【8/14】次はあなたの番だ:本多議員辞職問題

   

・最近の私は正義中毒に陥っている。小林賢太郎氏解任問題、本多議員辞職問題と、おぞましい事件が立て続けに二件も起きたせいだ。無邪気な人々の軽率な感想が薄っぺらい善性にコーティングされて、断罪の刃となって振り下ろされ、むごたらしい惨禍を招いた。

・小林氏に関してはだいぶ世間の評価も回復してきたように感じる。メディアでも氏を擁護する声も多い。

・小林氏に関しては、私の言論が何かをもたらしたというよりは、当のユダヤ人メディアが「いや、別に傷ついてないし」「小林氏をいじめるのやめような」と言ってくれた事が大きいだろう。あれには相当の衝撃があった。

前回の記事では、私にしても「しかし、おかしいとは思うが、それが国際的常識なのか……ううむ……そう言われちゃなあ……」という感じであったが、調べてみると、そんな常識も特になさそうだということが分かってきた。

「いかなる文脈であれ、ホロコーストをコントで扱ってはいけない」という「常識」は本当に存在するのか?

 なんなんだ、という感じである。 みんなそんな適当なことを、声を大にして、自信満々に叫んでいたのか? 本当に、なんなのか。

・というわけで、後は本多議員の件である。…………が、分かっている。私がここで何を書こうが、どれだけ訴えようが、世間は変わらない。おぞましい事件は、おぞましいままに忘れ去られる。人々はこれからも無邪気な感想を垂れ流し続け、惨劇は繰り返されるだろう。

・今回、私は少し期待してしまっていた。本多氏の処分が決まる前に、Twitter上で処分はおかしいとする声が上がっていたからだ。声を上げた中には法学者や政治家などもおり、立憲民主党も無視できない程度の高まりを見せていたと思う。今回は、勝てるのではないかと思った。無邪気な人々の軽率な感想に、理性と論理が勝利できるのではないか、と。だが、われわれはまたしても敗北した。本多氏の辞任により、我々の振り上げた拳は行きどころを失い、「正義」は果たされぬまま暗中を彷徨うこととなった。

・白黒はっきり付くこともなく、本多氏の名誉も回復されず、情けない感情論が今も世に蔓延している。本当に嘆かわしい状況だ。

・だが、私がこの状況に怒りを覚え続けるのは「正義中毒」に過ぎないだろう。単にアドレナリンの分泌に酔っているだけだ。怒り続けても何も変わらない。だから、今回、ここで書くだけ書いて、もうこの件は振り切りたいと思う。次に本多氏が出馬した時は相応に応援するが、今回はもうこれで終わりだ。さあ、ようやく本題に入ろう。

・今回の件は、

<独自>「50歳が14歳と同意性交で捕まるのはおかしい」立民議員が主張

 産経新聞のこちらの記事が問題の皮切りとなった。この時点ではまだこの発言主の議員の名は明らかになっていない。Twitterなどでは非難轟々となっていたが、私に言わせれば、この時点で、この発言に格別な問題はない。それは以下の二点の理由による。

・一点目、これを述べたのが政治家であるから。

「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」

「年の離れた成人と中学生の子供に真剣な恋愛関係が存在する場合がある」

 仮にこれを述べた政治家がロリコンであり、自身の欲望に基づいた発言であったとして、むしろ問題はない。冷静に考えてみて欲しいのだが、これが問題あるとした場合、では、ロリコンの人たちの声は誰が代弁するのか? 当たり前だが、法を踏み外さない限り、性的嗜好は自由である。そこは憲法で保障されている。仮にロリコンであろうと、自己の性的衝動に負けて法を踏み外すことなく、認められた手続きを経て法を調整しようとするならば、むしろ民主主義国家に生きる社会人としてまっとうであると言える。無論、その人に投票するかどうかは別の話だし、姿勢に対して批判を行うことも構わないが、ロリコンだからといって政治家になっていけないわけがない。

・もし、あなたが「いや、ロリコンの声など代弁する必要はない」と考えるのであれば、自分の言動をよくよく顧みたほうが良い。端的に言って、それは差別だ。あなたはとてつもない言動をしている。ロリコンが法を踏み外したなら非難されるべきだが、法を踏み外さない限りはわれわれと同じ一般市民だ。差別はしてはいけない。ごく当たり前の話だ。

・まあ、これに関しては細かいことを言おうと思えば色々と言える。本多議員は選挙公約にロリコンの権利を守ることを明示していないとか、政治家としてはともかく立憲民主党が党の方針に合わないことを理由に処分するのは許容範囲ではないか、とか。しかし、「原則的には」上記のとおりである。発言内容への批判は構わないが、処分だのを求めるのは筋違いである。

・二点目。理由としてはこちらの方がシンプルで分かりやすいだろう。この発言はワーキングチーム、つまり、勉強会にて発せられたものである。

・冷静に考えてみて欲しいのだが、これは「勉強会」である。仮に本多氏の意見・見識が非常に低レベルなものだったと認めるとしよう。だが、そういった低レベルな意見・見識を高次に導くためのもの――、それがまさに「勉強」ではないのか? 勉強の過程で見識が甘いのは当たり前であり、勉強を通してアップデートされれば良いのである。

・われわれは政治家に票を投じているが、なにも完全無欠の完璧超人だと信じて投票しているわけではない。いろいろ欠点や認識の甘さもあるだろうが、それは政治家として切磋琢磨していくうちに磨かれていくだろうという期待値を込めて投票しているはずだ。言い換えれば、本多氏の「意識の低さ」も織り込んで投票しているわけで、それは勉強をしてくれれば良いのである。レベルが低いことは課題ではあっても罪ではない。だから、「勉強が足りませんよ」と批判することは構わないが、それで「処分しろ」というのはやはり筋違いである。それは本多氏の「弱さ」も込みで投票した有権者に対する侮辱でもある。

・……と、ここまではあくまで本多氏がロリコン、もしくは意識が低い、といった仮定を元にした話であり、たとえその仮定であっても「原則的には」問題はないことを明らかにした。だが、実際の本多氏はロリコンではないし、おそらく意識も低くはない。

・「50歳と14歳」発言に対する本多氏の釈明は上記の通りである。以下では本多氏の釈明が誠実であることを前提に行う。ウソをついている可能性もなくはないが、この釈明には説得力と合理性があると考える。また、仮にウソをついている可能性があるとしても、これだけの説得力ある釈明が行われたのだから、それを無視して批判を行うことはアンフェアであろう。なお批判するなら、この釈明を踏まえた上で批判するべきだが、そのような批判者を私はほとんど見たことがない。

・さて、上記の釈明を見れば、まず大抵の人が、この発言になんの問題もなかったことを確認できると思うが、この発言の意図を理解できない方もいると思うので、解説を加えておこう。理解できないことは別に恥ではない。今から行う解説を読んで理解できれば良いのだ。

・これは文脈的には、「14歳の性交相手が大きく年上」のケースを検討している際に、講師の島岡まな阪大教授が「年齢差の大きな場合に、恋愛は存在し得ない」と言ったものだと思われる。にわかに信じがたいことだが、どうも島岡氏などの間では「片方が14歳などの場合、年齢差の離れた恋愛は全て恋愛もどきで、年上側は単なるロリコン(認知の歪み)である」といった認識がなされているようなのである。ゆえに、島岡氏は年齢差が離れている場合に、「真摯な恋愛であれば例外とする」といった例外規定をつける必要はないと考えているらしい。

・これは学術的な態度とはとても言えない。イデオロギーである。いや、確かにロリコンが性欲を満たすために「純愛幻想」を利用しているということはあるだろう。だが、全てのケースがそうであると断定することなど、できるはずがない。それを証明する静的なデータなどどこにもないはずだ。つまり、学術的ではない。

・この流れの中で見れば、

「例えば(実在の)私が恋愛の存在を主張しても、それを認めないのか」

 本多氏が自分を例に挙げた必然性が理解できるだろう。つまり、「今ここにいる実在の自分が、純愛であると主張しても、そこには純愛がないと言うのか」ということだ。ある人物の恋愛感情を他者が「不純である」だの「純愛である」だの、本当に勝手に決めつけられるのか。当の本人が目の前で「純愛だ」と言っているのに、年齢差だけを根拠に一律で「不純」と決めつけて良いのか、という話である。

・本多氏が実際にどのような発言をしたのかは分からない。分からないが、少なくとも意図としてはこうであったと説明している。だから、これに則れば「自分を例に出したのが不適切だ」とか「ほとんどありえないレアケースを引っ張り出すのは議論として不適切だ」などの批判は当たらない。これは島岡氏側の認識の土台に関する、非常に重要な問題提起であるからだ。

・一応断っておくが、私としては「99%が純愛幻想を利用しているロリコンで、1%が真摯な恋愛の場合にも、1%に配慮して、例外規定を必ず設けるべきだ」とまでは思っていない。法律は最大公約数の幸福を追い求めるべきだから、場合によっては1%を犠牲にすることも必要であろう。だが、1%を犠牲にする時に「真剣に協議したが、あえて犠牲になってもらいます」というのと、「1%など存在しない。全員単なるロリコンだから気にしなくて良い」というのとでは天と地の開きがある。結果だけではなく、過程にも意味があるのだ。

・そして、その「真剣な協議」をしていたのが本多議員である。「真剣な協議」を面倒くさいと考え、とにかく早く結論を出したいと考えたのが、今回、産経新聞にリークした、立憲民主党内の何者かである。なぜ早く結論を出したかったのかは、おそらく政治的な動きが背景にあるのだが、これに関しては今回は触れる気はない。そこまで踏み込まずとも、今回、何が問題であるかは十分に伝わるはずだからだ。

・なお、「14歳の身体はまだ未熟で妊娠のリスクが~」などの批判もよく見るが、今回の件に関しては全くの的外れである。そういった事柄は議論の中で十分に戦わせればよろしい。そうではなく、今回はその議論自体が破壊されたのだ。しかも、部分的な切り抜きによって。無邪気な人々の軽率な感想を利用する形で。

・だから、フェミニストであろうが、性交同意年齢引き上げに賛成であろうが、いや、むしろ、そういった人たちこそ本多議員を擁護すべきである。なぜなら、議論が破壊されたのだから。議論とは相手を言い負かして論破するためのものではない。お互いの意見・見識をぶつけ合うことで、より高次の認識へと至るための手段である。 性交同意年齢引き上げに関して本多議員は慎重派であっただろうが、賛成派は慎重派の意見を十分に吟味して、適切な検討を加えてから、賛成意見を強化すれば良いのであって、だから、本多議員が無茶苦茶な方法で引きずり降ろされたことによって、賛成派も損をしているのだ。「やったー、論敵がいなくなった。ラッキー」とか言ってる場合ではない。意見や見識をブラッシュアップするための貴重な機会が失われたのである。それはひいてはわれわれ国民の損失なのだ。

・本当はまだ色々と書きたいことがある。立憲民主党のハラスメント対策防止委員会がまとめた調査報告書がメチャクチャな内容であるとか、本多氏がWT座長の寺田学氏と一対一で「腹を割って話」をした内容が寺田氏によって幹部にチクられたとか、さらにはそれが一部メディアやライターにのみ都合よくリークされたこととか、また、「腹を割って話」した中に本多氏の「暴言」とも言える内容があったこととか、しかし、その「暴言」も背景事情を検討する必要があるのではないか……等等。だが、今回はタイムアップだ。

・一点だけ付言すると、私は仮に本多氏が「ハラスメント」を問題視されて処分されるのだとしたら、そして、それに十分な裏付けがあったならば、納得するつもりでいた。「50歳と14歳発言にはなんの問題もありません」「今後も勉強会での議論は自由闊達に行っていきます」「それはそれとしてハラスメントに該当する言動があったので処分します」であれば、なんの問題もない。

・だが、 「50歳と14歳発言にはなんの問題もありません」 などと言えば、無邪気な人々はまた軽率な感想を声を大にして叫んで、立憲民主党を悪し様に罵るであろう。立憲民主党の幹部たちは一体、どういう理由付けで本多氏を処分するつもりだったのか? 今となっては分からないのだが、おそらくこれに踏み切る勇気は彼らにはなかったと思われる。

・そして、ここまでの情報が出揃っているにもかかわらず、今もマスメディアでは、本多氏の発言が本人の意図しない形で扱われている。「とんでもないことを言った立憲民主党の大馬鹿者」といった扱いだ。繰り返すが、情報は既に出ている。今ある情報をまともに読めばそういう認識にはならない。要するに、不誠実なのである。

・しかし、マスメディアが不誠実なのも、それに踊らされた無邪気な人々が軽率な感想を叫ぶのも今に始まったことではない。問題は、そんな人々の無邪気な声に立憲民主党が易易と頭を垂れたことにある。こんな馬鹿みたいな話は最初から突っぱねれば良かったのだ。口頭厳重注意などするから、「騒げば謝るんだ」と思った無邪気な人々が調子に乗って、「もっと重い処分を」などと叫び始めるのである。

・まあ、これは私も理想主義が過ぎるとは思う。現に「厳重注意」がなされた時は、「無邪気な人たちの溜飲を下げるために、このくらいの方便は仕方ないか」とも思ったものであった。しかし、結果はこのざまである。まさか「厳重注意」で終わらないとは思わなかった。そこまでの自殺行為に立憲民主党が踏み込むなど、信じられなかったのである。立憲民主党の「民主」の意味とは何なのか? 自殺行為である。

・幼い娘を持つ父親として、私は"どちらかと言えば"性交同意年齢の引き上げには賛成である。しかし、それは十分に議論が尽くされ、様々な方面への配慮が成された上での話であり、「なんかそっちの方が良い気がする」「子供を守るためなら少数派は踏みにじっても当然」といった拙速・軽率な決定には断固反対する。いわんや、世間の無邪気な人たちを煽って、魔女狩りめいた方法で論敵を排除して決まった結論など、話にならない。

・まとめよう。今回の事件はこうだ。ごく当たり前の議論をしていた人物が、意見が異なるという理由で、発言の一部を切り取られ、リークされ、社会的リンチを受け、失職に追い込まれた。これがどういうことか分かるだろうか? 次はあなたの番だ

・あなたはなんの変哲もない、いつもどおりの、ごく当たり前の議論を行う。それがある日、なぜか世間に公開されている。本来の発言意図に沿わぬ形でだ。そして、それが無邪気な人々の目に止まり、軽率なバッシングを受ける。あなたは説明するが不誠実なマスメディアは無視する。所属する組織もあなたを守らず切り捨てる。あなたは職を失い、誹謗中傷を受け続ける。

・その時、おそらく私はあなたを庇うだろう。あなたを擁護するだろう。だが、私の声など世間には届かない。あなたの悪評は覆らない。これはあなたの話である。あなた自身の話である。そして、私の話でもある

・覚悟しておこう。その日は唐突に訪れる。理性も論理も通用しない世界が、あなたのすぐ側にある。次はあなたの番だ。

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