの活性化が行われているのだと思う。この辺は私が常々ずっと考えている「〝面白い〟は生理学的に作れるんじゃないか?」という仮説にも繋がってきそうで、おそらく「面白い」という感情は、実際の生理的には「脳みそに負荷をかけて、脳みその回転を何らか底上げしている状態」だと思うのだけど、この辺、ぜんぜん素人なので詳しいことは分からない。この辺を解明できれば「面白い作品」を半ば自動的に作れるようになるのではないかと夢想している。

・しかし我ながら人間機械論の極地のようなことを言ってるな……。

・まあしかし、そういう話がしたいわけでもないので(また脱線した)、話を戻すと、今の私の仕事の状況は4はよく分からないけれど、1~3がかなり明確に「ある」んだよね。自己の裁量権は当然バリバリにあるし、企画段階から完全に自発的に行ってるし、フィードバックも期待できる。「今こう頑張ったら、将来こうなって、すごくいい状態になって楽しいのでは!」みたいな。

オンラインサロンも、トークメーカーでの座談会も、ボードーゲームもそうなんだよね。頑張れば頑張っただけ明るい未来が想像できる。それに至道先生とかは経営者だから、現実的かつ楽しいビジョンを提示するのが上手くって、話を聞いてると、「オッ、ドキドキする! 頑張っちゃおっかな!」と思わせてくる。しかも私も(おそらく泉先生も)これまで「ちょっと必死になって頑張ったら成功してきた」という成功体験を積み重ねているから、「そのビジョン、俺達が頑張ったら上手くいくんじゃね?」っていう気が全然するんだよな。すると頑張ってしまう。

・まあ、もちろん毎回成功するわけじゃないんですよ。頑張ったってダメな時はダメで、「あれ? なんか違う。上手く行ってない!」みたいなこともあるんだけど、企画段階やスタート初期段階では夢を見てるだけなのでワクワクしかないわけですな。これ、経営者とかもそうだと思うんだけど、ビジネスモデルを考えついて起業した時は、もうワクワクしかなくって、しかもそのワクワクを実現できるかどうかはひとえに自分の頑張り次第なので、めちゃくちゃ頑張って働いてしまうんだと思う。かなり「ゲームに近い」状況だと思うんだよね。

・一方で、社員となると、起業者ほどに夢のあるビジョンは描けていないわけで、「与えられた仕事だから」「生活のために」働く感じになると、どうしても「ゲームからは遠い」状況になる。しかも裁量権が低い。フィードバックも、経営者は自分の会社だし、自分の思い描いていたビジネスモデルが実現できてメチャクチャ楽しいと思うけど、社員はたぶんそうでもない。社員と比べて経営者がバリバリ働いちゃうのはたぶんそういうことなんだよな。

・で、問題は、そんなワクワクすることが、いま私のところでも複数並行で進行していて、どれも夢に溢れていて、頑張れば頑張っただけで見返りがありそうで、すごく楽しいんだけど、それに物理的な時間が全く追いついていない。「こんな長文日記を書いているからでは?」と思われるだろうが、この日記は思考の整理とセルフブランディングを兼ねているので必要経費ということで目をつむって下さい。

・で、非常に恵まれた環境で毎日楽しいんだけど、ゲームも楽しいから際限なくやれるけど、実際に際限なくゲームやってると疲れるじゃないですか。眼精疲労になったり尻がイカレたりするわけで。だから、これは実際問題、いくら楽しくてもコントロールしなきゃいけない。頑張れば頑張っただけ見返りがある気がするし、いま必死になって頑張らないと後で後悔しそうな気がするけど、それでもコントロールしなきゃいけない。われながら全くコントロールできる気がしないんだけど、そういう意識だけはしとかなきゃいけない。

・というわけで、おおむね「いま私は非常に楽しい」というじまんでした。おまけに嫁がかわいい。最高だぜ。

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